自己紹介
姉、兄、姉、私

父は、平成12年の3月28日に他界。
父が45歳の時に私は、末っ子として生まれ
すぐ上の姉は学年だと9歳上。
兄は、私より10歳上。
1番上の姉は、16歳上。

父は、職人として仕事をしながら4人の子供を
育ててくれました。
母は、最初は、専業主婦でしたが、
父が、51歳の時に糖尿病になり長期入院をして
から
パートに出るようになり、やがて正社員として
働いていました。
父は、糖尿病が安定すると、また職人として仕事をしていましたが、
脳血栓を起こしてしまい、最初は言語機能をやられ、リハビリをして
時短で倉庫内の仕事に転職。
しかし、私が20歳の時に心臓の状態が悪くなり
バイパス手術をしましたが、術後に主治医の先生と話している時に脳梗塞を起こして
左半身不随。
65歳から亡くなるまで寝たきりになりました。
そんな父の介護をしながら
母は、仕事をし、家事をし、
昼休みには、必ず自宅に戻って父に昼食を食べさせて、オムツを交換し
また、職場に戻る生活を12年ずっと1人で
やっていました。
享年77歳でした。私には その頃
2人の娘達が生まれていて
長女は、春休みになっていたので
私の実家に泊まりに行っていて 
私は、土日祝だけ仕事復帰していて
迎えに行くと、次女は帰る~と言って
小さかったのもあり、長女は小学校2年から3年になる前の春休み。
次女は4歳。
母が大変だから、連れて帰りたかったのですが
不思議と、その日は帰らず居ると言いました。
次女は保育園なので連れて帰り
普通の平日を迎えていましたが、
平成12年、3月27日の夕方は、残った長女が
父(お爺ちゃんの異変に気づき)が冷や汗、
震えてると、母の働いている会社まで自転車で
知らせに行き
急いで帰宅した母は、一瞬  低血糖症かな?と
思い、ブドウ糖の飴を舐めさせたりしていて
長女が救急車を読んだそうです。

少しして
私の家に電話で「お父さん、救急車で運ばれた。」との知らせ。後から聞いた話では
救急車の中で心停止があり、心臓マッサージと
人工呼吸。
病院に到着してからは
蘇生され、私や旦那と次女が着く頃には
人工呼吸器に繋がれていて
個室で、心電図や、サーチュレーションを測る
機械が指に付いていました。
導尿によりオシッコの管も入れられ
すでに、意識不明。
目は瞳孔が開きかけていて
御家族に会わせたい人にはご連絡をと.......
医師に言われました。

すぐ上の姉は、北海道へ旅行へ行っていて
いつも泊まるホテルに宿泊してなくて
携帯は、電源が入ってなく。

兄は、奥さんのお父さんも
数日前に、父と同じ状況で連絡が付かず、
1番上の姉には連絡が取れました。

そんなこんなで、父が他界してからは
母は、定年退職をし、
ゆっくりと老後を暮らしていましたが
2年前の秋の10月27日の朝
愛犬にご飯を与えるために
お水と、エサのお皿が持てずに
こぼしてしまい、
口からヨダレがつーっと出てしまい
言葉は出せない。
姉は、すぐ脳梗塞だと確信し
救急車を呼び搬送。
左の脳の大半が真っ白になり言語と、飲み込む機能の神経の場所が脳梗塞でやられていて
右側が軽い麻痺。
高次機能障害も出ていて脳が混乱している状態でした。
あれから2年弱。
日に日に、食べる量が減り
43キロ無いくらいまで痩せ
飲み込み低下がさらに低下。
トイレも間に合わなくなるためオムツにして貰い
ゆっくりと老衰へ傾いているようです。

主治医の先生には
覚悟を決めて、万が一の時が来ると
頭に入れておくこと。と仰いました。

85歳で
11月には86歳になる母。
週に3回は、高齢者デイサービスに行き
残りの4日は私がご飯を作って食べさせます。
オムツ交換もします。

達筆だった写経も書けなくなり
日中は、傾眠気味で寝ている時間が増えました。
大好きなテレビも観ると言う意欲がなく
ただ、付けていて
音は出さずに観ているだけ?眺めている状態。

先日、主治医の先生に
脳の萎縮がかなり進んでいるから
やがて、あなた達の名前も分からなくなります。と.......。

夏の熱中症
寒くなったら血圧が上がり2度目の脳梗塞が
1番怖いとのこと。