昨日に続き、赤坂豊川稲荷の壁について

私としては、とても興味深いものを発見したつもりなので

お暇な方は見てやって下さい。


先日ここを通りかかったとき

境内を見せていただき、先を急ぐので足早に外へ出たとき

古い外壁も、一枚くらい写させていただこうか、とカメラを向けて・・・





空をみる人

赤い提灯がずらりと並ぶその下の壁は、改修した跡もありますが

石は古いままらしく、ザラザラした側面はかなり風化しています。


カメラを向けると、壁の石の中になにやら埋め込んだ文字に気が付きました。

最初に見たのが下のもの。




空をみる人


横書きで(右から左に)「万惣」の文字。

縦に「西瓜糖」の字。それを囲む細い線が西瓜の形。


私自身は行ったことがないのですが、万惣といえば神田の老舗の高級果実店。

会社の老社長が、その昔腎臓を患った母上のために

万惣まで西瓜を買いに行ったと話してくれたことがあります。


おそらくこのスペースは氏子または檀家

(この稲荷、実はお寺の別院なのです!)

が、寄進したことで名前を刻まれたのでしょう。

神社の敷地を囲む石の杭などに寄進した人や会社名が刻んであるのを見たことがあるので

同じようなものかもしれません。


しかしこの付近一帯は空襲で焼け野原になったと聞いています。

なので焼けなかった石などでしか

昔の雰囲気を偲ぶことができないのです。


そんなタイムカプセルが、思いがけず目の前に出現したような気がして

壁に嵌め込まれた名前を見て周りました。




空をみる人

赤坂区丹後町は現在の赤坂2丁目付近らしいです。

赤坂国際ビルやコマツのビルがある辺りでしょうか。




空をみる人


州崎弁天町は現在の江東区東陽町。

かつては吉原と並ぶ都内の代表的な遊郭があったところだそうです。




空をみる人

「赤坂田町」の文字が見えます。

これはJRの田町ではなく、外堀通りから内側に入った道筋で

一ツ木通りと平行する道に「田町通り」の名があるので現在も場所が分かります。




空をみる人


「新吉原」の文字が読めます。




空をみる人

こちらは最初の字が割れていますが


○町紀尾井町矢○藤右衛門と読めるような?




空をみる人



昨日、二度目に行ったとき、もう一度壁をよく見たら

驚いたことに、地面すれすれの所にも、こんな名前が刻まれていました。

白という字が見えるので白金でしょうか?

さすがに風化が激しく、全体の文字が薄れています。




空をみる人

これは「兜町」と書いてあるような?


こうした所に名を刻まれる人は、当時かなり羽振りの良かった人や店なのでしょうね。


改めて豊川稲荷の歴史を調べたところ


もともとこの稲荷は大岡越前守の屋敷稲荷だったとか。

その後一般の人にも人気が出て

幾つかの紆余曲折があった後

明治20年に現在の場所に移転したのだそうです。


江戸時代には大岡越前守の影響か

立身出世のご利益があると人気だったようです。

明治以降は赤坂は花柳界が発展したため

芸事を生業とする人からの信心も増えたということです。


昨日、山門を潜ったときに感じた骨太の存在感は

はやり武士に由来するものだったのか、

と改めて納得しました。




空をみる人

横の壁は、もう来年の準備ができていました。

こちらには江戸火消しの組が一番から十ばんまで掘ってありました。


さて、土色の壁ばかり見ているのも浮世離れしているので・・・

帰り道には自分にご褒美、買っちゃいました (‐^▽^‐)


一ツ木通りの老舗和菓子屋さん、「松月」で・・・




空をみる人


みたらし団子と利休饅頭 音譜

熱いほうじ茶と一緒に頂きました。ご馳走様でした お団子お茶