私は 内科•小児科の調剤薬局でパートをしている。
訳あって 途中 一度辞めたけれど 出戻り通算して 10年以上になる。

チェーン店ではなく、家族経営の薬局。
薬剤師のご夫婦と、一人息子は経理を担う。

開局をしたときは まだ50代だったご夫婦も、今は65歳を過ぎている。

小児科の薬は  〇,〇〇g  〇mg の細かい作業。
1日100人以上こなすのは大変。
去年から パート主婦の薬剤師だけでなく、男性社員の薬剤師も1人増えた。

でも メインは 3人の家族。
いろんなことが その時々に 家族の考えで決められて行く...

基本的には いい人たち。
でも こじんまりと家族的なのは  いい時もあるが、気を使うことも 少なくない。


それでも こんなに長く働かせてもらってるのは、自宅から徒歩5分という近さと、
慣れの気楽さが 大きい。


職場がら 病状だけでなく、その人の背景までも垣間見る事もある。


内科はご高齢の方も多く、自然と介護の話が出る。 
私も人ごとではなく、勉強になる事も多い。


患者さんをみてると 日本の平均寿命が延びてる事、実感する。
高齢で 個人病院に来れるくらいは、どちらかというと予防に近い。   大ごとにならないように 現状を薬で維持している。

なので 来られなくなると、何かあったのかと 心配になる。


そして  後日ご家族が実は...と、 訃報を聞く事も何度かあった。


今日、いつも 仲良く杖をつき、 寄り添って来られていた ご高齢の仲の良いご夫婦の、奥様だけが来られた。


社長(薬剤師)が、尋ねると  奥様はご主人が亡くなられた事、そしてその時の様子を涙ながらに話された。


私も、横でPCを打ちながら 漏れ聞こえてくる話では  もういくばくもない時に奥様に手紙を書かれたらしい。


80代半ばの奥様が 手紙の文面をまるで 読まれてるかのように話された。

きっと何回も何回も読まれたのだろう。
記憶してしまうくらい 何回も何回も....

「.......あなたのおかげで私の人生は幸せでした。
先にあちらに行って待ってます。でも すぐには来なくていいですよ。  また会いましょうね...   」

と 。

奥様の
「とうとう 1人になってしまいました...」

と、いう言葉で  それまで うんうんと 聞いていた社長が 急に 涙され。

それは号泣のごとくで、汗かきの社長がいつも拭いてクシャクシャになっていた タオルハンカチを ポケットから 出して 顔を押し付け泣かれた。


それを見て 隣でPC打ちながら 私も 思わず もらい泣き.....


あんな社長みたのは勤めて以来初めてだった。


社長は 「取り乱してすみません。」
と、そのご婦人に言いながら 
最後に鼻をかんだ。



人には必ず別れがくる。
どんなに 仲が良くても
どんなに思いが深くても。


でも、その時に  「あぁ、私は幸せだったなぁ」と思える 人生でありたいと思った。
と、同時に看取る側として そう思ってもらえたら と思った。



だけど そのご婦人が、しみじみ言った「一人になってしまいました」 の言葉が  胸に残る。


仲がいいほど、思いが深いほど 喪失感は強い

あの年齢で、その喪失感に耐えられるだろうか...


うちに帰り 主人のことを改めて考えた。


どんな状態になっても 今目の前にいてくれる。
やっぱり 貴重な時間なんだ。



明日は母の日。

私の母は 63歳で他界してる
もう17年前のこと

父があまりに落ち込み、私はなかなか実家から戻ることができなかった。

その10年後 父も亡くなった。

両親は 仲のいい夫婦だった
母の死後、まだ居るかのように母の靴を玄関に置き、鏡台の前には 母のものを置いていた。

今頃二人で楽しくしてるだろうな ...(^ ^)


でも  明日は 母の日!
私の母はいないけど、主人の母は 健在してる。


主人になりかわり 花を送る。
嫁と姑、たまにしか会わなくても プライドの高い姑、嫌なことも結構あった。


でも、主人のお母さん。
こんな優しい性格に育ててくれたのは お母さんのおかげ。
「ありがとうございます」
「いい歳して心配かけてごめんなさい」

主人に成り替わり メッセージを送る。


一度の人生。

嫌なことも全て ご破算にして 
最後の眼を閉じる瞬間に
「ただただ幸せな人生だった」と 
思える人生を送りたい。


だから 今できること 心を込めて。
そして こうしていることに感謝して。

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