母が1月に90歳になった。

年末に久しぶりに電話をくれたいとこに

「おばちゃん何歳になった?」

と聞かれて

「年が明けたらすぐに90歳になる」

と言ったら

「ええ?まだ90?もっといってると思った」

と言われた。


確かに、母は健康寿命が短かったなぁと思った。

80歳ぐらいでもう介護認定してもらってたんじゃないかな?


私の娘が高校生になって間もなくの頃に

それまでやってくれていた家事いっさいを

「もう、やめた!!」

と宣言して、自分の部屋にこもるようになったんだけど…

今から思うと、それからどんどん体も頭も老化していった。


娘が15歳ぐらいだったから(現在37歳)

…母は67か68ぐらいだった?

ということは70歳過ぎ頃から自室にこもってベッドに寝そべって

テレビを朝から夜中まで見ていたのか?


あ~だけど私がいる時は一緒に外出してたな。


家事は本当に全くしなくなったけど

(そのとばっちりが全部私に来た)

買い物に行ったりスーパー銭湯に行ったり

私と一緒にあちこち出かけてた。


でもやはり介護が必要になってかれこれ10年は経つんだ


最初は何もわからず、適当にお世話していたけど

その時のケアマネさん、何もアドバイスしてくれなかったけど

多分何がわからないのかもわからなかったんだと思う


オムツひとつとっても、ただ紙パンツ履かせていただけで

尿取りパッドを中に入れるってことも知らなかったし

パッドも4回分から12回分まで様々な厚さのものがあるって知ったのはずいぶん後になってからだった。


とにかく知識もないまま、ただ自宅で母のお世話をするのが在宅介護だと思っていた。



今は主治医と看護師さんが連携している病院で、在宅医療や往診、訪問看護をしてもらっている。

それと週1回の訪問入浴

そして3ヶ月に1度の訪問歯科

今月から訪問薬剤師も加わった。


先月の肺炎騒ぎの時に、自宅で点滴するのにいろいろあって

訪問薬剤師を入れておいたほうがいいということになった。


食事は朝はエンシュア、昼はドラッグストアーで売っている介護食か簡単なおかずをミキサーでペースト状にしたもの、

夜は最近はもっぱらアイソカル

だんだん食べる量が減ってきたので、少量でも高カロリーのものを食べさせるようにしている。


母の状態は波があって、弱ってきたと思うとまた食欲も出てきたり

ぼーっとしていると思えば減らず口言ったり

スイッチが入ったり切れたりという感じ


私は母のことを昔は大好きだった。

それが、母が暴言吐くようになってから

共依存だったと気づいて母を憎むようになった。

でも母がどんどんボケていく中で

暴言は認知症の薬のせいだと知り、

いろいろ考えるうちに母のことがいとおしくなった。

最近はもうほとんどボケてしまった母

私のこともわからない(たまにわかる時があるけど)

そんな母に心の底から感謝している。

今日も生きていてくれてありがとさん


1日でも長生きしてほしいと思う。



ずっと深く眠れてなくて

夜中に何度も目が覚める

しかも「あれ?揺れてる?」って思いが

ずっと続いている


ゆうべもほとんど眠れなかった

そしたら朝起き上がったらめまいが


頭も痛いし何もやる気がない


「面倒くさい」という感情は

認知症の始まりだよと娘に言われた

実際、本当に何もかもが面倒くさくなった


母の食事を用意するのも億劫


でも、母の介護があるから仕方なく1日のルーティングがこなせている


母がいなかったら、朝でも起き出さないし

昼ごはんや晩ごはんなんて食べずに

お腹が減ったらお菓子や何かをつまんで済ませると思う


とにかく、母の世話以外は全くやる気なし

着物リメイクも虚しくなってしまった



母がいるから外出も控えてる

もしも外出中にまた地震が起きたらと不安で

お風呂もゆっくり入れなくなった

もしも今また大きな地震が起きたらと

常に考えてしまって

早々にシャワー浴びて終わり


やっとちょっと落ち着いたかな?と思うと

また緊急地震警報が鳴るし


精神的に参っているけど…

同じように参っている人が増えているらしい

昨日来た母のケアマネさんが言ってた


私と同年代の人はそうだろうなぁ

何せこんな大きな地震は初めてだったからなぁ


だけど今年は雪が少なくて、雪かきしなくて済む分ラクだ

これが何センチも雪が積もったら

毎日雪かきしなくてはならない





それにしても

美しい能登の海岸線沿いも

もうドライブできないのかと思うと悲しい

(何年も能登へは行ってないけど)


