朝、今日は珍しく、
長男が登校班の集合時間に
間に合った日でした。

家のカーポートの雪が、
今にも落ちそうになっていました。

それに気づいた長男は、
必死に私に訴えてきました。

けれどその時、
私は家の用事をしていて、
姑も手が離せず、
夫はトイレに入っていました。

「分かったから。パパがトイレを終えたら見るから」

そう、少し語気の強い言い方をしてしまいました。

その瞬間、
長男の中で何かが切れたようでした。

「みんな、自分が一生懸命話しているのに無視する」

そう言って、

玄関のドアをガンガンと蹴り始めました。

その光景を見た瞬間、
家の物が壊れる悲しさ、
学校でドアを蹴ったこと、
先生への暴力――
これまでの出来事が一気に蘇りました。

しかも、登校班の子どもたちが見ていました。

それでも構わず、長男はドアを蹴り続けました。

私は一気に感情が溢れ、
長男の胸をパンチしてしまいました。

「反面教師!虐待!」

そう言われて、
胸が締めつけられる思いがしました。

「もう限界だ。
学校にも迷惑をかけて、
また同じことをされると思うと、
安心して行かせられない」

私は叫んでいました。

長男はさらに、
玄関の内側の扉を蹴り、

「ママのブーツを切ってやる」

そう言って、
ハサミを持ちました。

長男も、

「自分も、限界なんだよ」
と言いました。

夫がカーポートの雪を下ろし、

「言ってもらって良かった」と

長男をなだめました。

しばらく固まったあと、
十五分ほど遅れて、
長男は学校へ向かいました。

原因を考えれば、
最初に長男の訴えを
十分に聞けなかったこと。

その後も、
余裕のない言い方をしてしまったこと。

そして、
人目もはばからずドアを蹴った長男。

それに反応して、
手が出てしまった私。

「お前がそうだから、オレもそうなんだよ」

そう言われると、

返す言葉がありませんでした。

私は本当に、
限界だったのだと思います。

長男は、
話を聞こうとした私に

「それを言われるのは嫌だ」

と言いました。

だから私は、
夫に任せて、その場を離れました。

もう、どうすることもできませんでした。

この出来事を振り返りながら、
私は自分に問い続けています。

なぜ私は、
解決しようとしてしまうのだろう。

だから、
また同じことの繰り返しに
見えてしまうのだろうか。

話を聞いてもらえない状況は、
誰にでもあります。

それでも
「仕方ない」と割り切れない長男。

なぜ、
こんなにも苦しくなるのでしょうか。

答えは、まだ出ていません。

ただひとつ分かっているのは、

これは「失敗談」でも
「教訓」でもなく、

限界の中で、
それでも一緒に生きようとしている
親子の、ある朝の記録だということです。

今日は、
結論を出さなくていいと思っています。

「疲れた」と
書き残すことだけで、
今は十分なのかもしれません。

※後書き
うちの長男は、
いわゆる
「2E(ギフテッド+発達特性)」の子どもです。
物事を深く、正確に捉える力がある一方で、
感情の処理や切り替えが
とても難しい面があります。

「危ない」
「おかしい」
「今すぐ伝えるべきだ」

そう感じたことは、
彼の中では「事実」であり、
同時に強い「感情」でもあります。

そのため、
話を聞いてもらえない状況を
「仕方ない」と
割り切ることができません。

それは甘えでも、
わがままでもなく、
世界をそのまま
受け取りすぎてしまう特性なのだと、
私は少しずつ
理解するようになりました。

そして同時に、
その世界を一緒に生きる
親である私自身も、
万能ではなく、
限界を抱えた
一人の人間です。

この朝の出来事は、
特性のある子を育てる
大変さだけでなく、

「分かろうとし続けることの、しんどさ」

そのものだったのかもしれません。

答えは、まだ出ていません。

ただ、
同じように悩み、
立ち尽くしている誰かがいるなら、

この記録が
「ひとりじゃない」と
感じるきっかけになれば、
そう願っています。

noteにも投稿しております。
↓↓
また、学校から呼び出されました。
仕事終わりに、夫と一緒に学校へ。
何度も経験しているはずなのに、
この道はやっぱり慣れません。

