小熊、生きているのか?

元気でいるか?町には慣れたか?友達できたか?寂しくないか?・・・・・・・・・。(byさだまさし)

大学の友達と、つい先日白馬のヨーデルに泊まったからなのか、はたまた4年前の自分のブログを再読してみて

律儀に返信してくれていた小熊が恋しく?なったのか、変なタイトルで、4年ぶりに書いてみたくなりました。


音信不通というか、最後にお目にかかったのは波平の結婚式だったような・・・。

大学時代よりスマートになっていて、微笑ましかったのを覚えています。


まだ社会や人間関係にうまく折り合いがつかっなかった年代に、2人で「ああだ」「こうだ」とほざいていたことが

懐かしいです。


理想と現実の間には、大きなギャップがあることは、当たり前のことで、少しでもそのギャップを埋めようと

意識的に生活しようと心がけたり、またすぐに無意識で単調な生活に戻ったり、「息を吸って、生命を食べて、排泄するだけの猿じゃないといえるか?」(byアジアンカンフージェネレーション)


振り子のように往ったりきたりの繰り返し・・・・・・・・。



終着点が見えなくなってきました。


まあ、「元気にやっているのかな」とふと脳裏に浮かんだので書き留めてみただけです。


これから徐々に書いていこうと思います。


小熊、万歳!



地方のニュース(長野版)で

気になったトピックがありました。


「県の職員の人が駅のエスカレーターで

女子高生のスカートの中をデジカメで

撮影していた所を、後ろの男の人につかまって

警察に逮捕された」

というものでした。


よくある話です。

先日も植草教授が裁判で無罪を主張していました。


僕は「デジカメで撮る」という行為は

物凄く問題があると思います。

妄想の段階では自分の外の人には害はありません。

妄想を実行に移した時点で犯罪です。


が、犯罪を誘発する因子も問題です。


特に「女子高生の異様に短すぎるスカート」は

どうなんでしょう。

それに「エスカレーター」という要素が加われば

男の妄想は「パンチラ」一直線です。

ズボンや長めのスカートの女の人が

エスカレーターを上がっていっても妄想が働く

たくましい方も中にはいらっしゃるかもしれませんが、

妄想するパーセンテージは、かなり低くなると思います。

妄想する確立が減少すれば、自ずと行動に移す可能性も

低くなるように思います。


そんな事より一番気になったのは

「後ろの男」の人です。


警察沙汰にするほどのことでしょうか?


触ってもいなければ写真で撮ること以外に

何もしていないのにです。

僕が場面を想像すると、

英雄気取りの後ろの男が

写真を撮っている前の男の人を恫喝している

像が浮かんできます。


あくまでも想像なので実際にどうだったのか

定かではありませんが、

「なぜ、穏便に済ませられなかったのか」

奇妙な怒りさえ覚えました。


後ろの男が前の男の人の肩なりお尻なりを

タップすれば十分だったのではないでしょうか。


女子高生は気づかないまま嫌な気にならず、

前の男の人は真っ当な方であれば改悛の機会

が与えられ、後ろの男の人も気分よく

家路に就くことが出来たように思います。


確かに、より大きな犯罪になる前に未然に防いだ

のかもしれません。

が、未だより大きな犯罪を犯していない人を

一発で地域社会から抹殺する権利が後ろの男

の人にあるのでしょうか?

「穏便に」済ませられることを大事にするのは

どうなんでしょう。

後ろの男の人は妄想を抱いた事がないのでしょうか?


自分の行動が及ぼす影響を考えさせられました。


追伸

雨です。

スキー場は大丈夫でしょうか?













