モノマネの楽しみ方には2通りある。
純粋に、いかに似てるかを鑑賞するのが1つ。松村やホリなどがこの部類か。こないだ観た松村がやるビートたけしのモノマネは本当にすごかった。顔面神経麻痺まで見事に再現していた。たけしのモノマネ殿堂入りと言っていいだろう。
もうひとつの楽しみ方、それは、そいつが誰を(または何を)モノマネの題材として取りあげているかの鑑賞である。似てる似てないの判断以前に、モチーフの選択そのものをおかしむという視点だ。モノマネを「お笑い」としてカテゴライズするなら、笑いのセンスが問われるのはむしろこっちだと思う。
最近、児玉清のモノマネをする奴がよくTVに出るが、ツボにハマってしまっていて、見るたびに爆笑する。
「アタック25」は子供の頃からよく観ていたが、児玉清をおもしろいと思ったことなどもちろん一度もない。しかし奴のモノマネは大変おもしろい逸品だ。
全く似ていなければ話にならないが、それよりもやはり、「児玉清のモノマネ」という宝石を発見した時点で、奴の勝ちは決まったようなものだ。勝ちってのも何だが、誰もが見落としていた盲点に着眼したことは賞賛と爆笑に値する。
カラオケも一緒だ。どう歌うかより、何を歌うかによって、そいつの人間的センスは判断される。
純粋に、いかに似てるかを鑑賞するのが1つ。松村やホリなどがこの部類か。こないだ観た松村がやるビートたけしのモノマネは本当にすごかった。顔面神経麻痺まで見事に再現していた。たけしのモノマネ殿堂入りと言っていいだろう。
もうひとつの楽しみ方、それは、そいつが誰を(または何を)モノマネの題材として取りあげているかの鑑賞である。似てる似てないの判断以前に、モチーフの選択そのものをおかしむという視点だ。モノマネを「お笑い」としてカテゴライズするなら、笑いのセンスが問われるのはむしろこっちだと思う。
最近、児玉清のモノマネをする奴がよくTVに出るが、ツボにハマってしまっていて、見るたびに爆笑する。
「アタック25」は子供の頃からよく観ていたが、児玉清をおもしろいと思ったことなどもちろん一度もない。しかし奴のモノマネは大変おもしろい逸品だ。
全く似ていなければ話にならないが、それよりもやはり、「児玉清のモノマネ」という宝石を発見した時点で、奴の勝ちは決まったようなものだ。勝ちってのも何だが、誰もが見落としていた盲点に着眼したことは賞賛と爆笑に値する。
カラオケも一緒だ。どう歌うかより、何を歌うかによって、そいつの人間的センスは判断される。