大震災が起こった3月11日から1年が経ちました。

信じられないほどの大惨事を前に

言葉を失って過ごした日々が365日という数になったのか

と複雑な思いです。

その中で感じたことを自分なりにまとめておこう

と、実は2月くらいから少しずつ下書きを書いていたのですが

考えこむばかりでなかなか進まず

ほんじゃらもんじゃら・・・う~むあせる

で、活躍するのはDeleteとBackspaceばかり


こんなことしていても何の意味もないな~

もう、止めようかな・・・

とパソコンの前を離れたとたんスッと頭に浮かんだのは

子どものときのお絵かきでした。


あ~・・・なんだ、そうだったんだ(-^□^-)


子どものときのお絵かきは

手元にあるクレヨンを目一杯使って

何の迷いもなくグイグイ描いたっけ。

女の子(自分のつもり)と家(自宅のつもり)を並べて描いて

同じ大きさでも少しも変だと思わなかった。

描いた線を修正しようなんて考えもせず

描きたいだけ描いて、

今度は外遊びに飛び出していったっけ!


さすがに今は同じようには出来ないけれど

なるべく素直に書いてみよう、と思いました。

いつもながら前置きが長くなりましたが・・・


本文も長くなりそうなので2回に分けました。

備忘録のようなものですが・・・

読んでくださると嬉しいです(*゚.゚)ゞ


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話が跳んでしまうようですが・・・

去年ブログを始めた頃に

「究極のライブパフォーマンス」というタイトルで

会社の近くを掃除して歩く人について書いたことがあります。


その人は世間ではホームレスと呼ばれているでしょうが

歳は70代半ば、ハリガネのように痩せた体と

日焼けした顔色が独特の雰囲気をかもし出しており

絶対に誰とも口を利かないので

この人については何も分からないのですが

街の中を飄々とした風貌で徹底的に掃除をして回っています。

そして掃除の合い間に

箒や木の枝をスティック代わりに

歩道橋の手すりや消火栓を打楽器に見立て

目にも留まらぬ速さで叩いてリズムを取りながら

口笛でメロディーを奏でます。

その曲は、ときには童謡、あるときは懐メロ

また、遠い国の・・・まるで遊牧民が奏でるような

不思議な旋律だったりします。

私と同僚の玉子さんは、昼休みにたまたまこのライブに出会うと

邪魔をしないようにそっと通り過ぎながら

じっと聞き入るのです。

私達は密かにこの人を「掃除の神様」と呼んでいます。


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3月11日、大震災のあと

1週間は自宅待機になりました。

長距離通勤者が多いなか、交通網はズタズタで

余震も続いていたので適切な判断だと思います。

でも私は比較的、家が近いのと

期日までに出さなくてはいけない仕事があり

誰に強要された訳でもないけれど

一日だけひとりで会社で仕事をしました。


職場は古いビルの3階にあり

地震が起こったとき

キャビネットは倒れ

ロッカーやスチール棚は動きだし

棚の書類は雪崩落ちて

コピー機もズルズルとフロアの真ん中に滑り出して

足の踏み場もない有様でした。

誰もケガをしなかったのは幸いでしたが

それを片付けることも出来ずにそのまま自宅待機になり・・・


だから私が出社したときも足の踏み場もない状況の中

雪崩落ちたファイルを跨いで自分のデスクに行きました。

まだ大きな余震が続いていましたが

不思議なことに

私がオフィスにいる間は一度も揺れませんでした。


いつものようにかけているラジオから聞こえてくる小さな音だけが

唯一、世間とのかすかな繋がり・・・

いつもなら聞こえる車の音も

人の話し声もなく

不思議なほどシンと静まりかえった時間でした。


ようやく仕事を仕上げ念のため見直しているとき

外から、口笛が聞こえてきました。


「掃除の神様」の口笛だ!


時々、ビルの前を通る時に

一小節だけ大きく聞こえ

やがてだんだん遠ざかっていくのを聴いていました。

でもこの日は、何故か遠ざかっていかない!

まるで目の前で吹いているように

力強いメロデイーがずっと続いています。

そのとき聴いたメロディーは今まで聴いたことのない

不思議な旋律でした。

仕事の手を止めてじっと聴いていると

目の前に思いがけない情景が浮かんできました。


誰もしらない深い山の中、

苔生した岩の間から滴り落ちる水滴

それが小さな流れになって沢へ注ぎ

麓の平地で小川となり

やがて大きな河に流れ込んで海へ進んで行く。


大きな河の中の一滴の水


それは私だ・・・

ということに気がつきました。

大きな河の中で、たった一滴の水に何ができるだろう。

抗うことも出来ず、ただ、ただ流されて行く・・・


     

でも、何で抗うの?


という声も心の中にありました。

流れがあるのなら委ねてみる

それでいいんじゃないの?と・・・


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その日私が誰に頼まれた訳でもないのに

一人で職場に出かけたのは

この口笛を聴くためだったのかも?

とあとになって思いました。


この頃、自分ではいたって冷静なつもりだったけど

実は異常に緊張した精神状態だったのですね。

大惨事を目の前にして、

それは当然のことだったとは思いますが

でも・・・

あの日聴いた口笛は

神様からのささやかなメッセージかもしれない

と思っています。


震災で奪われたものに

意味を見つけることは出来ない

大自然から突きつけられた理不尽な悲しみに

なぜ?と考えていても先には進めない

それでも一滴の水はたしかにここにいる

その一滴ずつが集まって

広い広い海へ行くんだよ

と教えてくれたような気がします。