ブログを毎日のように書くことをやめ、スマホをみる時間
特にSNSをみる時間が激減しました。
何もしない時間を過ごし
今この瞬間の呼吸に意識を向ける
朝晩、瞑想をすることがいつの間にか日課になりました。
静かに瞑想を1人ですることもあれば、誘導瞑想を聞いて瞑想することもあります。
夜は気づいたら眠っていることもあります。
それから、朝晩
ストレッチやヨガをすることも習慣になりました。
やらなきゃ!というよりも
心地よいのでなんだか続いている感じです。
今まで、通勤時間の電車やバスの間もスマホを片手にブログを書いたり、SNSをみたりしていましたが
不思議なもので、あんまり移動中も自然とスマホを開かなくなりました。
思考する時間
私たち、人間は
一日のうち、3万回〜8万回位
思考を働かせて考えているそうです。
そして、それは
考えなきゃ!と思って考えているわけではなくて
自動的に
無自覚に
作動してしまう
何度も何度も同じことを反芻して考えてしまうことありませんか?
「ああ、もっとこうすればよかった」と状況を思い出して後悔したり
人から言われた言葉を何度も何度も頭の中でリフレインしては
嫌な気持ちになったり
◯◯になったらどうしよう…
って、何か未来の不安を感じて
そこからいろんな妄想が始まったり…
生きていれば
そんなことありますよね。
というか、もう自分では制御が難しいほど、デフォルトになってしまっていて
そして、それがあたかも
自分であると思ってしまいます。
そして、それにより
問題や苦しみが生まれます。
問題や苦しみが生まれれば
それらを解決しようとして
また頭はフル回転
いろんな可能性を模索したり
過去を反省して改善しようとしたり
それ自体は、役に立つ側面もたくさんありますが
それをし続けていると
今この瞬間を感じられないのだということが
ようやく体の感覚としてわかるようになってきました。
思考が働くのを否定するのでもなく、少し離れて
ああ、今そう考えたんだね
と観察する視点を
瞑想することを習慣にしてから
よりクリアに感じられるようになりました。
また、体をスキャンするように
瞑想の中で一つ一つを意識するようになり
どんなに私が体を酷使しても
どんなに意識しなくても
私のためだけに働いてくれていることに感謝や愛おしさが湧くようになりました。
ゆるがないもの
なぜ、私がこんなことを習慣化するようになったかというと
何度目かの人生の絶望だと感じる出来事があったこと
そして、それよりも
それを人にわかって欲しい
助けて欲しいという
私の中の依存や人を上に置く
そんな染み付いている
心の癖に嫌でも気がついたから
です。
もう本当にここを卒業して
もっと自分の中にある
絶対ゆるがないものにつながりたい
もっと大きな視点で
大いなる存在
内なる神とつながりたい
そんな想いが湧きました。
徳島行きの飛行機の中からの写真です。
こうして、雲にどんなに覆われようと、空の上は澄み渡っている
どんな雨雲がこようとも、空自体がそれに埋め尽くされてなくなることもない
そして、必ず雲は去っていく
これは、私もそうじゃないかと
感じます。
雲の下で
体や名前があって
空の天気によってあれこれ思考や
感情が湧く
でも必ずそれは去っていくし
どんなものがあろうとも
その雲の上には穏やかな澄んだ空があって
私の意識や命は
本当はここなんだろうな
そう徳島行きの飛行機の中で感じました。
雲の上で飛行機に乗っていれば
飲み物のんだり、映画みたり
行き先も決まっていて
リラックスできる
でも、暗い雲の中に自ら入って行き乱気流にのまれ
この飛行機は本当に着くのか
どこに向かってるんだ
そんなことを考えている時
人生はきっと苦しいのだと思います。
prema
そんな私の前に
藤井風くんのpremaが流れました。
サンスクリット語で愛という意味のprema
この曲は、全て英語なのですが
彼の音楽と言葉
パフォーマンスは圧巻
宗教色だのなんだのいう方もいますが、もうそんなのどうでもいいくらい
私の胸の真ん中に
彼の歌声が響いています。
私は愛そのものだと
感じられる今があることに
感謝です。