*********************

よろしければ、
こちらの記事から先にお読みください。

 

 

こちらの著書は、「HSP」の提唱者である
エイレン・N・アーロン氏の翻訳版です。

 

 

最初に読んだ、


 

↑こちらの本と比べると、
内容がずいぶんと学術的で専門的。
見解がかなり核心を突くせいか、
読んでいると時折苦しくて
なかなか先に進みません^^;
(そして、口調がけっこう厳しめなのです。)

 

 

この本の中では、
「HSP」は遺伝による影響が強く、
生まれた時の遺伝子配列の段階から
すでに症状が現れることが書かれていました。
(だから「気質」なんですね。)

 

 

後天的な症状の顕在化の理由としては
やはり0歳から6歳までの
養育者とのアタッチメントの
影響が大きく、特にそれは
母親との関係によるものであると
書かれています。

 

 

本を読み進めてゆくと、
『過保護という落とし穴』の章の
あるページの一部分が、
私の目をとらえて離しませんでした。

 

 

そこには、

 

過保護すぎる親が、
あまりにも子供の危険を先回りして
回避するあまりに
子供がひとりで外の世界に出てゆくことを
「恐ろしく」とても「そこでは生きてゆけない」と言う
印象を強める・・・とあり、
更に先を読むと、

 

 

 

『・・・あなたを育てた人は、あなたがいつも
自分を頼りにし、ずっとそばにくっついていることを望んだ、
過保護でダメな養育者ではなかったか?
その人は必要とされることでのみ、
自分の存在価値を見出していたのかも知れない。
もし、その人に、他に何人か子供がいたのなら、
あなたは敏感な子といことで、目的にいちばん
適っていたわけだ。こういう養育者にかぎって、
あなたがその人を必要とする時には
そばにいてくれなかったということが
あったのではないか。この手の養育者は
赤ん坊であったあなたのニーズではなく
自分のニーズに従っていたのだから。』

 

 

 

この部分を読んだ時、
本を持った手がぶるぶると震えて
目から予告なしに、
憤りとも悲しみとも恐怖とも言えない涙が
溢れてきました。

 

 

なぜなら、その通りだったから。

 

 

 

母は確かにいつも「肉体」だけは
傍にいて、衣食住に関してはすべて、
私の世話を焼いてくれました。

それに関して、感謝こそすれ、
文句などひとつもありません。

 

 

ただ・・・・

一度も、私の気持ちに共感し、
「大丈夫、私もそう思っているよ」と
理解し抱きしめてくれたことは
残念ながらなかったのでした。

 

 

 

『あなたがその人を必要とする時には
そばにいてくれなかった』

 

 

の、「必要とするとき」と言うのは
何もお腹が空いた時ばかりではないでしょう。

 

 

むしろ、人間関係において、
何か自発的な行動で、
心が痛くてどうしようもないとき、
共感が欲しい時、
母はきまって何故かあからさまに
私を突き放し、避けたのです。


 

近所にクラスのボスのような女子が居て、

私は登下校時に、再三再四
いやがらせを受けていました。
ある時、担任の教師が、
私の他にも嫌がらせにあっているクラスメイトに
「嫌だ」と言う意志を、
そのボス女子に自分の口で伝えるような
機会を設けると言ってくれ、
ボス女子の親も含め、
該当者の親にも連絡を入れたようでした。

 

その時、母がとった行動は
今でも忘れられません。

母はこう言ったのです。

 

「他の子はいいけど、うちはご近所なの。
あなたが〇〇ちゃんに意見をすると
お母さんが〇〇ちゃんのママとやりにくくなるの。
お願いだから、あなたは意見を言わないで」

 

 

と。

この時、
「ああ・・この人は、私を守ってくれない存在なのだ。」

と静かな絶望に包まれたのを覚えています。

 

 

他にも、初めてボーイフレンドができたことを
胸躍らせて報告した夜には、

 

「やだ、まだ中学生なのに、いやらしい・・」

 

と吐き捨てるように言われ、
私は人を好きになって、
その人が自分を好きになってくれたことが
ただ誇らしくうれしかっただけなのに、
なぜ?どうして喜んでもらえないの?
それならわたしも、
父と母のいやらしい関係で生まれてきたの?

