喫茶店に通うのが大好きだった高校生の僕。

幸いにも地元の駅の近くには、雰囲気の良い喫茶店が何店かあったため、放課後は常連として当時通っていたマスターのお店で時間を潰していた。


そんな生活をしていた時、地元で有名なイタリアンを食べようといつもなら行かない場所に向かう事になった。

人の多い大通りを横断し、細道へと入っていく。

「こんな所にイタリアンなんてあるのだろうか」と疑う気持ちはありながら、引き返す選択は頭にはなかった。


細道を抜けた時、僕は驚愕した。それはまるで人類が到達した事の無い秘境に辿り着いたような、そんな感覚。


そこは昭和や大正時代、戦争の波から逃れた当時さながらの街並みが広がっていた。駅前とは比べ物にならないほどの静けさと謎の温もりが、余計僕を不思議にさせる。

こんな所が近くにあったんだと、僕の中に眠る好奇心がおさまらない。街を眺めながら空気感を楽しみつつ、ゆっくり歩き進めた。


その時だった。僕は運命の出会いを果たす。

天井が低く小さな木造の建物。他の追随を寄せつけない、圧倒的な雰囲気に僕は無意識のうちにそのお店に入っていた。

「いらっしゃい」と、

物珍しい高校生の客に若干驚いた様子のおばあちゃんが座っていた。


店内は全て木造。カウンターの棚にはアンティークかと思われるカップや、珈琲豆がずらりと並んでいた。そして古びた本達に音楽は一切無し。聞こえるのは、新聞をめくる音と時計の針の音だけ。

ほとんど無音と言っていい店内に、何故かワクワクが止まらなかった。


とりあえずカウンターに座ると、ゆっくりとおばあちゃんがメニューと水を運んでくれた。

「珍しいねぇ。高校生の客さんは」


「あ、そうなんですね。凄く素敵なお店でつい入っちゃいました」


「ありがとねぇ。決まったら呼んでちょうだい」


 渡されたメニュー表はファイルのようなものに入ってはいるものの、黄ばみが強く若干シワも入っているボロ布のような物だった。

手書きが書かれたメニューに、色んな珈琲の名前。

そんな中、ただひたすら僕の心を奪っていったのは「ミルク」という文字だった。


「すいませ〜ん」


「何にしたのかい」


「ミルクを1つ。あ、それとショートケーキも頂いてよろしいですか」


「はいよぉ。ちょっとだけ待っててねぇ。」


おばあちゃんの声は何故かとても癒される。僕には想像もつかないような経験をきっとしているからこその落ち着き様に、話しただけで分かる優しさが、この喫茶店にハマる理由としては十分だった。


店内を見渡してようやく空気感が肌に馴染んできた頃に、頼んだアイスミルクとショートケーキが僕の前まで運ばれてきた。


なんて可愛いらしいショートケーキ。比べるとミルクは変わらずただのミルクに見えた。

「いただきます」

ショートケーキは甘党の僕にはピッタリの逸品だった。これだけで既に満足だったのだが、そうは問屋が卸さない。

ミルクを1口飲んだ時、僕の価値観が変わった。

驚いた顔で、慌てた僕はつい口を開いて


「おばあちゃん!なんですかこのミルク。めちゃくちゃ、美味しいです…何が入ってるんですか?」と聞くと、びっくりしつつほっこりした顔で


「あら嬉しいわぁ。でもねそれには何も入っちゃいないよぉ。」と一言。


すかさず僕が、

「そんなはずないです!こんなに美味しいミルク人生で初めて飲みましたよ…」


そうするとおばあちゃんは

「愛情だけさねぇ。なにか入ってるとしたらね。」

と笑った。


ありきたりの言葉だったが、僕は撃ち抜かれたように黙りしてしまった。

そして驚く事にミルクの入ったカップに小さなハートがくっついていた。


衝撃的すぎた。高校生だった僕は、当時たかが数十年しか生きていない若造。

「無償の愛」に触れてしまったのだった。



今僕は上京して一人暮らしをしている。

地元には中々帰れず、あの喫茶店が今も営業しているかも知らぬまま。日々忙しく楽しい事は当時に比べて減ってしまったかもしれない。ただ、不思議と苦しくないのだ。


なぜなら、目を瞑ってみると

あの時に見た小さな、小さなハートが今も僕を暖かく包んでくれるから。