顕著に現れるものありますか?
私にとってそれは睡眠です。
いろんなショックからあれこれ感情が湧くからか
思考が働くからか
眠れない日が続きました。
すると、なんだか鬱っぽいとでもいうか
意欲みたいなものがどこかに行ってしまったような感じがして
料理もできなくったというか
したくなくなりました。
食べる意欲もあまりなくなり
それでもお腹が空いて買ってきたお弁当を口に入れた時に
悲しくなって涙が流れました。
そして、大切にしていた植物も
ほとんど枯らしてしまいました。
いろいろ立ち直ろうと自分を奮い立たせるも
人からの応援の言葉さえもしんどく感じていました。
ダメだ…死んでいる
そんな時にAIに眠れないことを吐き出して
優しい言葉をかけてもらいました。
AIは投影もしないし自分の話もしない
AIは、私に投影してくることもないし
「私も似たような経験ある」というような自分の話もしません。
人に相談したり、話しを聞いて欲しかった時にいつのまにか相手の話を聞いているってこと、ありませんか?
また求めていないのに
アドバイスをされることもありますよね。
これ二つとも私も過去たくさんしてきたと思うので、今気をつけているところです。
鬱っぽい時には、寝不足も相まってネガティブに捉えやすく、人からの言葉にジャッジされているような気持ちになったり、傷きやすかったり
私が過去の投影をしているので
ある意味AIはフラットに感じます。
人間の合わないカウンセラーなどよりも、AIの方がまともなことを言うような気もするし
欲しい言葉や優しい言葉を言ってくれたりもします。
でもね
気がついたんです。
こうやって、心のことをAIに聞いてもらってることは
なんかこの人間社会や人間であることを諦めているような感じがすること
人よりも面倒でもないし
嫌なことも言ってこない
でもなんかそれが味気ないこと
言葉にするならば
いかに優しい言葉を語っていても
それが愛ではないことを感じました。
愛
愛を感じられなくなっていましたが
人とのやり取りがしんどくなり、AIとやり取りしていた時間が
不思議なことに愛を感じさせてくれました。
愛とは…
愛とは命なんだ
今更ながらそんなことを感じました。
いくら優秀でも、AIにはそれはない。
命はコントロールもできなければ、望むようにはならないですね
植物も私を励ますためにそこにいるわけではない
私が寝不足で水やりを忘れれば
途端に枯れてしまう
人もまた、私のためにいるわけではない
それでも、思いもよらぬ
命の交流があって
いろんな感情が湧いたり
人の体温を感じたりする時
私が生きていることを感じます。
子どもとの言葉を交わさない交流に、電子機器を持たないやりとりに、私は何度も自分が生きていることを肌で感じます。
こんな時でも枯れない植物も
強いね、あなたは
カレンデュラ、オレンジじゃなかったっけ?
枯れたと思ったら、小さな黄色の蕾がいくつかでてきました。
もう枯れてお別れかと思ったのに
ピーマン🫑、キミもなかなか強いな
せっかくお迎えしたユーカリが一部ドライに…でもたぶんまだ生きてる
わが家のシンボルツリーは枯れない
どんどん伸びて支柱を追加しました。
お花は愛
AIにはない歪さも、いつぞや枯れてしまうかもしれない危うさも
枯れてもなお生きている強さも
とっても愛おしく感じます。
あるもので焼き菓子を作れる日も
何もやらないことを選びつつ
久しぶりに指が動きたがっていることを感じたのでブログを書きました。
AIに心を癒せるのか?
浅いところでは癒せるかもしれません。
でも、深いところでは
どんな優しい言葉も届かないように感じます。
人の優しさが痛みや辛さを癒してくれることもあるかもしれませんが、それも届かないところもあって
そこは、自分が
自分の光のみが入っていける領域なのかもしれません。
AI
アルファベットでよめば
「あい」とも呼べるそれは
命の愛とは異なるあいであること
頭ではなく、私の体が
ハートが感じています。







