mitue-ne-cyanのブログ

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突然変わってしまった環境を受け止めきれず
誰かに話すことも出来ない思いを文字にして
客観視する為の介護家族雑記。
日常起こった事、思ったことをそのままに。

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母の施設から電話があったのはお昼少し過ぎ。

意識が無く 救急者を呼ぶので、病院に来てください。という要請だった。

救急車が来るまで病院が決まらないので、取り敢えず出かける準備だけして、自宅待機。

 

その間に次男と姉に連絡。

何故次男かというと、当日は夜勤で、まだ家にいる時間だった事と仕事が介護職だから。

 

そうこうしているうちに 連絡が入り、病院へ向かう。

救急の受付に行くと、施設から付き添って来てくれた看護師さんが待っていた。

数日間の母の様子を説明され、朝食時に”気持ちが悪い 食べたくない”と言い

眠そうにしていた為、時間を置いてからと思いベッドへ。

10時ごろ血圧測定の為 食堂兼集会所?に行ったところ 血圧は測れたが

まだぼんやりしてだるそうな様子で、座って居るのがままならないようで

”眠医。もう少し寝ていたい。といったらしい。

 

その後、お昼ご飯に呼びに行ったのが12時前。

その時には 意識がほとんどなく、ベッドであおむけに寝ていて、呼びかけると

うん。とかうぅ~ん等、返事か梅木かは分からないが、反応はあったらしい。

 

所が私の所に電話をして来て、意識レベルが・・と言っている間に

容態が変わり、完全に意識が落ちたようで、そのまま救急車を呼ぶという

話になった。

 

その後は2時間ほど待って、酸素マスクをつけた母の居るところで医師と

万が一についての対応を聞かれ、数分後には、まだ検査があるという事で

また待合室へ。

それまで一緒に居てくれた施設の看護師さんはここで施設に戻られた。

 

その後4時間待合室で待機。

やっと病室に移るというので、部屋の前まで付き添えることになった。

数時間前より明らかに顔色が悪い。先ほどは私の顔を見て、名前も呼べたのに

目を開けてと言われても、開けることが出来ない。

しかし、私の呼びかけには頷いて返すので、意識はあるようだった。

GICUに運ばれた母とは 入り口で別れ、別室で入院の説明を聞く。

帰宅できたのは20時少し前で、お昼も食べ損ねていた私は あり合わせで

簡単な食事を・・と意味っていた所に病院から電話。

 

母の容態が変わった。

肺炎の影響で痰が多く出る為、軌道がつまり、酸素マスクでは対応できなくなったという。

詳しい説明をしたいので、という事で、もう一度病院に戻る。

 

結局人工呼吸器をつける事になったのだが、麻酔を使う為 意識があるうちに と

少しだけ合わせて貰えた。

酸素マスクの母は、息は吸えるものの、二酸化炭素の排出があまりできないという事で

少し苦しそうに見えた。

 

人工呼吸器をつける処置が済むまで、面談室で一人待つ。

その間に姉や息子、心配して連絡をくれた甥や姪にラインで現状報告。

 

処置が済んだ後、何のためにどのような処置をしたか、これからどのような処置を

するか、どの処置をする可能性があるか 等々医者の説明を聞きつつ 出された

書類に必要なサインをする。

その後、麻酔で意識はありませんが会っていきますか?と聞かれ、数分だけ

母の様子を見に連れて行ってくれた。

父の面会の時にも着た 青いビニールらしきもので出来たエプロンをつけて。

 

母は眠っていて 呼びかけても答えないが、明らかに顔色が良くなっていた。

血の気が薄く白っぽくなっていた顔に赤みが差し、いつも面会で会うときの

母の顔色に戻っていた。

 

先生にお礼を言って コンビニにでサンドウィッチと紅茶を買って帰宅

日付が変わるほんの少し前だった。