思い立ったので日記をつけることにした。
大杉漣さんの訃報に、人生の刹那を感じて。
今までも、著名な方々が亡くなられて、テレビやインターネット等でその訃報を目にする事は多々あったし、やはりその都度ショックを受けるし思うことはあるんだけど、大杉漣さんの死に関しては、何故か自分でも想像以上のショックを受けている。まるで、親戚や、よく知っていて可愛がってくれた近所のおじさんが亡くなってしまったかのような。素晴らしい役者さんではあるけど、別にすごいファンだったわけでもないのに。だから、とても不思議な感覚を味わっている。涙が次から次に溢れてくる。昔好きだったマイケル・ジャクソンが亡くなった時でさえ涙など流れなかったのに。何故だろう?
32歳の時、大学時代にほんの一時期付き合って、でも訳あって数ヶ月で別れ、でもその後親友へと変わった男友達が亡くなった。癌だった。体調不良で病院に行ってみたら、即入院。既にステージ4…末期だった。開腹したものの、手の施しようがなかったらしい。でも、彼はその時パパになる3ヶ月前だった。余命宣告されても、「ガキが生まれるまでは死ねねぇよ」と笑っていた。
そして、入院から半年後、この世を去った。その間、3回しかお見舞いに行けなかった。あっという間だった。彼にとって、その半年間は長かったのか、短かったのかわからない。痛み、苦しみに耐えながら、ガンに侵され弱くなっていく自分を感じながらの半年は長く感じたであろうし、でも、愛する息子をその腕に抱きしめたときの幸せを味わえた時間は短かったかもしれない。
病床で彼は何を思ったんだろう?
幸せだったのか
不幸だったのか
それすらわからない
ただ、彼の葬儀には大勢の友達や仕事仲間が集まり、その死を悼んだ。明るく、義理人情に溢れていた男だったから、皆に愛されていたのがよくわかった。
短命でも、多くの人に愛され、その命が尽きたときに、沢山の人が悲しんでくれれば、生まれてきた甲斐があると思える。でも本人はきっと無念だったろう。
大杉漣さんはきっと本人もわからないままに命絶えてしまったように思う。私の友達のように、病床で弱っていく時間がなかったぶん良かったのか…ホントにどうなんだろう?全く想像もできない。
でも、やはり命は儚いことに変わりはないのだろう。だから、少しでも後悔の無いように生きていきたい。今を大切に。与えられたこの環境の中で、毎日を少しでも前向きに、「生まれてきてよかった」と思えるように。
人に自慢できるような大した人生ではないけど、人がどう思おうが、自分が満足できるように。周りの人を大切に。何事にも感謝を忘れずに…。