僕は本当に良く「有名人」に遭遇します。

「だから何だ」と言われればそれまでですが、

思い出せないくらい多くの方々に出くわしました。


遭遇する場所は決まって東京駅のホームです。


東北楽天ゴールデンイーグルスの選手達。

中村紀洋選手。大島選手。

サッカー選手だった北澤さん。

研ナオコさん。チイタケオさん。

高橋英樹さん。

ニュースステーションで古館さんの横に

いらっしゃる解説の方。

これ以上現時点では思い出せません。


一番インパクトがあって記憶に残っている方は

「LOVE is the POISON 」

布袋寅泰さんです。


長野新幹線のグリーン車の隣の指定席を取った時でした。

やたらと黒ずくめの方々数人がこちらにやってきます。

確か季節は冬で、みなさん黒のロングコートを羽織って

いました。

ひときわ大きな方が数人を引き連れながら

左方向から歩いてきて僕の右隣で立ち止まりました。


存在が「布袋寅泰」と主張していました。


現実感が薄れてきて、妙な胸騒ぎを感じた

ことだけ覚えています。

露骨に観察したいのですが、自分の中の

曖昧なのに意固地な「ルール」がチラ味しか許して

くれませんでした。

その代わり耳だけは「ダンボ」になりました。

(もともと僕の耳は他の人より「ダンボ」ですが)


