ご存知の方も多いですが、私はロータスリーフの代表であり、マニキュアリストでありますが、”芳眞”という高野山真言宗の在家の僧侶でもあります。
(虎の張子で有名な信貴山朝護孫子寺千手院にて得度)
毘沙門天さまに帰依しております。
正式には受戒を受けて正式な僧侶になるので、私は僧侶の幼稚園生であると兄弟弟子からはいわれますが・・・
ロータスリーフを立ち上げた2006年9月。
名前の由来を聞かれますが、表向きには”蓮の葉は沈まないので縁起がいいでしょう”と答えます。
では、本当はどうだったかといいますと、まさに宗教的な意味で自身への戒めのためにつけたように思います。
蓮は御仏様の台座の華であり、蓮の様子といえば、濁った泥の中からまっすぐと伸びきれいな華をさかせます。
”この世は汚れきっている泥のような世界であるけれども、腐らず、よどまず、まっすぐにきれいな華をさかせよ”という教えであると思うのであります。
そして、ネイルという日本ではとても近代的でファッショナブルな業界の空間であるけれどもそこでのさまざまな出会いの中で、技術だけを提供する場所ではなく”同じ志をともに有する者が集まる場所、いわゆる 伽藍(がらん)のようなサロンを作っていければと、当時強く思っておりました。
よく聞かれます。
”なぜ出家という道をえらんだの?”と。
これも表向きに”昔から仏教に興味があったからですかね・・・”や”今でもわからないんですよ。引き寄せられたんですかね・・・”などと答えますが。
得度=出家は、実はそんなものではないようです。
自らが望んだだけでかなえられるものではありませんでした。
それぞれの理由があり、一言では表せないことでありますが、自身が得度を受けたには、長年自身の体質に苦しんできたからでしょうか。
人はみんな必ず生まれたときからある種特殊な能力を持っています。
霊能力もその一つであります。
それが強いか弱い、残っているのか、忘れたのかの問題ではないかと思います。
いろんなものが見えたり、聞こえたり、さまざまな現象が起こったりと一見都合がよさそうなものに思えますが実際反対のことのほうが多いと思います。
幼少時からそのような体験に苦しんできました。
家族は心配し、さまざまな霊能者や僧侶に相談してくれました。
あるときは、霊媒へのスカウトもありました。
しかし若干12歳の私にはいったい何のことかもわからず、とにかくとにかく日々繰り返される現象を止めてほしい、それだけでした。
口を開けば変人扱い、自分を特別だと思っているのかなどなど、助けてほしいと願う自身に浴びせられる言葉に、以後一切口をつぐみ目に見えない世界を語ることを閉ざした10代、20代・・・。
とは言え、体質が変化するわけでもなく、ただただたくさんの霊能者を巡り、助けてほしいと訴えた長い長い時間がありました。
行き着いた答えは
”霊能者になんか絶対なるもんか!”笑
大っ嫌いになりました。
人生を変えるほどのことを言っておきながら、責任感のまったくないお仕事ではないか!と思いました。
もう一つよくある
”あなたの後ろに○○が見える・・・”というもの。
すみません、大嫌いです。笑
内心、”見えるんだったらなんとかしろ!”と言ってます。
見えてるだけじゃだめなんだと。
その力が使えないと意味がないのだと。
私の場合は、人を救いたいなど正直ありませんでした。
とにかく、この体質どうにかしたいと・・・ただただそれだけでした。
本当の神を乞うて、本当の師匠を乞うて・・・
一心に念ずれば現ず。
二人の師匠を経て、得度まで導いていただきました。
一度だけ逃げ出した事もあります。
きっと私をご存知の方は、元気いっぱい、飛び回っているイメージをお持ちかと思いますがが、一年の内半分くらいは不調といっても過言ではありません。
あくまでも、見える世界の体は元気!
見えない世界での体は悲鳴を上げている・・・
お修行すれば少しはましになるかと思っていましたが、レベルが上がればそのレベルでの乗り越える壁がでてくるからです。
一旦は逃げ出した恥ずかしい経緯がありますが、現在も変わらずお修行を継続しております。
お悟りの道を歩むと同時に、自身の能力が何か役に立ち人助けができればと
二つの車輪を動かしているのであります。
霊媒と呼ばれることになんら抵抗はありませんが、私はあてモノやではありませんので最善のお答えを導いていくことが自身の役割であると心しています。
ご相談者が良いほうに向かっていかれる姿をみると、これまで忌み嫌っていた自身の体質がお役に立てたのではないかと、また自身の功徳を積ませていただいたと御仏様に感謝申し上げるのであります。
また、お客さまの中にもご自身の能力を使いお人助けをされている方もいらっしゃいます。
それぞれの”気づき”を話す時間も本当に学びになっております。
ご相談の方も増えてきました。
月に一度は兄弟子僧侶がサロンに来てくださいます。
ご相談者がいるからです。説法を聞くことも自身の学びであります。
その日は、サロンがまさに伽藍のようになります。
※施術中は自身の切り替えがうまくいかないことがあったり、お客様への願望がはいってしまいお答えがはっきり出てこないことがあるので、一言お伝え願えれば助かります。
もちろん、芳眞の役割はお仕事ではありませんのでいつでもお声掛けください。
今後も、マニキュアリストとして、僧侶として気づきをブログにて書きしたためていければと思います。
合掌
芳眞