録画していた映画「パヴァロッティ  太陽のテノール」(2019年 ロン・ハワード監督 1時間55分)を見た。ルチアーノ・パヴァロッティ(1935年10月12日〜2007年9月6日 享年71)の伝記映画はかなりあるが、この映画は、晩年に捨てられた糟糠の妻、その3人の娘、糟糠の妻に代わった再婚相手の若い女秘書、さらにかつて身を引いた愛人まで登場する。なかなか踏み込んだ「人間パヴァロッティ」を描いている。さらに、マネジメント・プロモーターが代わったことで、オペラ歌手からビッグイベントのエンターテイナーに変貌するあたりの描き方も見事だ。この路線が爆発的な人気につながって一部に批判も起こった。

しかし、その声を聞いて誰もがパヴァロッティと分かった「神から与えられた声」の魅力には抗し難かった。本当に素晴らしい「キング・オブ・ハイC」であった。

「ラ・ボエーム」のロドルフォがなんと言っても当たり役だが、「トスカ」のカヴァラドッシ、「連隊の娘」のトニオ、「トゥーランドット 」のカラフ、「ルチア」のエドガルド、「リゴレット」のマントヴァ公爵、「愛の妙薬」のネモリーノ、「道化師」のカニオなどを得意にしたが、意外にレパートリーは少ないように思う。そのため楽譜が読めない疑惑がいつも持ち上がった。本人は「スコア(総譜)は読めないが、自分のパートは読めるよ」と言っていたようだ。

最高の切り札は、「トゥーランドット 」のカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」(ネッスン・ドルゴ)だろう。1971年にイタリア歌劇団来日公演では「リゴレット」のマントヴァ公爵のアリア「女心の歌」に興奮した客が舞台まで駆け上がりパヴァロッティに抱きついたエピソードは有名だが、その気持ちは実によく分かる。20世紀前半に活躍したイタリアのテノールカルーソー(1873〜1921)を意識していたというが、明らかに凌駕していたのではないだろうか。ランブルスコという安い発泡性の赤ワインを常飲し、何よりもパスタを愛して、それ故に肥満を超えた愛すべき巨漢になってしまったザ・イタリアーノのその大衆性も人気の秘密だったかもしれない。

私は、1996年6月の国立霞ヶ丘競技場でのドミンゴ、カレーラスとの三大テノールイベント(レヴァイン指揮フィルハーモニア管弦楽団)と2004年の引退ワールドツァーの皮切りだった東京国際フォーラムでの公演(拡声マイク使用)を聞いている。どちらもあまり印象には残っていない。特に国際フォーラムでは、コントのつもりなのか、「お〜い、スティーブ、またマイクの調子が悪いぞ〜」と舞台裏に向かって叫ぶギャグを連発して観客を笑わせていたのが思い出される。いるだけで笑ってしまう男だった。