『客観性』
前回もしドラの話が出たのでついでです。
言わずと知れた、かどうかわかりませんが、
彼女は「もしドラ」のモデルです。
正確には峯岸みなみの理想とする人物像らしいですが。。
まだ映画の製作も決まっていない段階で、
岩崎夏海から「映画化されたら主役をやってもらいたい。」
という話が来たとき、みぃちゃんは
「私には荷が重いんで、川島海荷さんなんかどうですか?」
なんて答えていたそうです。
今となれば結構本音に近かったのではないかと思うのですが、
当時は遠慮もあって言っているのかと思いました。
その数か月後に本当に映画の話があり、
上の言葉が影響されたのか、
主役を外されました。
この時自分はかなり憤慨したのを覚えています。
本業の役者さんを使うために映画に出演しないならまだしも、
代わりの主役を同じAKB48の前田敦子に与え、
あまつさえモデルとは似つきもしない
脇役の子の役を峯岸に与えるなんて、
いくらなんでもバカにしすぎではないか。
当然みぃちゃんも顔で笑って
心では悔しがっているだろうと
思ってました。
その直後のブログのタイトルに
「悔しいと言えるまで。」
とありました。
http://blog.oricon.co.jp/no3b/archive/2797/0
それがもしドラのことを言っているのかは
確証が得られませんが、
タイミング的にも
内容とリンクしてないことから見ても
ほぼ間違いないでしょう。
こんな扱いを受けているのに、
悔しいと思うことすらおこがましい、
それが世間の評価 だと認識する
峯岸みなみの冷静さ、客観性は
見事というほかありません。
実際は
「悔しいと思えない自分が悔しい」
らしいですね。
そこまでの自信もメンタルもない、
ただ、今回主役を外れたことが
悔しいと思えるくらい実力をつけたいと。
今となっては、
脇役とはいえ大きな舞台を経験できたことは
大きかったと思うし、
メイキング、番宣を見てもかなり存在感を示せたので
結果として出演できたことはよかった。
それにもし主役になっていたら、
どれだけ叩かれていたかわからないという
弱気な本音も俺の中にあると言えばあります。
そう思ってしまうのも悔しいですね。
半年前のブログタイトルの意味に今頃気づくなんてね。
いつか誰にも文句言われずに主役張れる日がくるといいな。
今回はちょっと熱くなっちゃいました^^;