自分の引退試合がW杯の決勝戦だなんて、サッカー選手としてはこれ以上ない最高の舞台での幕引きだ。そんな幸せな選手はそう多くいるものじゃない。そして、その舞台を頭突き退場で締めくくる選手も決して多くないだろう。

会見でジダン は、「母や姉を侮辱する言葉を数回浴びせられた」ことが自分が「反応」したきっかけだ、と話した。また一部報道では、アルジェリア系移民であるジダンに対する差別的な発言もあったとか。真相はいまだ明らかでない。

ジダン

渦中のイタリアのマテラッティ選手。彼を、「同点ゴールを決めたうえに敵チームの中心選手をピッチから追いやり、イタリアを世界一に導いたヒーロー」ととるか。あるいは、「自分は下品な人間であると世界中に大発表したばかりか、イタリア国そのものの品位をも下落させたクソ野郎」ととるか。
感じ方は人それぞれだと思う。
けど彼自身は、自分の子供に「父さんは国の代表として正々堂々と戦って世界一になったんだぞ」と胸を張って言えるだろうか?後悔してるのはジダンよりむしろマテラッティではあるまいか?

さておき、ベスト8くらいから試合前にチームのキャプテンが「人種差別にNOと言おう」みたいな宣言文を読みあげていた。世界最大のスポーツの祭典らしい催しだ。サッカーを通じて世界平和に貢献し、国際交流の一助になろう、とまぁそんな感じの意味付けもあるのだろう。
いいことだ。いいことなんだけど、どうも引っ掛かる。
「国際交流」にウエイトを置いた出場国の選抜方法が、どうも純粋な競技力を競うという本来の目的を薄めてしまっているように思えてならない。それを象徴するのが、アジア地域に与えられた「4.5」という出場枠数。どう考えても甘すぎるだろう。
ボクがベルギー人とかカメルーン人なら、「日本なんかより絶対ウチの方が強いわ。アジアを勝ち抜くのはラクでええのォ~」と思うことだろう。

サッカーW杯はやはり、サッカーの実力だけを競い合う純粋な場であって欲しいと願う。政治や国際問題とスポーツは全然別モノ、という意識を明確にすべきだ。やる方も観る方も。

ヘタに混ぜようとするから、話がややこしくなったり、アンフェアな選抜基準になっちゃったりするんじゃないかなぁ?
今大会でのアジア勢の敗退で次回の枠は3.0とか3.5に削られるといわれているけど、だからといって欧州や南米との実力差が縮まるわけではないしね。