明日 9月8日は 十五夜お月見のススキお月見のお団子ですね

昨日行ったイオン香椎浜にも うさぎさんの可愛いお団子
販売されてましたお月見うさぎ


田舎育ちの私は 当時の十五夜イベントに わくわくしてましたよニコ


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みやざき風土記

No.3 十五夜(じゅうごや)
前田 博仁 ( 宮崎県民俗学会
 旧暦8月15日(今年は9月25日)の夜のことで、その夜の月を「仲秋の名月」とか「芋名月」といい、全国的に「月見の夜」とされています。
 十五夜祭りは宮崎県全域で行われ、「十五夜」「十五夜様」「十五夜さん」「ジュゴヤ」「ジュゴヤドン」「メゲッドン(名月殿)」などと呼び、この夜、ス スキなど草花を飾り、だんごやカライモ、栗、柿、里芋などをマスに入れ、それを箕の中に置き、縁側や搗き臼に置いて満月に供えます。この夜、子ども達は供 物を盗んでよいとされ、また、年占行事として綱引きが行われ、すもう遊びも行われます。
 五ヶ瀬町では十五夜といい、庭先に臼を出し、その上に箕を置き、1升マスに柿・栗・から芋・里芋などを盛って満月に供えました。ススキやハギなど野草を 飾ります。子ども達は「十五夜さん、くんない(ください)」と言って供物をもらって歩き、また、この夜は柿や梨、栗など盗んでよいという風習がありまし た。
 延岡市行縢でも十五夜といい、箕(み)にオハギや果物、お神酒をのせて月に供えました。子ども達は供え物や柿などを盗ってもよく、盗みをしかると、翌年果物が成らないと言われました。また、若者には、この夜人妻に言い寄ってもよいという風習もありました。
 宮崎市本郷南方では、十五夜様といい甘酒・里芋・から芋・だんご・米などを、縁側に出した机の上に供え、秋の草花を飾りました。供え物は子ども達が自由 に盗ってよいことになっていました。この夜、満月に雲がかかると不作といい、また、供物の米は8合ほどマスに入れ、来年は8合の米が1升になるように祈り ました。
  宮崎市金崎では、小学生が綱引きの綱をもって集落内を廻ります。歩くとき綱の最後尾を電柱や樹木に巻きつけます。綱はヘビすなわち竜神と考えられ、稲作に 必要な水をもたらすと考えられています。子ども達は各家を廻り供物のだんごや菓子をもらいます。その後、道路で綱引きをして、最後に二十三夜石に綱を巻き つけて終ります。
 都城市春日ではジュゴヤといい、子ども達は1週間くらい前から地区内を廻って稲わらを集め、15日、若者たちがわらで綱を作りました。できた綱は筒状に 巻いて神社の神前に置き、線香をあげて月の出を待ちました。月の出とともにその綱を引いて地区内を廻った後、子ども達は綱引きをし、勝った方の地区は豊作 と言いました。各家庭ではジュゴヤンダゴ(十五夜のだんご)を作り、セッナムン(箕)にススキやオミナエシなどや季節の野菜、果物、それにだんごを入れて 満月に供えました。月が出ると線香を立てて拝み、子ども達は各家の供え物を盗んで廻りました。
 最近も十五夜行事は行いますが、かつての習俗はうすれ、また、供物をもらいに来る子ども達もいなくなったといいます。
 ところで、十五夜に月見をするのは、日本人だけでなく東アジア照葉樹林帯(しょうようじゅりんたい)の山地焼畑農耕民に広く見られる習俗と言われていま す。満月に里芋を供えることから、もともと東南アジアのタロ芋系統の芋の収穫儀礼であった十五夜祭が、稲作の収穫儀礼と結びつくようになったと考えられて います。中国江西省のヤオ族やミャオ族なども8月の仲秋にはさと芋を供えて月を祭るそうです。


綱引きは しなかったですがニコ
子供男子は 石に縄を巻きつけて 一軒ずつ歌を歌いながら
まわって 石つきしてましたきら
その後、みんなでお供えものの 争奪戦です笑
あまり 早く行くと まだお供えが出てなかったりびっくり
お菓子じゃなくて お芋さんばかりだったりサツマイモ
大きなビニール袋を 持って 走りまわってましたよ走り

今は 子供が少なくなって このイベントもなくなってしまいましたが 懐かしい 思い出ですスキ


時期は違うけど 今の子供達はハロウィンハロウィンが イベントなのかな魔法使い