大柄な布袋さんが、布袋さんより少し小柄な

「大柄」な方に話しかけていました。


「ねえ、そのひげ何処まで伸ばすの?」


布袋さんより少し小柄な「大柄」な方は

ヤギのようなひげを顎の下に生やしていました。


「別に・・・・・。適当です」


少し照れながら、何処となく嬉しそうな顔で

しどろもどろになりながら答えていました。


この話を聞いていて、

「普通の方なんだ」と感じました。


当たり前のことですが、「有名人」というだけで

あたかも普通の「人間」とは違う扱いを

しているからかもしれません。

普段から「人間らしからぬ会話」を期待している

のかもしれません。


よく「オーラのある、なし」という事があります。


「物凄くオーラがあった」

「全然なかった」


これは自分のその方への「思い入れ」の度合い

の問題だと思います。


数年前、大島渚さんにお目にかかった時には

武者震いがしました。

少し気分が悪くなりました。


ビートたけしさんに遭遇した時には

道が自然と開けていくようなオーラがありました。


先に挙げた方々には特にオーラは感じませんでした。


その中でもとりわけ北澤さんは印象に残っています。

両手を「ピシッ」とした

仕立てのよさそうなスーツのポケットに入れて

体を少し後ろに反らせて、両足を肩幅に開いて

駅弁のメニューを睨み付けていました。


「小さいな」

と思いました。


僕は特に布袋さんに対する思い入れはその時まで

ありませんでした。

けれども、大きさなのか何が原因なのか

よくわかりませんが、オーラというより

「威圧感」のようなものを感じました。


・・・やはり大きさの問題かもしれません。



追伸

12月に入りましたが、今年はいまだに雪が降りません。

目に見える形で温暖化は進行しているようです。
















久しぶりに一人で洋服を買いに行きました。


前の日に、かみさんが上の子とパン教室に出掛けて

いる間、下の子の相手をしていました。

そのご褒美にと


「今日はお父さんの休日でいいよ。」

とかみさんが言ってくれました。


特にほしいものはなかったけれど、

久しぶりの「一人ぼっち」にワクワクしました。


軽井沢ショッピングセンターはこの所

何時行っても混んでいます。

昨日は日曜日で尚更混んでいました。

異様なほど県外ナンバーが多く

長野ナンバーなのが少し恥ずかしかったです。


最初にイーストだかウェストだかの帽子屋さんに

入りました。

ここも勿論混んでいました。

帽子の数と同じくらいの人が

小さい鏡の前で帽子を脱いだり被ったり

している光景は「帽子やさん」だから許容できる

ことだと思いました。


例えば

「トイレの鏡の前で同じくらいの人数が

これと同じ動作を繰り返していたら」

と変な妄想が浮かんできました。


いろいろな帽子を試してみたけど、どれも似合いませんでした。

今度かみさんと来たときに見てもらうことにしました。


次に入ったところに、よさそうなコートがありました。

とりあえず試着して買いました。

今までの経験上、第一印象で買った服は

長く着る傾向にあります。

僕にとって「ファーストインプレッション」は説明の出来ない、

けれど確固とした基準です。


次に「プーマ」でジャージの下と仕事で被るキャップを買いました。

ジャージは普段でも着れそうな質感のもので

早速家で着てみました。


大正解でした。

同じものをもう一つ買いたい人の気持ちが少しだけ理解できました。


3点ばかり買い物をしたら気分が良くなりました。


気分がよくなったついでに「ホテルマロウド軽井沢」

に行ってみました。

ここは結婚式を6年前に挙げた所です。


このところの土地バブル再来の余波なのか

向かいには建物が建っていました。

ホテルそれ自体は6年前と何ら変わっていないようでした。


もう少し微妙な感情が沸いてくるかと思って行ったのですが

何も沸いてきませんでした。

近くの大賀ホールでは「デマチ」の熟年女性で一杯でした。

ホールのおかげで公園の池が以前より際立っていました。


久しぶりの「一人ぼっち」を十分満喫しました。

今日始めて時計を見ると12時9分でした。

家を出てきたのが10時過ぎですからまだ2時間しか

経っていませんでした。

結婚して以来一人でいると何処か気ぜわしくなってしまって

「一人ぼっち」を満喫できなくなってしまったようです。


「自分だけ」という「ウシロメタサ」があるのかもしれません。


追伸

「天願大介」さんの名前を見て嬉しかったです。

物凄くあったかい人でした。

今度映画を見ます。


















この頃自殺のニュースが多いです。

特にいじめ関連での自殺のニュースがほとんどです。


実際いじめが原因の一つと思われる自殺以外にも

日本では毎年3万人もの方々が自殺しています。

結局自殺した方に聞いてみなければ(聞いてもわからないかもしれませんが)

原因はわかりませんが、一般的に原因の一つとして

病気、金銭、精神的な疲労、老いなどが挙げられています。


とりわけショッキングな自殺がありました。(自殺それ自体がショッキングなことですが)

薬科大の女子学生が学校の校舎から飛び降り自殺しました。

20階ぐらいの高さから窓のストッパーをわざわざ外して

二人で飛び降りたそうです。


不謹慎かもしれませんが、僕の中で妄想がいくつか生まれました。

「どちらかの方はあまり死にたくなかったのではないか」

「二人同時に飛び降りたのか」

「お互いに性を超えて好いていたのではないか」

「薬の影響があったのか」


あくまでも二人の外側からみた身勝手な感想です。


「二人、またはそれ以上で自殺する」


人里離れた山中の、車の中で練炭を燃やして

集団自殺をする例があります。

個人とはまた違った心理の動きが

集団になると働きます。

途中でやめたくなっても見えざる圧力は働きそうです。

一度、一方向に走り出すと止めることのできない

運動エネルギーが働くような気がします。


二人の密閉された緊張空間に入ることは

容易ではなさそうです。

が、身近な人がそっと入っていかなければ悲しい結末を

迎えてしまいそうです。

「ミイラ取りがミイラになる」かもしれませんが。


僕には入り方がわかりませんが、「常に声をかけ続けること」

は一つの手段だと思います。

「あちら側の言い分」と「こちら側の言い分」は交わるはずが

ありません。

何とかして綱引きのようにこちら側にゆっくりと引っ張って

来るほかないように思います。


カウンセラーでもなんでもないので、足りない頭で

考える事しかできませんが、

身近な人が、「あちら側」に行きかけた人に「僕もいたりして」と

小声で語りかける事がベターだと思います。


語りかける側の気力、体力が充実していないと

ミイラになる可能性が増しそうですが。


追伸

今日東京駅で、フジコ・へミングさんに遭遇しました。

失礼な感想ですが、お顔がかなりビッグでした。


駅前ではチイ・タケオさんがロケをしていました。

失礼な感想ですが、普通のおじさんでした。

(当たり前ですね)






















