完璧でなければいけない
なんて
どうして思ってしまったんだろう
いつからそう思うようになって
いつから追求するようになって
いつから諦めるようになったんだろう
記憶は曖昧
中学生か高校生の頃か
国語の授業なのか道徳の授業なのか
忘れてしまったけれど
〝いつから子供は大人になるんだろう
それは水溜りに飛び込まなくなった時
子供は好奇心が旺盛で
なんでも目の前のことに興味を持つ
目の前に水溜りがあれば
迷わずに飛び込むだろう
だけど大人になると想像ができるようになる
水溜りに飛び込むと服が汚れて不快感を覚える
それは汚れた服を洗濯する手間を知っているから"
こんな感じの文章を読んだ
大人への反骨精神なのか当時の私は
『自分が母親になったら子供と一緒に水溜りに飛び込んで遊ぶんだ』
ってずっとそう思っていた
今日初めて雨上がりに
まだアルファルトも濡れて
地面が泥濘んでいる頃
うたと一緒に公園へ出掛けた
本当は公園に行く予定はなくて
私ひとりで本屋に行くつもりだったけど
着替えてリュックを背負って帽子を被る私を見て
うたが外へ出掛けるんだと愚図りだしたから
公園に着くと遊具付近に水溜りができていた
うたは水溜りがなんなのかさえも
よく分かっていないんだと思う
ただ歩いてたら足元が濡れた
なんだこれは、水?
ぐらいの勢いで不思議そうな顔をして
水溜りの中で立ち尽くしていた
私は公園で遊んだ後
本屋に行く予定があったから
水溜りには飛び込まなかった
飛び込んだら本屋に行く前に
家に寄って着替えなければいけない
それは面倒臭い
という考えに辿り着くのに3秒も必要なかった
昔の自分が今の自分を見たら
こう言うだろう「つまんない」
子供なら次にどんな予定があろうと
目の前の水溜りに飛び込んでいくだろう
私は子供の自由で柔軟なところを尊敬する
私は子供が描く絵が好きだ
子供が描くパパやママは
左目が大きくて右目が小さくて
左耳が小さくて右耳が大きくて
左腕がオレンジ色で右腕が紫色で
顔から手足が生えていて
指は4本で6本だったりする
貴方の目にはパパやママがどう映っているの…?
いやいやいや
ちゃんと左右対称に目や耳
指は5本ずつ胴体だって見えている
なんで紫色の腕なの?と聞いたならば
決まってこう答えが返ってくる
「好きな色だから」
嗚呼なんて自由なんだろう
今の私はキリンを黄色と茶色で描くし
ゾウは灰色で描く
目や耳はできるだけ左右対称に描くし
指もちゃんと5本ずつ描く
目に見えるそのものそのままに
私は小さい頃から絵を描くのが好きだった
きっと最初は私も自由に絵を描いていたはず
いつからか"こだわり"がでてきて
そのこだわりに納得がいかないと
何度も新しい真っ白なページからやり直して
終いには納得がいくものを描けない自分に嫌気がさしてくる
自分は絵を描くのが"下手"だと決めつけて
気付けばいつしか絵を描かなくなった
絵は特に何かを見ながら真似して
そっくりに描くのが得意だったから
その真似るべき対象に近づければ近づく程
それが完成形として満足できていたのかもしれない
何もないところから何かを産み出すにしても
いつも誰かの影響力をどこかしらで受けている
オリジナリティってなんなんだろう
私は自分の引き出しの少なさに自信がない
挑戦をしなくなった
つまらない人間になった気がする
字を書く時もそう
友達に手紙を書く時に
綺麗に字が書けないと何枚も何枚も書き直す
なんだか便箋の無駄遣いな気がして
どんどん落ち込んでくる
自分の中の完璧な理想像だけが膨らんで
自信ってどうやって身に付けるんだろう
例えば今打ち込んでいるこの文章も
どこか日本語がおかしくて
文の構成がデタラメかもしれない
と不安になってくる
自分が好きなものを好き!と言う自信も
歳を重ねるにつれて少しずつ無くなってきている
変!ダサい!趣味悪い!
そういう言葉にどこかで怯えている
芸術的な面でも
ファッション的な面でも
圧倒的にセンスが良い人が
世の中にはいると思うけれど
どうして私はそういう人と自分を比べて
落ち込んでしまうんだろう
勿体無いね
今日は水溜りに入ったうたと
古本屋さんで買ったCoccoの絵を見て
久しぶりに想いが溢れた
水溜りに飛び込みたいと思う自分も
絵を描きたいと思っている自分も
抱きしめてあげよう


