戦艦大和を浮上させる
海底3500mに沈んでいる、戦艦大和を、日本国民の努力で、浮上させたいと思います。
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引き上げに要する費用


改訂の戦艦大和
サルベージ会社・潜水夫などの予想では、海上吊り上げが一億円、曳き船が二千万円、上陸に当たっては、展示場の確保、曳航ルート等様々な障害があり、なかなか実現は容易ではなさそうである。

海底の戦艦「大和」のディオラマ;1999年8月に海底探査を行ったが、その資料をもとに作成。


海底の戦艦「大和」のディオラマ;1999年8月に海底探査を行ったが、その資料をもとに作成。


(〒259-1292 神奈川県平塚市北金目1117 
東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程 鳥飼 行博氏の資料を基に作成)

不沈戦艦大和の最期

昭和16年12月8日、日本海軍がハワイの太平洋艦隊を急襲の8日後、世界最大の主砲を備えた日本海軍最強の戦艦「大和」が竣工した。昨年東京で発見された設計図からは、当時最新の防護システムが施され、文字どおり不沈艦として設計されていた。
しかし、実戦では、アメリカ軍航空機の集中攻撃を受けて沈没した。不沈戦艦大和は、実戦でなぜ期待どおりの働きができなかったのか。なぜあえない最期をとげるにいたったのか。
かって無敵を誇った日本海軍滅亡の象徴とも言える、戦艦大和沈没のときを描く。


大和誕生のいきさつと極秘の不沈設計とは?
ロシアのバルチック艦隊 40センチ砲をもつアメリカ戦艦
全長263mの戦艦大和 日本海軍の旗艦戦艦三笠
防水区画の数は1,147 極秘兵器とされた大和
明治37年、日露戦争が勃発。翌年ロシアは、戦艦8隻を主力とするバルチック艦隊を日本に派遣、決戦を挑む。迎え撃つ日本海軍連合艦隊の主力は、旗艦三笠をはじめ、戦艦4隻、史上初めて戦艦同士の決戦が行われた。新型戦艦を備えた日本海軍は、ロシア艦隊をほとんど全滅させる大戦果を上げた。ロシアは、日本と講和を結ばざるを得なくなる。日本海軍の勝利は、世界に報道され、戦艦こそが、近代戦争の勝利を決定づける主役であることを、世界に印象づけることとなった。

在りし日の戦艦大和

戦艦大和スペック

戦艦大和の性能、武装(新造時)
満載排水量 7万2809トン公試排水量 6万9100トン  全長 263メートル  最大幅
38.9メートル 最大速力 27ノット 航続距離 7200海里(16ノット) 主砲 46センチ3連装砲塔3基(9門) 副砲 15.5センチ3連装砲塔4基(12門) 高角砲 12.7センチ2連装6基(12
門) 機銃 25ミリ3連装8基(24門)、13ミリ連装2基(4門) 馬力 15万馬力 機関 艦政本部式蒸気タービン4基4軸 費用 当時1億3780万円(現在に換算すると約2600億円、大和一隻分
の費用で東海道新幹線全線が完成できる) 燃料搭載量 満載搭載量6300トン(駆逐艦3隻分の重さ!) 乗組員 2800人


戦艦大和は、昭和12年に呉にて着工。昭和16年12月に海軍に引き渡され第一戦隊に編成されました。それまで旗艦を勤めてきた戦艦長門に変わり、山本五十六連合艦隊司令長官のもと旗艦を勤めることになります。

太平洋戦争が始まり、真珠湾攻撃の奇襲を皮切りに日本は快進撃は破竹の勢いで各地を占領しました。しかし大和は昭和17年6月のミッドウェイ海戦まで出番がありませんでした。ミッドウェイ海戦も出撃はしたものの主砲を唸らせることなく桂島帰還。

昭和18年には旗艦の座を兄弟艦である武蔵にその座を譲ることになります。

昭和19年6月マリアナ沖海戦にて敵戦闘機に向け主砲を発射。この時初めて大和の主砲が唸りをあげました。

昭和19年10月レイテ沖海戦にて大和は健闘するも武蔵など主力の戦艦を多数失い連合艦隊は事実上の壊滅を余儀なくされました。このレイテ沖海戦で日本が苦戦の末行ったのが神風特別攻撃隊でした。

その後大和は日本に戻りましたが、昭和20年4月に沖縄に出撃。この時すでに空を制する方に戦況を有利に出来ることは明らかでしたが、捨て身の戦術、特攻部隊を編成し出撃するのでした。

昭和20年4月7日九州坊ノ岬沖で400機近いアメリカの艦載機に波状攻撃を受け20本余りの魚雷、爆弾を受け午後2時23分に沈没しました。約3000名の乗組員がおられましたが、そのうち約2500人がこの時大和と共に戦死されました。

最後の戦いで大和の主砲が唸ることはありませんでした。