私は成人してから国立大を出た妹に「お姉ちゃん頭良くなるから本を読んだほうが良いよ」と勧められて何冊か薦められた本を中古で買ってみて読んでみましたが、難しすぎて文の内容が入ってこなかったり、中学生でも読める本も読んでみたけど面白さが

感じられなく最後まで読めることができた本は、その時の私にはありませんでした。それに子供の頃の私は、国語だけは時間をかけて勉強しても成績が伸びなく苦手でした。

ところが、今の自分は購入した本を読んでみると今までの私とは違う文の吸収力を感じるし、今まで感じなかった文を読む楽しさを感じることができることで、人生の楽しさが大きく膨らむのではないかと思いました。


今の私は、人の心理に基づいた考えや道徳心に興味があるため、以前妹に勧められて持っていた本のうち、三浦綾子の「明日のあなたへ 愛することは許すこと」という題の本を改めて読み返してみました。

文の中で特に感銘を受けた一説に「本当に自分が悪かったと思うとき、人間は思いがけぬ大きな平安が与えられるのだ。罪が分かったとき、神が見えてるのだ。驚くべき世界が分かってくるのだ。人間はどれほど他者を許したかで、その人の価値がわかると言われている」という言葉に私の中で衝撃が走り涙を流しました。

私は特定の宗教には入りたくないけど、クリスチャンである作者の言葉に影響されるものを感じました。私は人というのは、言葉との出逢いや人との関わりによって、どの様に人生を歩んでいけるものか分からないものだと感じるものがありました。


今までの人生、社会人として人並みに働いていることに強い拘りを持って必死になっていたけど、そのことを生活する上で量とするならば、これからは質である生き方を高めて気持ちの持ち方を大切にしていきたいと思いました。たとえ定職に就いていなくとも、内職などをして少ないお金でも生活していければ、心が豊かに暮らしていくことができるのではないかと思いました。


人に影響されやすい私は、芯の自信がないから今まで、人の評価が全ての軸でずっと生き続けてきましました。今は、あるがままの自分を受け入れ、これからは、誰からも評価されることのない命を一つとして生きることができ、できることならば人のためにになることができる人生を生きていきたい。

今はまだ、あるがままの醜い姿を受け入れ慰め、社会であるべき自分のバランスを整えるため作り直している段階にあります。

人、動物区別することのない命を一つとして考え愛を持つことができるには、まず家族である親を敬うことから始まる。

三浦綾子の本にも「親を敬うことも、思いやることもなくて、幸せに生き得るはずないのよ」という言葉があった。私は母より私の方が優れていると幼き頃からずっと思っていた私はコンプレックスのようにも思っていたのです。


つまり私が今まで人生上手くいかなかったのは…

・他者の評価が全ての軸

・親を敬うことが出来なかった自分