先日、テレビで「この頃の男は人前で泣きすぎだ」

というような特集をやっていました。

結婚式場のお姉さんに聞いた所、

3~4割の割合で新郎が泣くそうです。


僕は別に男だろうが、女だろうが

それが許されるであろう状況下であれば

喜怒哀楽をだしても一向に構わないと思います。

逆に無表情すぎる人はある意味、怖ささえ感じます。


昨日も僕が所属している団体の卒業式がありました。

卒業式の終盤で卒業生が現役のメンバーに向けて

スピーチする場面がありました。

その人その人のキャラクターが言葉から滲み出ていて

お世辞ではなく感動しました。


伝えたい事を理路整然と仰られる方。

今までの出来事を思い出して言葉に詰まる方。

内容は同じような事でもその「伝え方」に個性が出ていました。


僕は「もらい泣き」「もらいゲロ」するタイプなので

昨日も若干「ウルッ」ときました。



要は、

「美学の問題」なのだと思います。

「男は人前で泣くものではない」という美学を持っていれば

意志の力である程度涙を抑えられます。

昔(僕が幼い頃)と違って映画の高倉健さんのように

「背中で泣く美学」は薄れてきていると感じますが。


その時その時の風潮などで「立ち居振る舞い方」は

変化していきます。

誰もが「こう振舞うべきだ」というものはありません。


「見ている人(周りの人)が不快感を覚えないこと」

というあいまいな基準ですが、なんとなくわかる「雰囲気」

つまりは、「空気を読むこと」が一番重要な気がします。


追伸

さすがに大泣きされるとドン引きします。







いよいよ寒くなってきたので、薪を調達しに行きました。


去年は太郎が小さかったので燃やさなかったのですが、

今年はある程度分別がつくようになったので

燃やす事にしました。


軽井沢の方達は住民税を沢山払っているので

町が無料で薪を分けてくれます。

佐久市はそうはいかないので、お金を払って買いに

行かねばなりません。


ちょうど良い大きさに割ってある薪を

軽トラック山盛り一杯で1万円します。


大体11月から3月まで毎日焚いたとして

3杯分あれば足ります。

冬のガス代、電気代を考えると安いのかも

しれません。


昨日は、かみさんと子供二人を軽トラに乗せて

薪を取りに行きました。

10分程のところで、感じのいいおばさんが

薪を積むのを手伝ってくれます。

「このくらいの大きさが使いやすいよ」

「アトピーには薪ストーブはいいらしいよ」


こんな会話をしながら積んでいるとたちまち

一杯になります。

子供たちは助手席で静かに見ていました。


積んだ物を家へ持っていって降ろし

かみさんと子供を残してもう一度取りに行きました。


次に来たときにはすでに一回分が積み終わっていました。

かみさんに聞くと二人とも積むのを手伝ってくれたそうです。


この頃二人とも喧嘩ををよくします。

太郎はすぐ泣きます。

環は太郎に意地悪をします。


でも、仲良く遊びます。

太郎に「誰と結婚するの?」

と聞くと「お姉ちゃん」と答えます。


お姉ちゃんは保育園の「たあちゃん」

と答えます。


太郎はおねえちゃんが泣いていると

それが自分が原因なのに

環の頭を撫でてくれます。


昨日のお手伝いのせいで二人とも

風邪気味です。

火傷だけには気をつけて

今日からあったまりたいと思います。



追伸

いつか庭に焚き火スペースを作りたいと思います。

火を見ていると時間の流れが緩やかに感じられます。









最近珍しく僕の中では忙しかったです。

「忙しい」と感じるレベルは人それぞれで

大して忙しくもないのに忙しがる、忙しがりたがる

人もいるようです。


僕はルーティンワーク以外でやらなければならない事が

3日先ぐらいまで入っていると

聴牌です。

気ぜわしくなってしまい、落ち着きがなくなります。


僕は大体、月にいくらくらいの利益を上げればいいのか

わかっているので(当たり前の事ですね)

