左衛門橋から下流方向に浮かぶ船を見て、
いよいよ河口に近づいたのを感じてワクワク
少し進むと…
途中にあった説明板
この辺りに郡代屋敷があったそうな。
その役職も時代と共に変遷していくのが
この説明板から伺えました。
この辺りは日本橋馬喰町というのですね。
その先で視界が一気に開けて…
何だか急に都会に出て来ちゃったみたい
ここまで人の気配が少ない路地を選んで歩いてきたもので
ちょっと眩しいです。
とにかくまずは橋を見て…
あんらぁ~
…また橋の銘板が新緑で隠れているわ。
ここは浅草橋、ですよね。
それでは橋を渡りながら向こう側の銘板を見に行きましょう。
まずは上流方向を。
ここでようやく「浅草橋」の古そうな銘板。
ビルに囲まれながら船宿は健在でした。
下流方向を見たところ
橋のたもとにあった「浅草見附跡」の碑
ここは奥州街道や日光街道に面した警備の見附なのですね。
ここを通るのは主に町人で、
身分の高い人は滅多に通らなかったとか。
お江戸の流通、経済の中心地だった神田へ行き来するのは商人が多かったのでしょうか。
川沿いに建つ学校。
このビルは古そう!
ここ一帯が戦災で焼失したとはいえ
このビルは残ったのでは?
実はワタクシ、十数年前(まだブログを始めていない頃)
趣味の材料を買うために、たびたびこの町へ来てました。
といっても神田川には全く全然(←しつこい?)興味はなく
もっぱら江戸通り沿いの小さなお店をハシゴしたり
ガード下を眺めて通ったりしていたのです。
それから数年後に来てみたら
専門店や問屋さんも様変わりしていて
これが時代の流れというものか、と感慨深かったです。
それでも…
やはり浅草橋を代表する人形の老舗は健在でした。
今回浅草橋に来てみたら
神田川沿いに興味シンシンな場所がありそうなので
ここから先はまた改めて来ようと思いました。
というか…
向かい側でカラフルな夏用の籠など売っている店を見つけ
購買意欲が発動しちゃったので
カメラを仕舞いスキップして
横断歩道を渡ったのであります。
次は神田川の河口まで、行けるかなあ。
ということで、
とりあえず神田川沿い散歩は小休止します。
気まぐれ散歩にお付き合い頂き
ありがとうございました。