【お母さんが居ない子は不幸…】



あるテレビ番組で
小林麻耶さんと立川志らくさんが
「母の居ない子供は不幸なのか」
議論があったとネットニュースにありました



立場に寄って考え方は様々で
当事者でさえ、状況も心境も変化して
答えが定まらない、難しい話だと思います



私の場合は…
↓↓
  


\\「可哀想な子」//
〝心配してもらいたい″気持ちもありました
あまりに孤独で悲惨な生活だったから
誰かに気にかけて欲しかった




\\「不幸な子」//
そう言われるのは辛かった
〝母が責められているよう″で悲しくて
涙を、誰にも見せてはいけないと思ってた




\\「幸せになりたい…」//
〝自覚したくない!しちゃいけない‼︎″
どんなに、そう思っても
自分が不幸だと、思わざるを得ない時も
何度もありました



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母が亡くなった後



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「お前たちのせいだ」
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伯父に言われたことで
兄の心は、折れてしまいました…
その後は壮絶でした
彼の悲しみと悔しさと憤りが
すべて私に向けられます




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「兄妹喧嘩に俺を巻き込むな」
\

父は、取り合ってくれませんでした
大人同等の体格だった兄の力は
私では抑えきれません
父の居ない夜は、ランドセルを持って家を出て
真冬の電話ボックスで、眠った夜もありました




/
「もう来ちゃダメだよ。縁が切れたんだから」
\

母方の叔母は、夏休みや冬休みには
泊まらせてくれていました
あの頃の私の、束の間の安らぎの時でした
でも、叔父の言葉を聞いてからは
行けなくなりました




/
「何でいるの?!一緒に食事したくない‼︎」
\

父方の従姉妹に言われました
叔母が、私に優しくすることに嫉妬していた
酷いことを言ってしまったと
最近になって、謝ってくれました




「みんな、行き場の無い感情を吐露しただけ…」
「みんな、子供だっただけ…」
今ならわかりますが
当時の私は、9歳
あまりにも辛辣な言葉ばかりでした




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「誰か愛して…」

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/
「汚い!バイキン‼︎」
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給食で使うテーブルクロスを
洗濯してアイロンして持っていく
私には、とてつも無い大仕事でした

洗濯機の使い方さえわからなくて
必死に手洗いして、寝押しをしましたが
みんなと同じようにはなりません

掃除の時、私の机だけは誰も触りません
給食の時も、私の机だけは離されます
…子供の間では、良くあること




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「いじめられる方に問題がある」
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担任の先生が
班分けで仲間外れになった私に
そう言いました

1人だけの班になりました
…子供には、耐えきれないこと




▷学校に行くふりをして
真っ暗な押入れの中で
隠れて過ごしました



▷学校に行こうとしても
どうしても行けなくて
通学路にある、親戚の家の庭で
座りこんでいました




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「誰か助けて…」

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ある夜、電話ボックスの中で
寒さと眠気を凌ぎながら
電話帳を必死にめくると
『子ども110番』の文字
翌朝、決死の思いでかけると



/
「お家の人と良く話してね」
\



絶望感が溢れました…



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▶︎「お母さんが居ない子」
そう言われるのが嫌だった
お母さんは居るから
〝生きていないだけ″



▶︎「愛が足りていない子」
そう言われるのも嫌だった
お母さんは、今でも私を愛していると
〝信じないと生きていけないから″



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〝お母さんが居ない子が不幸″
そうは言い切れませんが



〝不幸になる場合が多い″
私の実体験からは、そう思います



本人の力だけでは
どうにもならないことが
本当にたくさんありすぎるから



周囲の理解や助けが
必要だと知って欲しい



32年、考え続けている私の
今の見解です



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あの頃の私のように
孤独や不幸や絶望を
感じている人がいたら伝えたい



/

あなたは、幸せになる為に生まれたんだよ

\



『Dreams 〝DO″  come true‼︎』
他力本願じゃなくて、自力本願



「Yukoに出来るなら、私も!🙌」
そう思って、諦めないで☺️



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シンガポール発🇸🇬

#walk_with_me
『希望を持つ✨』

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