神戸港震災メモリアルパーク | 三浦半島デジカメ便り(mirror)

三浦半島デジカメ便り(mirror)

おもに三浦半島で撮ったデジカメ写真。 四季折々の花や海。旬の風景を紹介します。 本家→http://helvetica.blog2.fc2.com/


1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した、阪神・淡路大震災。死者6,434名。
その日から今日で16年が経ちました。(今の中学生はまだ生まれてなかったんですね)
僕は19歳まで神戸で生まれ育ちましたが、それからは実家を出てずっと関東で暮らしています。
震災があったのは32歳の時でした。
その頃、NHKラジオの「ラジオ深夜便」という番組を聴きながら寝る習慣があり
明け方「神戸で震度7の地震…」というアナウンサーの声が枕元で聞こえた時
近未来ラジオドラマかなんかかな?と夢うつつに聴いていたのでした。
しかしそのアナウンスがあまりに繰り返され緊迫感があったので起き上がりテレビをつけたのです。
映像は1月の朝6時前ですからまだ真っ暗な風景の上に「神戸で大地震、死者5名…」とテロップが流れていました。
(死者数はその後爆発的に増えて行くのですが最初は本当にそうだったのです)
現実だったんだ!時間がたち明るくなるほどに地震の凄さ被害の甚大さが顕わになってきます。
上の写真のような阪神高速が横倒しになっているヘリからの映像を見た時は愕然としました。
そして市街地のあちこちからのぼる火の手と煙。
家族のいる実家は無事なのか?どうしようもない不安と恐怖を感じつつテレビ画面に流れる
「被災地への電話は緊急救助連絡の妨げとなるのでお控えください」
というテロップを正直に受け取り電話しなったのです。
後から考えればその時間ならまだ電話は通じていたらしいです。
連絡がとれないまま悶々とする2日後、やっと電話があり
結果的に我が家は建物にひびが入ったくらいで全員無事でした。
(しかし食器棚や本棚からあらゆるものが飛び落ちて足の踏み場も無かったそうです)
そして電気、水道、ガス、全て止まったので何日かを近くの学校で過ごしたそうです。

あの時の事は自分は東京にいたので、震災について語る資格は無いと思っています。
被災された方のご苦労や悲しみは体験していない者には解り得るはずがありません。

110117阪神大震災2
神戸港震災メモリアルパーク
去年の夏帰省した時に撮ったものです。

大震災の教訓、港の重要性、日本国内外の多くの人が一体となって港の復旧・復興に努めた様子を後世に伝えようと、
メリケンパークの岸壁の一部・約60メートルを被災当時のままの状態で保存している。
近くには休憩所を兼ねた展示スペースもあり、阪神・淡路大震災の記録写真パネルなど、
当時の被害状況の資料が展示されている。

110117阪神大震災3

110117阪神大震災4

110117阪神大震災5
阪神淡路大震災メモリアルモニュメント・1.17希望の灯り/ 三宮東遊園地。

110117阪神大震災6
「1.17希望の灯り」は、阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)の犠牲となった人々の鎮魂と慰霊、
そして、大きなダメージを受けた神戸の復興と再生を願って2000年1月17日に
メモリアルモニュメントとして東遊園地で灯されました。

ご冥福をお祈りいたします。



(現在15位)
励みになります。ありがとうございます。

姉妹ブログ「顔道(かおどう)」更新しました。今日の顔は「ジョイント犬」