と、この時母に、
生まれて初めて殺意を覚えたのでした。

 

 

数え上げたらキリがないけれど・・・

 

 

「私もそう思う。」
「つらかったね」
「それでいいんだよ」

 

と、母と共に涙を流したことなど、
一度もなかったのです。

 

 

でも、私は思っていました。

 

「私がもっと良い子になれば、
母はきっと
共感をしめしてくれるはず!」と。

 

 

だって母は素晴らしい人だから。
こんな私を一生懸命育ててくれた人だから・・・。

 

 

 

インナーチャイルドを癒すはずの
「インナーチャイルドワーク」で、
私は「HSP」としての感度から
セラピストが誘導して魅せてくれる瞑想の映像に、
映画でも見ているかのように
感動し、感情移入し、涙を流していたのです。

 

それはまるで、
「私はちゃんと愛されていた」
「なに不自由ない幸せな子供だった」と言う
嘘で固めた自己暗示の上塗りのようでした。

 

 

本当にまず、
受け入れなくてはならなかったのは、

「母に愛されていた自分」

ではなく、
(わたしのニーズでは)
「本当は愛されているなんて感じていなかった。
さみしいと思っていた自分」の現実の方だったのです。

 

 

 

私の人間関係のパターンとして、
何故か多いのが、
 

自分を癒す力を持っているのではないかと感じる
権力のある女性に心酔し、
認められれば嬉しくて、
頑張り、骨の髄まで自分を捧げてしまい、
けれど、最終的に、
最初は良好だった関係も、
いつしか
自分のことを
いいように操られ、
都合よく利用され、
そのことに私が応えきれなくなり、
疲れ果てて逃げ出す・・・

 

と言う型があります。

 

 

これが自分でも
嫌と言うほど今まで繰り返されて、
でも何が原因なのか
分かりませんでした。

 

 

今なら、はっきりとその理由が分かります。

 

 

 

母と本当は築きたかった人間関係を
私は繰り返し、繰り返し、
再現していただけだったのですから。

 

 

そして、必要とされることでしか
自分の価値を感じられていないのは、
今の私の心のクセでもあるわけです。
悲しいけれど・・・。

(だから、執拗に人を支配しないと
自分に価値を感じられない人を
マッチングして引き寄せるわけで。)
 

 

先ずは、
母との間に望んでも築けなかった愛があったことに
しっかり絶望しようと思います。

怒りたかったら怒ろうとも思う。

 

だけどもう、
自分は大人ですから
老いた母に怒鳴り込んだりはしないけれど・・・

 

 

そのうえでようやく、
「母も辛かったのかも知れない」
「なぜ、母はああだったのかな?」
と他者共感を経て
すべてが嘆き・悲しみに変わったら・・・
この呪いのループは
ようやく終焉を迎えられそうな気がしています。
 

 

 

 

「私はちゃんと愛されている」

 

 

このベクトルでの「インナーチャイルドワーク」で
新しい一歩を踏み出せる人の方が
もちろん多いのでしょう。
 

 

ただ、その過程に進む前に、

 


「私は愛されていると思い込んでいたけれど
実は全くそうではなかった。残念ながら
最も望んでいるニーズが、
満たされていないままなのだ。」
 

 

こちらを受け取れたら、
これまで進みたくても
その先にゆけなかった未来へと
大きく一歩踏み出せる人が、
私の他にも
まだまだ居るような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

今日も最後までお読みくださり
ありがとうございます。^^

さとう美雨

☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜★。☆。.:*:・'゜☆

さとう美雨公式サイト
M's Potobraryへはこちらから♪

 

 

さとう美雨のメルマガエッセイ
↓ご登録はこちらから♪↓

 

インスタグラムもやってます^^
よろしければ仲良くしてくださいね^^