それを越えた時点で休みたくなります。

または、「もう次の月でいいじゃん」

となります。

その代わり、超えないときは大変です。

自営業の宿命です。



経営という視点からみると、どんな商売でも

同じことをやっています。

「月々いくら」

「経費はいくらかかった」

これらの事を勘案すると、新たに商売を始める事に

躊躇せざるをえません。

加えて人を雇うことは大変な事です。


「人を雇わずに自分たちだけの口を養える仕事。」

いっその事、僕のような人間は

雇われた方がいいのかもしれません。

それはそれで気苦労があるでしょうが。


仕事が楽しくて仕方ないレベルにいる人は

日々の金勘定に追われないで

仕事それ自体に集中できる人だと思います。

次々と仕事が舞い込んできて何ヶ月先まで

埋まっている状態。

3日先が埋まっているだけで一杯いっぱい

の僕としてはこれはこれで逃げたくなります。


要は仕事に向いていないような気がしてきました。


向き不向き関係なく仕事をしないと生きていけません。

当たり前の事ですが大変な事実です。


追伸

都会に住むと息が詰まりますが、

田舎にだけいると、刺激がなく退屈です。

都会と田舎の間を

ある程度の間隔で往復した方がいいようです。


























昨日で結婚6年目を迎えました。
僕は特に記念日を大切にするような人間ではありませんが、
大切にしない人間でもありません。

会話の最中に「今日何の日だっけ?」という事になり

「そういえば、結婚記念日だ」という話になりました。
かみさんは覚えていたようです。
「そうか。今日はご機嫌を取らないとまずいな」

そういうわけでお昼は近くの創作料理のお店に行きました。

そこは海鮮が美味しいらしいのですが、
何故だか「牛ロース定食」をたのんでしまいました。

蕎麦屋に行ってうどんをたのむような事をしてしまいました。


     が、物凄く美味しかったです。


別に奇を衒った事は何もしていないのに

ご飯の量とおかずのバランスが絶妙で
少し濃い目の和風ソースがご飯と合っていました。
他の味噌汁とお漬物、おひたしは量のバランスと
味のいい加減が相まってお肉を引き立てていました。

あまり期待していなかっただけに

「ミスター味っ子」ばりの大袈裟な感動を覚えました。

夜はかみさんの作ったロールケーキを皆で食べました。

こどもは周りに飾ってあるマーブルチョコだけがほしくて
ケーキ自体はどうでもいいようでした。

     

別に幸せ家族を自慢しているわけではございません。


「変化」って必要だなと思いました。


     マンネリは日々の生活をつまらなくする一つの要因です。

が、惰性は避けては通れません。
確かに同じ一日はありませんが、
同じような一日は山ほどあります。
そんな一日の集まった365日を
「如何に退屈しないで過ごしていけるのか」
その為にいろいろな休日やイベントが
僕たちをワクワクさせようと必死です。
小さい頃はクリスマスだ、お正月だ、夏休みだ
と少なからず興奮しました。

今ではそれらの行事が僕を興奮させてはくれません。

「のっぺりとした365日を如何にして乗り切るか」
与えられた記念日や行事に乗っかれるのであれば
乗っかった方が生き生きと出来そうです。
乗っかれないのであれば、自分で変化を作り出せれば
それはそれで乗り切りやすいように思います。

     

消極的な言い方かもしれませんが、

     偽らざる今の心境です。


     追伸

     

     昨日は穏やかな一日でした。

     環は来年、小学生です。

     

     

2,3日前から下の男の子が高熱を出して寝込んでいます。

熱のせいか機嫌が悪く、かみさんも手一杯なので

僕の実家に上の女の子と一緒に寝泊りしています。




自分もそうでしたが、「お泊り」は非常に楽しみでした。

「非日常」という要素が大きく作用していたのだと思います。


神経質な子供でしたが、お泊りではぐっすりと眠れました。

異常な興奮で疲れたのだと思います。


上の子もご他聞に漏れず、興奮気味に遊びぐっすりと

眠っています。


後2,3日もお泊りすれば、非日常の感覚が薄れ「楽しさ」

よりも「寂しさ」が勝って「ホームシック」になるでしょう。


それまでに太郎が元気になってくれればいいのですが・・。



昨日、実写版「ちびまるこちゃん」を一緒に見ました。

日曜日の18時からやっている漫画の方も家族で見ています。

詳しい内容は覚えていないのですが、「作文のはなし」

「うそのはなし」「転校のはなし」だったように思います。


「転校のはなし」でまることお姉ちゃんが別れ別れになるかもしれない

という場面で二人が泣いているシーンがありました。


僕は若干「ウルッ」ときました。

ふと横を見ると環(上の子)が椅子にうつ伏せにになっています。

「環、具合悪い?」

返事がありません。

「どうした?」


目を擦りながら起き上がると、また椅子にうつ伏せになりました。

「環、悲しいの?」

小さく頷きました。

しばらくして起き上がると目は真っ赤で髪の毛はボサボサでした。

考えてみれば当たり前の事かも知れませんが、

「こういう感情を持っているんだ」と素直に驚かされました。


「愛しい」という言葉が恥じらいもなく使える状況でした。

頭を撫でると少し泣き止みました。


追伸

涙もろくなってきているようです。

今朝、家に行ったら太郎が元気に遊んでいました。

薬で熱を下げているようです。

「ボウケンジャー太郎」復活を心待ちにしています。