2012年1月2日
親友とドライブに行きました。
どこに行こうかと相談したら、東京から帰ってきたばかりの親友は、まだ海沿いの街を見ていない、見たい、とのこと。
そうだね。私たちは知らないといけない。
そんなわけで、閖上へ行きました。
ここは、私がよく仕事で行った場所。
私は震災の後、4月の初めに行きました。
その当時はまだあちこち瓦礫の山で、全国の自衛隊や消防や警察の方々が捜索をしてくださっていて、中学校まで行けなくて、その光景のあまりの現実感のなさに、涙を流すこともできなかった。
今はすっかりきれいになっていたけれど、津波の爪痕はまだまだ色濃く残っていました。
閖上中学校正門前。なぎたおされた柵が、自然の驚異を物語っています。
14時46分、東日本大震災が発生した時刻です。あの日あの時の記憶が蘇ります。
見えるかな。校庭の向こう端に、漁船があります。
学校が開け放たれていたので、入り口付近をのぞかせていただきました。
手前の壁、見えますか?くっきり泥の線が付いています。海水にここまで浸かっていたんですね。
献花台が備えられていました。台となっている机には、中学生によって書かれたらしいメッセージと、犠牲になった仲間の名前。言葉にできない感情で胸がいっぱいになりました。どんなに悔しかっただろう。亡くなった若い命も、残された者も。それだけを考えることが自分にできる精一杯かと思うと、やっぱりすごく申し訳ない気持ちになる。そんなこと思うことすらおこがましい、傲りだと、何度も自分をたしなめてきたけれど、どうしてもそう感じてしまう。でも、それで終わってはいけないと思う。
津波で傾いた校旗掲揚台。その向こうには住宅街が広がっているはずでした。
ところどころ船があったり瓦礫が残っていたりしたけれど、もうほとんど片付けられて、海まで行けるようになっていました。
でも、あまりに何もなさすぎて、この道はどこに出る道だったか、とか、どこを曲がると何があった、とか、もう分かりませんでした。
震災があったのはもう昨年のこと。
どんどん過去になっていく。
だから、年の始めにこの街に行くことには、大きな意味があったと思う。
まだ全然終わってない。
これからの長い道のりを支えるために、自分に何ができるのかを考えなければ。
震災当時東京にいた親友に、この風景を見せることができて良かった、と思います。
地元を離れていたばっかりに、被害に「遭わないでしまった」ことに、並々ならぬ罪悪感を持っている人はたくさんいます。
被災を外側から見ることしかできなかったことにもがいた人もたくさんいます。
でもそれは、自分ではどうしようもできなかったこと。
だから、申し訳なく思っても、その気持ちのやり場がなくて、やっぱり悩んでしまうんだと思います。
親友が何を感じて考えたかは聞かなかったけれど、この時間と空間を共有できて良かったと思いました。
昨年の4月、とてもじゃないけど写真を撮る気になれませんでした。
でも今日は、8か月以上経ってもここは時が止まってるってことを伝えることに意味がある気がして、写真を撮ってきました。
もちろん周りはどんどん整地が進んでるんだけど、あの時のまま止まった時計を見ながら、ああ、この時はまだこんな被害誰も想像しなかったんだよな、とか、今通ってきたこの道で、情報が錯綜してたくさんの方が亡くなったんだとか、いろんなことを考えながら手を合わせてきました。
献花台となっている机に書かれていた「死んだら終わり?」という言葉を見て、前に進むことばかりが救いの方法ではないのではないかと思いました。
この言葉を、中学生がどんな気持ちで書いたのか。
亡くなった人とのそれまでの思い出を辿り直すこと、突然目の前からいなくなってしまったことがどういうことなのかを受け止め、自分なりに整理すること。
それには相当な時間がかかるんじゃないでしょうか。
誰も正解を教えてくれない、誰も正解なんて知らないこのことに向き合っていくのは、本当に難しいと思う。
私は今日この場所に行って、いろんなことを感じて考えたけれど、その感情の中に、変だとは思うけど、ホッとした気持ちもありました。
それは多分、この場所が「止まる」ことを許してくれているからだと思います。
前に進もう、とか、頑張ろう、という言葉が飛び交うそのエネルギーはとても素晴らしいけれど、じっとそこに留まり、喪に服すことが必要な人も本当はたくさんいると思います。
今はこれ以上のことは考え付かないな。
と、いうわけで、終わり。
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