安徳天皇を祀った神社。
安徳天皇とは
第81代の天皇。父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子、祖父は、平清盛。わずか3歳で天皇となるが、1183年、源義仲の軍が京都に入ってきたため、三種の神器 (天皇の位を示す宝物)とともに京都を離れる。平家一門に連れられ大宰府を経て屋島に行き、そこを仮の宮とした。源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍によって、平氏が屋島の戦いに敗れると海上へ逃れる。1185年、壇ノ浦の戦いで平氏と源氏が激突し、平氏軍は敗北した。安徳天皇は、平氏一門とともに海に身を投じ亡くなった。
赤間神宮
とても綺麗だったけど
こんな 悲しい場所でもあったんですね
安徳天皇の祖母である二位尼(平清盛の妻)が、 8歳の安徳天皇を抱きかかえ入水する際に詠んだと言われる歌
今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは
「海の底にも都はあります」
この歌に因み、太平洋戦争で焼失した赤間神宮を再建する際に「竜宮造り」という竜宮城をイメージした造営となったそうです
あの耳なし芳一 ここの話
扉閉まってましたが
覗いたら 見えました
ちょっと・・ 怖かった
すぐ側に 平家一門の墓もあったので
ひんやりしてて・・ すぐ退散しました
下関観光 これで終わりです