正直に言うと、
「またか…」
「いつまで謝るんだろう…」
そんな気持ちが湧いていました。

息子は担任の先生から注意を受けたことを
受け止めきれず、
教室の扉を蹴ってしまい、
その拍子で窓ガラスが割れました。

これまでも、
感情が限界になると
物や大人に向かってしまうことがありました。

学校側の困りごとも、
安全面や業務のことを考えると
とてもよく分かります。

だから謝罪も、対応も、必要です。

息子は2Eギフテッドです。
分かっている。
感じている。
でも、感情を言葉にするのがとても難しい。
本人も言います。

「なんでそうなるのか、自分でも分からない」
「その時にならないと分からない」

これは反抗ではなく、
限界を超えたときの反応だと
私は感じています。

しかも今は、三学期。

卒業が見えてきて、
周りからは「もう大丈夫」「成長した」
と言われやすい時期。

でも2Eギフテッドの子にとっては、
先の不安を感じすぎてしまう
支援が減りやすい。

「あと少し」が一番苦しい
そんな時期でもあります。

荒れは、
成長していないサインではなく、
抱えすぎているサインなのかもしれません。

今回、出来事自体はこれまでと同じでした。

謝罪をして、
連絡をして、
やることをやる。

でも、ひとつ違ったのは、

私の心があまり荒れなかったこと。

なぜだろう?
と考えて、気づきました。

私は今回、
「どうしたらいい?」
「何を変えたらいい?」
と考える代わりに、

ただ、
自分の気持ちを言葉にしていました。

・しんどい
・疲れた
・また同じことを思ってる
・答えは出ない
それをアウトプットしました。

すると、
問題は解決していないのに、
私の中に落ち着きが戻ってきました。

何かを解決しなきゃ、
何かを変えなきゃ、
そう思い続けてきたけれど、
私にとって一番必要だったのは、
**「何かをすること」ではなく
「自分の状態に戻ること」**だったのかもしれません。

2Eギフテッドの子育ては、
正解が見えにくくて、
親の心も揺さぶられます。

問題は、きっとこれからも起きる。

でも私は、
言語化できている限り、
自分の場所に戻れる気がしています。

もし今、
同じように疲れている方がいたら。

「何かしなきゃ」と思えなくても、
まずは言葉にするだけでいいのかも
しれません。

詳しくはnoteに書きました指差し


結果が出ていないだけなのに、
心がざわつくことがあります。

子どもを見ているはずなのに、
見ていたのは「安心できない自分」だった。

そんなことに、
最近気づきました。

私は長いあいだ、

「結果を出すことで安心する」

という世界に生きてきました。

年長からスイミングを始めた私。

大学4年生まで、水泳を続けました。

水泳は、とても分かりやすい世界でした。

頑張れば速くなり、
タイムや成績が
自分の居場所を教えてくれる。

父が怖かった家庭で育った私にとって、
その分かりやすさは、安心そのものでした。

結果を出せば、

ここにいていい。
何も言われない。
怒られない。

そんな感覚を、
私は体で覚えていったのだと思います。

結果を出すことが、
「大丈夫」を代わりに言ってくれていました。

だから私は、泳ぎ続けました。

全国入賞を目標に。

それは努力や根性という言葉で
語られがちですが、

今思えば、
生き延びるための選択だったのだと思います。

大学時代の水泳は、
正直に言うと、
楽しいものではありませんでした。

推薦で入学したのに、
ベストタイムは4年間出ませんでした。

親には、
たくさんのお金を出してもらっていました。

その事実が、
いつも胸の奥にありました。

辞めたい、と思ったことは何度もあります。

でも、辞められませんでした。

水泳が好きだったからではありません。

結果が出なければ、
辞めるという選択肢すら
私の中にはなかったのです。

練習はつらく、
結果は出ず、
心はどんどん置き去りになっていきました。

今振り返ると、
あの頃の私は泳いでいたというより、
期待という水の中で、
沈まないようにもがいていたのだと
思います。

やがて私は水泳の先生になり、
(指導歴は23年に)
母になりました。
(母歴は12年に)

