
ピアニスト浅沼奏さんとサックス奏者彦坂優太さんのユニット、NUMAHIKOのコンサートを初訪問した。
階段を降り、会場へ向かうその途中から、すでに音楽の気配は始まっていたように思う。そこには、これから「聴く」ものに身構える緊張ではなく、誰かの家を訪ねるような、きさくでやわらかな空気があった。
NUMAHIKOのコンサートは、最初から最後まで、その空気を裏切らなかった。
階段を降り、会場へ向かうその途中から、すでに音楽の気配は始まっていたように思う。そこには、これから「聴く」ものに身構える緊張ではなく、誰かの家を訪ねるような、きさくでやわらかな空気があった。
NUMAHIKOのコンサートは、最初から最後まで、その空気を裏切らなかった。
浅沼奏さんのピアノは、語りすぎない。旋律は誇示されることなく、しかし確かな輪郭をもって、静かに場を満たしていく。その音は、音楽が本来もっている呼吸を丁寧に思い出させるようで、聴く者の心拍と自然に重なっていった。幼き日に聴いた子守唄のような懐かしさもあった。
一方、彦坂優太さんのサックスは、人の声にいちばん近い楽器であることを、改めて教えてくれる。時に親密に、時に遠くを見つめるように、息の温度を帯びた音が、空間にゆるやかな陰影をつくり出していた。
二つの音は対立することなく、互いを急かすこともない。ただ、同じ時間を歩調を合わせて進んでいく。その佇まいは、長い時間をともに音楽と過ごしてきた者同士だけが持つ、言葉以前の信頼を感じさせた。
二つの音は対立することなく、互いを急かすこともない。ただ、同じ時間を歩調を合わせて進んでいく。その佇まいは、長い時間をともに音楽と過ごしてきた者同士だけが持つ、言葉以前の信頼を感じさせた。
クラシックという枠組みの中にありながら、その演奏は、形式よりもまず「心」を感じさせるものだった。
この夜、クラシックは高い場所から降りてきて、僕たちのすぐそばに腰を下ろした。専門的な知識も、正しい聴き方も、ここでは求められない。ただ、音に身を委ね楽しむこと。そのことだけが、静かに許されていた。
きさくな空気のなかで、クラシックがぐっと身近なものとして立ち現れる。それはまさに、NUMAHIKOらしさそのものだった。
きさくな空気のなかで、クラシックがぐっと身近なものとして立ち現れる。それはまさに、NUMAHIKOらしさそのものだった。
演奏が終わったあとに残ったのは、拍手の余韻以上に、心の中に灯る小さな温かさだった。音楽は、こんなふうに心と心を近づけることができるのだと、あらためて思わせてくれるコンサートであった。
