つい今しがた、
トイレットペーパーをホルダーに補充しようと
階段下の物置を探ってみると、
ありゃりゃ・・・・
気づけば在庫が残り1ロールじゃありませんか!あせる
 

 

 

世間で「買いだめ」騒動が起きていた頃、
まだ在庫あるし大丈夫、大丈夫~♪
と、呑気に構えていた私も、
実際「ない」となれば、
生活上、買いにいかないわけにはゆきません。
 

 

 

 

以前よりはだいぶ”紙モノ”の物流が
正常化してきたとは言え、
我が家の目の前にあるドラッグストアの棚は
何故か未だに週のほとんどが空っぽと言う有様^^;



「(トイレットペーパー)有るかな~?」

 

 

 

と、いそいそサンダルをつっかけて外に出ると、
ありがたいことに、
12ロール入りの袋が3つだけ
広い棚のスペースにちんまりと残っていました。

なので、その内の一つを手にして
とことこ帰ってきました。

 

 

 

で、ですね・・・


「だから、買いだめなんてしなくても
買えるときは買えるんだよ~」
 

とか

 

 

「情報に振り回されないでもっと落ち着こうよ~」

 

 

 

と言った話がしたいわけではなくて、照れ
私たち人間と言うのは、
「不満」には耐えられても
「不安」には耐えられない生き物なのだなあ・・

つくづく身に染みたのでした。
もうね、誰のせいとかの次元の話ではないです。

 

 

 

「未知のウィルス」と闘っている・・
と言うのは表向きの現象。
でもその本質は
「不安」との闘い、
「不安」と言うものを、個人が、社会が、
はたまた、世界が、
どう扱うのか?の学びです。

 

 

 

この「不満」と「不安」。

 

 

 

社会心理学者の加藤諦三先生もおっしゃってますが、
人間と言うのは、
「不満」か「不安」どちらかを選べと言われたら
大概「不満」を選ぶのだそうです。

 

 

 

イベントが出来ない
好きなアーテイストのコンサートが中止になった
テーマパークで遊べない
学校に行けない

 

 

これらは今多くの方が抱えている「不満」です。
「不満」はたいてい目に見えますし、
「これこれが~~だから不満」と言語化できるものが多いです。
だから人間は、「不満」に対しては
どうにか改善しようと策を講じることで
達成感や満足感を得て補償します。

 

 

 

ところが「不安」に対しては
ほぼ制御不能。目にも見えません
(これまさにウィルス状態!)。
もっと言えば、脳のネットワークで伝わってきている
他人の不安を自分のだと思い込んでしまう場合もあります。

何せ「先行きが分からない」から「不安」なのであって
適切な選択が取れません。
特に今回のような場合には
未来予測的にも個人の範疇を超えています。
だから「不安」は特別に怖いものとなる。

 

 

 

 

ストレス耐性を表す段階には
 

 

 

警告反応期・・・ショックが与えられて動揺する時期
抵抗期・・・ショックを受け入れて抵抗力が増し、安定する時期
疲はい期・・・ストレスにこれ以上耐えられなくなる時期

 

 

とあり、

日本はちょうど、
「抵抗期」に入って安定してきたかな?・・と言うところ。
休校だ、テレワークだと、

「不満」になんだかんだ愚痴を零しながらも
クリエイティブな発想で立ち向かい
前向きに過ごそうと言う人が増えて来た時期かと思われます。

 

 


出来れば、この状態のまま、
状況が改善してゆくことが望まれますが
仮にそうならなかった場合は
気を付けないと何らかのショックで
「疲はい期」に突入してしまいます。

そう、再び「不安」が暴走するタイミングこそが要注意。

 

 

 

そして、この「不安」が暴走するのを防ぐために
必要となるのが、
個人と個人、地域と地域、
国と国・・・で、
今、傷ついてしまっている
人と人との「基本的信頼感」の修復です。

 

 

 

何故トイレットペーパーを
あれだけの人が買いだめしたのか?

 

 

それは、
 

 

「自分の身は(家族は)自分で守る=自己責任」
「人に迷惑をかけてはいけない」

 

 

と言う、常時の現代社会では
一見スマートに働いていると思われる
「道徳観」、「価値観」が裏目に出たからだと
私には思えてなりませんでした。

 

 

「自分の身は自分で守る」

 

 

と言うのは、裏を返せば
「困っても誰も助けてくれないだろう」
と言う現代社会の病み、他人への不信感を露呈しましたし、
「人に迷惑をかけてはいけない」
と言うのも、「人にはおいそれと頼れない」
と言う意味で同様でしょう。

 

 


市内全域とは言いません。

せめて近隣同士だけでも
「もし、(生活必需品が)足りなくて困ったときは、声をかけてくださいね」
と言うコンセンサスが取れていたら・・・
それだけで、ずいぶんと「不安感」は
違ったものになるはずです。

 


実際に私はあの騒動が起きた際に、
お隣さんにそのように伝えました。
これをする前と後とでは、
気持ち的に、ずいぶん違いました。

 

 

 

SNSでの繋がりでも、
もちろん良いとは思いますが、
実際に直ぐに行き来の可能な
手の届く距離での
こうした「安心感の醸成行為」は
オンラインのものとは、
少し質が違うような気がしました。

これからもっと必要になってくるような気がします。

 

 

 

大きな社会問題に直面した時、
政治や法律の決定等に直接関与できない
一般庶民の私たちは
どうしても、無力感に襲われてしまいがちです。

 


 

ですが、半径10メートル以内と考えてみると
「安心感醸成」の土壌を生むため、
ひとりひとりが
出来ることは、意外とあるような気がしています。

 

 

 

先ずは、ご近所さんへの何気ない声かけから。

 

 


そんな些細なことの積み重ねが、
この先の未来でも、
「不安」の暴走を食い止める
見えない「砦」へと
なってゆくのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます。^^

さとうみゆき

 

 

 

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