金沢からは3時間以上かかるから

むしろ高速道路で滋賀や京都に行ったほうが楽かな?と思っていた(^^;


でも、能登半島は石川県の誇りだった

何年かかるかわからないけど

立派に復興されることを願います










被災者でもないのに

相当精神的にダメージ受けて

何もやる気が出ない


それでも気を取り直して、スーパーへ買い物に行って来た

新年明けて二度目の外出

昨日初めて外出して、車にガソリンを入れて灯油をポリタンク2つ入れて来た


年末年始に出かけるならと娘が車を貸してくれたけど

元旦に生まれて初めての大きな地震があったので

全く出かける気になれなかった


スーパーでは国内産の牛肉の薄切りが

30%引きのシールが貼られたものがあったので、3パック買って娘宅に持って行った


ついでに娘宅のワンコを借りてきた

チワワとマルチーズのMIX犬

めっちゃ癒される〜


この子はもう9年経つ老犬(中年犬?)だけど、遊び好きでミッキーの小さなぬいぐるみを投げると走って取ってきて

また投げろという

この遊びを飽きずに延々とやりたがる


去年娘宅に新しく2匹目を飼ったので

娘宅はワンコ2匹

この2匹目がチワシーといって

チワワとシーズーのMIX犬

見た目は完全なシーズー


私が以前飼っていた愛犬がシーズーなので、シーズーが可愛いくてたまらないけど

新顔のチワシーが元気過ぎて

チワマルのほうが滅入って(嫌がって)

全然仲良くないので

私が行くと「連れてって~」と

訴えてくるので連れてきた


チワマルものびのび遊んでいるし

私も癒されて

気分転換ができた


今晩はお泊まりさせる予定


余震が続いているので

本当に参ってしまっている

しかも最初の大揺れで、物が定位置からなくなっていて

あれ?どこいった?っていちいち探さないといけないストレス



今一番気がかりなのは

自宅の下にあると思われる活断層

森本富樫断層帯

能登半島地震の影響を受けて

連動するのではないかと思っている


白山も噴火する可能性を以前から指摘されているし


海沿いは津波の心配

市内では液状化している場所もある

山沿いは崖崩れや山崩れが心配

(実際崩れて通行止になっている箇所がある)

そして活断層の恐怖


石川県のどこにいても危険な感じ



はぁぁ……

もう終わりだなぁ

終わりの始まりといった感じがする


これを書いている間も、震度1未満の微妙な揺れが数回


(母は全く地震がわかっていないけど、年末の肺炎以来目に見えて弱ってきた感じがする…食欲もないし)



ただただ滅入るばかり


またワンコと遊ぶことにする




それにしても!

珠洲で大地震が起きるってずっと言われ続けていたのに

対策してなかったのか?

避難所に非常用簡易トイレとか紙オムツとか非常食など大量に備蓄しておくべきだったのでは?

珠洲市は高齢者ばかりで過疎化しているから市の予算では無理だろうけど

県や国は何をしていたのでしょうか?


今更言っても仕方ないけど…

馳じゃなくて前知事の谷本さんだったら

もっと迅速に指揮できたことでしょう

知事の経験が長くて何度も県内の地震や災害を経験しておられるから


せめて県内にいたら、実際に揺れの凄まじさを体感して

危機感を持って陣頭指揮ができたと思う


やっぱり単身赴任の県知事なんてダメですよ!(私は彼に投票しなかった)

次は馳氏再選はあり得ないと思いますよ!


国会議員も!己の私服を肥やすことばかりで

首相も外国にバラマキばっかりやって


皇室はと言えば、

今上天皇をお支えすることもしないで邪魔すること簒奪することばかり考えている、血統の疑わしい人がやりたい放題の現状


そりゃあ神様がお怒りになりますよ


(ノ_<。)

日本は神の国

神様と民をつなぐお役目をするのが天皇


何かめちゃくちゃいっぱい書いてしまった