さてそんなわけで、タバコを吸わなくなって10日あまりが過ぎた。
本当に何か特別なキッカケがあったわけでもなく、10/26(水)の午後、急に「もういいや」となったのだ。
案外「吸いたい気持ち」に襲われることも少なく、イライラやウツ等のやっかいな禁断症状もない。まだ10日ほどではあるが、極めて順調に滑り出したno smoking lifeと言えよう。
時たま食後などにすごく「あぁ吸いたい…」と思うこともあるが、それはほんの数秒間の衝動であることを知った。その数秒を今はフリスクやグミ、干し梅などでやり過ごしいる。
禁煙により腸の吸収能が高まることに加えて、こうした間食の習慣が「禁煙は太る」の定説を生むのだろう。
まぁ今のところ多少なら太ってもいいやという心境だ。太るくらいたいしたことではない。
なにしろ、タバコを吸わなくても平気な人生を手に入れたのだから。
タバコにまつわる色々なことを気にしなくいい毎日というのは、もう本当に楽。
金だ匂いだ場所だ火事だetc、一切気を使わなくて良くなった。
だから今の心境はまさに「解放感」。実に晴れ晴れとした気分だ。
これはきっと「禁煙」というスローガンからは生まれない状態だろう。
なので「脱煙」あるいは「卒煙」と呼ぶべきかもしれない。
何事においても「禁〇〇~」という響きには、我慢とかストイックとか、ストレスフルなニュアンスがつきまとう。
意志の弱さには定評のある自分には到底無理だ。
しかし、暗示にはかかりやすい。
「自分はもうタバコを吸わなくていい人になったんだ」と思い込むこと、これが今のところの勝因と考えられる。
たぶんここ十数年、24時間以上喫煙せずにいたことはない。
そんな自分が2週間近くも吸っていないのだから、これだけでも快挙といえる。
このまま一生おさらばできるかも知れないし、また何かのはずみで吸ってしまうかも知れない。
先のことはわからないが、まぁ軽い気持ちでいこうと思う。
一方で、ここにかたい誓いを立てよう。
仮に自分が完全に非喫煙者になっても、ボクは喫煙者を攻めない。
エチケットやマナーを守れるカッコいいスモーカーの立場は、尊重する。
露骨に煙たい顔をして嫌煙権を主張する、不快な嫌煙家にならない。
―以上、誓います。
本当に何か特別なキッカケがあったわけでもなく、10/26(水)の午後、急に「もういいや」となったのだ。
案外「吸いたい気持ち」に襲われることも少なく、イライラやウツ等のやっかいな禁断症状もない。まだ10日ほどではあるが、極めて順調に滑り出したno smoking lifeと言えよう。
時たま食後などにすごく「あぁ吸いたい…」と思うこともあるが、それはほんの数秒間の衝動であることを知った。その数秒を今はフリスクやグミ、干し梅などでやり過ごしいる。
禁煙により腸の吸収能が高まることに加えて、こうした間食の習慣が「禁煙は太る」の定説を生むのだろう。
まぁ今のところ多少なら太ってもいいやという心境だ。太るくらいたいしたことではない。
なにしろ、タバコを吸わなくても平気な人生を手に入れたのだから。
タバコにまつわる色々なことを気にしなくいい毎日というのは、もう本当に楽。
金だ匂いだ場所だ火事だetc、一切気を使わなくて良くなった。
だから今の心境はまさに「解放感」。実に晴れ晴れとした気分だ。
これはきっと「禁煙」というスローガンからは生まれない状態だろう。
なので「脱煙」あるいは「卒煙」と呼ぶべきかもしれない。
何事においても「禁〇〇~」という響きには、我慢とかストイックとか、ストレスフルなニュアンスがつきまとう。
意志の弱さには定評のある自分には到底無理だ。
しかし、暗示にはかかりやすい。
「自分はもうタバコを吸わなくていい人になったんだ」と思い込むこと、これが今のところの勝因と考えられる。
たぶんここ十数年、24時間以上喫煙せずにいたことはない。
そんな自分が2週間近くも吸っていないのだから、これだけでも快挙といえる。
このまま一生おさらばできるかも知れないし、また何かのはずみで吸ってしまうかも知れない。
先のことはわからないが、まぁ軽い気持ちでいこうと思う。
一方で、ここにかたい誓いを立てよう。
仮に自分が完全に非喫煙者になっても、ボクは喫煙者を攻めない。
エチケットやマナーを守れるカッコいいスモーカーの立場は、尊重する。
露骨に煙たい顔をして嫌煙権を主張する、不快な嫌煙家にならない。
―以上、誓います。