振り返ってみると、しばらく送る会に出られてないかも😅
卒業式も、「在校生」の立場では覚えてないらしい。「でたか、でてないか」さえも。
どうも、ブラスバンドの音がしんどい、とのこと。
確かにそう…😱体育館響くよね🤭
卒業証書授与の時、、、ずっと流れてるんだっけ??彼にとっては晴れ舞台も格式ある式典もあの雰囲気も、苦痛なのかもしれない。
そう考えると小学校の頃「1人卒業式」をしていただいたのは、本人にとっては辛くなかったんだね、
「式典にもでられないなんて」「ひとりぼっちでかわいそう」(なんて気持ちは、さらさらないけど(笑う))なんて考えは一方的で偏っているのかもしれない。
まとめれば「本人主体」「本人の最善利益」なんだよね。単語としては簡単だけど、どうして実践は難しいのかしら。
気がつけば「みんなと一緒」「こうすべき」思想がいつの間にかある。
しんどさを想像し、代弁して、環境を整えなければならないのに。
社会との折り合いのつけ方。
その中での自分の守り方。
何より、自分が自分でいていいという自己肯定感。
その先に「自立」があるのよね。
生きることを焦ったらもったいない。
翻ってその「育ち」を支援する周りはどうだろう。
親ができることはもちろん精一杯やる、
社会環境で、よくなって欲しいことはどんどん良くなるといい。
表出される形は違ってもマイノリティ(障がいだけに限らず)が、多様性として受け止められて、能力に応じた働きと支援が受けられればいいな(。)
これだけ発展している世の中で、それさえも、「自己責任」にして欲しくないな。
能力がある人は、むしろその力を社会に還元してほしい。
声を上げられない人には、気づきと支援がつながるように。
つながった先に、その人らしく生きる未来が見えるように。
「人として、人らしく、尊重されていきる」ただそれだけのことが、本当に大変な時代なのかもしれない。だからこそ、気づいたオトナができることをしなきゃいけないんだと思う。