長男は、ギフテッドで2Eです。

高い力と同時に、
繊細さや生きづらさを持っています。

努力すれば報われる。

積み上げれば前に進める。

そんな単純な法則が
通用しない場面に、
何度も立ち会うことになりました。

実は、子どもたちが生まれる前、
兄弟で水泳のオリンピック選手にしたい、
そんなことを本気で考えていました。

今思えばそれは、
夢というより、
私自身が安心するための
願いだったのかもしれません。

水泳は、
私に価値と居場所をくれた世界でした。

だから無意識に、
「この世界を渡せたら、
この子たちも迷わず生きられる」

そんなふうに思っていたのです。

でも現実は、
思い描いていた通りには進みませんでした。

長男は、集団で習うことが合わないタイプで、
スイミングを習いたいとは言いませんでした。

次男は「やってみたい」と言ってくれたので、
2年前からスイミングを続けていますが、
風邪や怪我での欠席が多く、
進級はとてもゆっくりです。

私は口では、

「ゆっくりでいいよ」

「その子のペースでいい」

そう言っていました。

けれど同時に、
それだけではない感情も、
確かにありました。

心の奥にあったのは、
悔しさでした。

子どもたちが頑張っていないわけでも、
才能がないわけでもありません。

それなのに、
私はなぜこんなにも
落ち着かなかったのだろう。

あるとき、
ふと気づきました。

私は子どもを見ていたのではなく、

「結果が出ない世界にいる自分」

をどう扱っていいか分からなかった
のだと。

次男を見たとき、

無意識に浮かぶイメージがあります。

「遅れている」

「惜しい」

「ちゃんとやればいけるのに」

その見方は、
正しいかどうかではなく、

私が安心するための視点でした。

そう気づいた瞬間、
私は初めて、
子どもと自分を切り分けて
見ることができました。

ギフテッドや2Eの子育ては、
結果が見えにくい時間が
長く続きます。

評価よりも、
目に見えない葛藤や消耗の方が多い。

だから私は、
何度も問いに立たされます。

結果が出ていなくても、
この子は大丈夫だろうか。

そして私は、
このままで大丈夫だろうか。

大学時代、
私は「辞めたい」と思っても、
辞めることができませんでした。

結果よりも、
期待に応える役割を選んだからです。

だから今、
母として私は立ち止まります。

この選択は、
この子の在り方を守っているだろうか。

それとも、
私の不安を埋めているだけだろうか。

私は今、
結果を急がない在り方を
練習しているのかもしれません。

私がこれまで歩いてきた道は、

順位やタイムがある
評価が目に見える
「頑張っている証」が外に現れる
結果を出せば、安心できる

そんな道でした。

そして無意識に、

その道を
「安全な道」
「生きやすい道」
だと信じてきました。

だからこそ、
子どもたちにも

同じ地図を渡そうとしたのだと思います。

でも、
子どもたちは、

結果で自分を証明する道

速さや段階で評価される道

「ちゃんと進む」ことが前提の道

を、体感的に選ばなかった。

それは怠けでも失敗でもなく、
感受性としての選択です。

正直に言うと、

私はまだ、
すべての自己防衛を
手放せているわけではありません。

結果が出ない時間が続くと、

今でもどこかで、
早く安心したくなります。

この経験には意味がある。

この時間は、きっと糧になる。

そう言葉にして、
前に進もうとする自分がいます。

それはきっと、
長いあいだ
結果で自分を守ってきた私の、
名残なのだと思います。

進まない時間に、
ただ立ち尽くすこと。

何者にもならないまま、
そこにいること。

それは、
今の私にとっても、
まだ少し怖いのです。

それでも私は、
以前のように、

結果だけを頼りに
安心しようとはしていない
自分に気づいています。

もし今、
子どもの結果や進み方に、
理由の分からない苦しさを
感じている方がいたとしたら、

それは、
あなたが悪いわけではありません。

ただ、
守ろうとしてきた歴史が、
まだそこに息をしているだけかも
しれません。

noteにも投稿しております。
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