その中でもこの言葉
「誰も上に置かない」
この言葉は以前より陽子さんによく言われていた言葉でした。
言い方を変えると
それくらい、パワーの強い誰かに自分の力を明け渡していたということだと、今思います。
でも、これ
もう長いことやってきた癖で、無意識にそうしてしまうこともあって
なかなか気付けない時もありました。
だからとことんイヤ!という出来事があって
これでもあなたは自分の感情がわからない?
これでも他者の言う通りにする?
自分の感情を、これでもなかったことにするの?
という体験を何度もしました。
誰も上に置かない
3月に先輩セラピストのなみさんがカラー講座で陽子さんに質問をしてくれました。
その質問は…
「全てのチャクラが整った時に頭上に咲くと言われている蓮の花
陽子さんが蓮の花が咲いたと感じた時はいつですか?」
これに陽子さんはこう答えました。
「誰も上に置かなくなってから」
この言葉がとても印象的で
心に残っていました。
私は、誰かを上に置いていないだろうか?
そう問いが生まれます。
問いの答え…
まだ、そこは未完了
幼い頃から
親、先生、友達、パートナー、上司、師匠をついつい上に置いてしまうのは、私だけではきっとないと思いますが
特に、上司や学びの師匠を
上に置いてしまうこと
私はあります。
尊敬、敬愛
そんな想いもありますが
最近感じることは
愛おしさ
師であっても、諦めない命を見せてもらったり
時に人間性を
自らポンコツと言う部分を見せてもらったり
そんな時に、愛おしさが
愛が湧きます
これは、上に置くと異なる想いだなぁと
愛おしさが湧く自分にも愛おしさを感じます。
この時、何とも言えない感覚があって、それは人を上に置いている時と全く異なるものです。
人を上に置くということは
あの人にはあって
私にはない
私は十分じゃない
欠けている存在だ
そんなことが無意識レベルで
信じ込んでしまっているのかもしれません。
「陽子さんみたいに強く美しくなりたい」
半年コース中に何度か呟いた言葉です。
でも、その度に陽子さんは
「私に見るものは、あなたの中にあるものです」
そう返してくれました。
「私には強さも美しさもありません、それは陽子さんにあるものです」と思っていましたが
いろんな学びが進んで今は、それを受け取れる
自分を見せてもらっていることに気づけるようになりました。
そして、私は陽子さんになれないし、ならなくていい
私は私でいいと
私がいいと
やっと思えるようになりました。
誰かと姿形、今までのプロセス、人生を交換できるよと
仮に神様が言ってくれても
もうここまでやってきたプロセスの続きをこの体で体験する
それまで、死ねません。
宝塚卒業生ワークショップ
カラー講座に合わせて卒業生のワークショップに参加させてもらいました。
日頃、抑えている自覚はなかったけれど
きっとどこかで我慢させていたものがあったのでしょう
陽子さんと光平さんの今ここ誘導で体が緩んで涙が流れました。
仲間の勇気あるシェアにも
私にも刺さる部分があって
こちらにも涙が流れました。
光平さんが言ってくれた言葉
「神と自分の間に誰も置いてはいけない」
「陽子光平であっても上に置いてはいけない」
そんな言葉が沁み渡りました。
更に、その後に光平さんが書いたブログの言葉に
涙が静かに流れました。
私がホームだった
誰でもない私で
今に寛ぐ
いろいろな出来事に湧き上がるものがあるけれど
何度でもかえってこよう
誰も一緒にいてくれなくても
自分1人でも今ここにいますか?
答えは
YES
何度ブレても
何度でも宣言しよう
私は今ここを選択して
愛を表現して生きていきます
そう感じられた尊いワークショップの今ここの時間でした。
この感覚を体が覚えているから…
何度でも体験しにいくのかもしれません。

