これはもしかしたら、
誰にでも
よくある話かも知れないし
まるでない話なのかも知れません。

 

 

それが起きるのは、

「ある朝」かも知れないですし
「ある晩」だったり
「ある真夜中」なのかも知れない。

 

 

私はずっと、
「いつの日か天使が迎えに来てくれるに違いない」と
思っていました。

 

 

「いつか王子様が・・・」

 

と言うのは、よく聞くけれど、
それはむしろ

あまり思った記憶がありません。

 

 

子供のころ、
同世代のお友達と話をしていても
どこかいつも「空」をつかむような思いで
その場に必死にしがみついていた私が、
 

 

「ここに、こんなにも私がいつも感じていることを
そのまま分かってくれている人がいる!」

 

そう最初に感じた出会いは、
子供のころ、雑誌で読んだ、
「妖精」と出会ったという
占い師さん。

 

 

それは1980年代、大変人気だった
少女向けの「占い本」。

そこに彼女が記事を寄せていたのです。

 

 

内容はもうあまり覚えていないけれど、
確か、空や雲、草花が好きで、
人の心の機微に気づき過ぎて

いろいろ悩みやすい彼女が、
人間関係で悲しんでいたある日、
妖精たちが現れて、
「ひとりじゃない」「大丈夫」と
彼女を励ましたり、
アドバイスをくれた・・と書いてあったように思います。

 

 

そのことがきっかけで、
彼女は「妖精」のことを

世界に知ってもらいたいと
思うようになったとか・・・。

 

 

この時、
私の中で、どう言うわけか、
 

「私のところにも、(彼女のように)
いつか妖精(天使)が迎えに来てくれる」

(だって、私と彼女は似ているから!)

と言うビリーフがセットアップされたのだと思います。

 

 

しかし、残念ながら、
待てど暮らせど、
可愛い羽根を持った妖精も、
巻き毛の可愛い天使も
私の前に現れることはありませんでした。

 

 


ここで大概の子供がそうであるように、
「やっぱりあれは夢の中のお話だったんだ・・」と
なれば、諦めもついたのでしょうけれど、
私にとってやりきれなかったのは、

大人になってから、
実際に天使や神様、妖精、
その他もろもろの不可思議な存在たちを
見たり、言葉を聞いたり、交わせる人に
想像以上に多く、
出会ってしまったことでした。
 

 

それらの人たちは、
多くが皆、繊細で、洞察力が鋭く、
人を導いたり、癒したり、
救ったり、諭したり・・・と、
小さなころ、自分が憧れていた役割を果たしていて
本当にうらやましく、私の目には映りました。

 

 

 

(似ている気質を持っているように見えるのに、
私にはどうして天使も神様も声をかけてくれないんだろう?)


 

(何かが足りないから?)

 

 

(私の心が汚いから?)

 

 

 

神様に会いたくて、教会に行ったこともありました。

心がきれいになりたくて、
いろいろな学びをしたりしました。

 

 

ですが、
学べど、学べど、

天使も神様も、声をかけてはくれません。
窓辺にも遊びに来てはくれません。
話もすることができません。

 

 

そのたびに、

「やっぱり、私の心が汚いから近寄れないんだな」

と自信がなくなってゆきました。

 

 

時々、
一体誰のために、
良い人で在ろうとしているのか、

善行を積もうとしているのか、
分からなくなりました。

 


私の絶対評価者は、
いつしか得体のしれない「神様」であり、
「天使」になっていて、
当たり前だけど、
これらの存在が、
通知表に「5」をくれるなんてことは、
ありえないわけで。

 

 

 

そんな人生を40年以上も生きてきた夏、
自分のこの(一見、神秘的な特徴と被る)気質が、
「HSP」と言うもので、
単に脳科学的に、
「超敏感体質」なだけだった!と知りました。

と同時に、同じような気質を持つ人が
社会には2割くらい居ることも知りました。

 

 

 

そして、調べてみれば、
この2割の方たちが、
本当に、嘘みたいに、
(は?何それ?みたいな)
私と同じような悩みや矛盾を抱えて
人生を生きてきたことを知り始めたいま、
もうひたすら安心したというか、
気が抜けたというか・・・・。

 

 

 

「もう天使が迎えに来てくれるのを
待たなくてもいいんだ・・」

 

 

 

そう分かった時の、解放感。脱力感。

そして思った・・・

 

 

 

「もう、待たずに、家に帰ろう」って。

 

 

 

 

「待っても待っても来ない人」を
待ち続けるって、
ものすごく、
自己肯定感が下がることだったんですね。
 

 

 

 

 

もう、自分以外の「誰」も「何」も
待たなくてよくなって、
自分でこしらえた
何か大きな見えない「存在」からの評価から解放されて、
自分の「家」にようやく戻れた私は、
この夏、振り返ってみたら
とことん「自分」と言う「心友」と一緒に
過ごしています。

 

 

 

こうなってみて、
「待つ」ことをやめて、
悲しくなったり、
どんなにか、
さみしくなったりするのかと思ったけれど、
違っていました。
 

 

 

自分の「家」で、
自分と過ごす時間は
びっくりするくらい
幸せで、穏やかで、
すごく会いたかった
「神様」も「天使」もいらないやって
想えるくらい安心で。

 

 

 

もし、私のように
「家」に帰れずに
待ち続けている人がいたら、
この記事を読んだことが
「帰るコール」になるといいな・・なんて、
そう思っています。^^

 

 

 

このお話は、
たぶん、

誰にでも
よくある話かも知れないし
まるでない話なのかも知れません。

 

 

それが起きるのは、

「ある朝」かも知れないですし
「ある晩」だったり
「ある真夜中」なのかも知れない。

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます。^^

さとう美雨

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