発達障害家族の記録

発達障害家族の記録

発達障害について、当事者として、
当事者の家族の立場としての両面から書いてます。

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発達障害ばかりの家族のこれまでの困りごとを
発達障碍特性、個人の性格、環境の3つの観点から発達障碍の当事者の立場、家族の立場の両方の目線で書いております。


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家族のことを書いた記事は、後程アメ限記事にすることがあります。
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 批判の数は親の都合優先の家庭内で無力な子供時代を送ってきた人の数?

 

今世間の注目を集めている京都府南丹市で起きた事件

 

Xなどでは犯行を認めた養父以上に、被害児童の母親への批判が殺到しているようにみえる。

 

この事件にはまだ謎も多く残されているというのに

実は私もこの母親には非常に嫌悪感を抱いた。

 

なぜだろう・・・と自問してみた。

なぜ、私は事情も知らない見知らぬシングルマザーに嫌悪感が湧くのか。

 

 

被害者となったまだ幼い子供の立場を想像して、怒りが湧くから?

 

それは本当に無抵抗な立場の子供への同情なのか?

 

 

多くの意見にあったように、「母親」であることよりも「女」であることを優先したとしか思えないから?

 

それが同じ母親として軽蔑したくなるから?

 

 

 

いやいや・・・それは表面的な理由。


根っこを辿っていくと、それは私が実母と義母の両者に、長年抱いてきた気持ちそのものだった。

ハッキリ言ってしまうと、私は実母にも義母にも「母親」として敬意をもったことが無い・・・

 

 

Xで話題にあがると、ひとつのキーワードがいつの間にか独り歩きすることがよくあるようで


「シングルマザー」「再婚」「ステップファミリー」などのキーワードだけを組み合わせて


『シングルマザーは恋愛しちゃいけないのか?再婚しちゃいけないのか?世間はシンママに対する厳しすぎる!』といったいつの間にか、シンママ再婚論争になってしまっている。

 

そうじゃない

 

シングルマザーは恋愛するな、再婚するなって話じゃない。


状況からして、「子供のことよりも自分のことを優先した」と推定されるから。


つまりシングルマザーは(子供のことより自分都合を優先して)恋愛・再婚するな!ってことだと思う。


その()の部分が主旨なのに、なぜかそこが抜けるからズレた論争になる。

 

そして、事件のニュースから、「シンママ」も「再婚」も該当しない実母と義母に対するのと同様の気持ちを抱いたのは、その()の部分がガッツリ当てはまるから。

 

・・・なるほど。理由が分かればスッキリ!(自己完結)

 

 

おそらく私と同じように自分の親の代理としての「子供のことよりも自分優先」な母親像に対しての批判をしている人も結構いるんじゃないかな。

 

この事件によって、幼少期に子供より自分都合優先の親への不満が噴出しているだけなのかもしれない。


それだけ、世の中には自分優先な親によって無力な子供として不遇な幼少期を送ってきた人は多い___ということなのかな?

 

 

  その判断を世間は一律に悪意とみなす

 

 

京都府南丹市の事件の全容が見えてこないので、決めつけは良くないことだけど

これまで散々報道されてきた、母親の彼氏や再婚相手による子供の虐待死事件と同様の見方をされているのだと思う。

 

最近はそういった事件のニュースをあまりみなくなったけど、子供の虐待死事件があれだけ報道されてきたのに、なぜ自分は大丈夫だと思うのか___というのが世間の率直な意見じゃないだろうか。

 

私の率直な意見を言わせてもらうと、義理どころか、千葉県野田市で起きた当時小学4年生の栗原心愛ちゃんの虐待死事件のように、実の父親による虐待事件もあったくらいなのだから、血の繋がらない子どもなら猶更___とは考えなかったのか、と思う。

 

私と同じような考えのポストも多くあるけど、

ただ・・・そう考えるのは、私の育ち方ゆえなのだと思う。

 

もし、私が普通の親のもとに生まれ育っていたら、あまり深く考えず「ステップファミリーもアリ」とゆるーく考えたかもしれない。

 

 

容疑者だある養父と共に再婚を選んだ被害者の母親にも批判が殺到するのは、

「母親であるよりも女であることを優先した」と見なされ、

その判断が、楽観的思考・無責任・身勝手・自己都合と見なされるからだと思う。

 


果たしてそれは、わかってやっていたホンモノの悪意なのか

それとも、考えなしにやっていたのか

 

「ちょっと考えればわかるでしょう?」「アレだけ虐待事件が報道されたのに、なぜもっと慎重にならなかったの?!」といった疑問は当然なのだけど、その判断が出来ない人は必ずいる。

 

犯行だけに目を向ければ、血も涙もない人の行いだけど、実は判断力や想像力が欠如した脳の問題ってことも大いにあり得る。

 

そういうのって、一時期話題になった「ケーキが切れない非行少年」のような、生まれつきの境界知能や発達障害による認知能力の問題を抱えている人だけでないと思う。


物事の判断は育った環境や時代の価値観も大いに影響すると思うので。


私自身、判断のズレから悪意のあるとされてしまったことはよくあったのだけど生まれつきの発達特性だけの問題だったわけじゃなくて

 

①発達障害と生まれつきの認知機能

②家庭環境、育ちの影響による価値観

③自己肯定感の低さと承認欲求

 

これらが入り組んでいる状態で、判断がズレやすかったのだと思う。

 

 

これまで、散々虐待事件がニュースになってきて、どれだけ世間が騒ごうと、どれだけ加害親を叩こうと

虐待問題はなくならないのは、どうしてそうなったのかという原因に注目しないからじゃないだろうか。

 

子供の立場を想像したり子供のための判断が出来ない人はどうしても存在する。


そういう人は、当然「自分が子供を虐待しちゃうかもしれない」なんて想像もしないから、普通に子どもを持つのだと思う。

 

そうして、世間が「子供を虐待するとはけしからん」と鼻息を荒くして批判するほど、反射的に自分はそっち側じゃないと考えてしまうのだと思う(経験談)

だから、同じことを繰り返してしまうんだと思う。

 

(偉そうに書いてる私も、深く考えずに子供をもってしまった一人・・・

自分の親と同じことは避けただけに過ぎない。)

 

なぜそうなったのか?

叩くよりもそっちに目を向ける方が大事なのだと思う。

 


想像力の欠如のある私の一意見として


子供を虐待してしまう自分を想像できなくても

原因となった事情と自分の事情との共通部分には気づくことはあるんじゃないかと思う

 

その気づきが抑止に繋がる可能性はあるんじゃないかな、と私は考える。

 

いずれにしても

「なぜ?」と、問い続けなければ見えてこないものはあると思う。

 

当面は、被害にあう子供をどう救っていくかが課題になるのだろうね。