私にとっての3.11。この日を忘れない。
私が昨年Facebookに投稿した記事です。
まだインスタやブログを本格的に始める前のこと。
なので、あらためて投稿させていただきました。
もう一区切りとして取り上げられないところもあるようですが、
私はこの日は忘れられませんし、
忘れてはいけないと思っています。
自然の脅威の前には人は無力。
弱い生き物。
だからこそ助け合って
手を取り合う。
そして、備えることの大切さ
毎日の日常が当たり前ではないことの
ありがたさ
毎日そんな奇跡が積み重なって
今、ここに生きていられるということを
振り返る大切な一日となっています。
あなたも
あなたの大切な人も
今日も笑顔で過ごせますように。
2011年3月11日 14時46分
この日は私にとって忘れられない日です。
私はこの日。
羽田空港にいました。
揺れを感じたのは、
搭乗口にから飛行機に乗り込もうとしたとき。
空港内もすごい揺れで、
天井からのびている搭乗口の案内看板が
今にも落ちてきそうな強さでした。
ロビーの前のテレビに映った日本地図
”震源地 宮城県”
東京でこの揺れなら、
宮城は…
私は足がすくみました。
その場ですぐにチーフにお願いし、
家族に電話しましたがつながらず…
自宅待機から呼び出されたメンバーでの
フライト予定でした。
「どうしますか?ご家族心配よね?
フライト変わってもらいますか?」
チーフが私を気遣い声をかけてくださいました。
心の中ではこんな葛藤をしつつ…
”家族が心配だし、本当は帰りたい。
こんな状況で笑顔で接客なんて…
だけど、私も呼び出された立場だし、
これから新しいクルーを探すのは大変だろう。
大丈夫。きっと家族みんな無事なはず!”
「大丈夫です。乗務させてください。」
そう返事している自分がいました。
“あれだけなりたくてなった仕事なのだから、
きっと家族も理解してくれるはず。
そもそもきっと大丈夫!”
そうやって責任感が無駄に強かった私は、
仕事を優先しました。
滑走路が2時間くらいクローズし、
数時間遅れで飛行機は出発。
日帰りだったはずのフライトは片道になり、
翌朝戻ってきました。
その間も家族とは連絡がとれず、
連絡がとれない期間が1日、2日、3日…と
過ぎていきました。
家族が生きているかどうかもわからないまま
笑顔で仕事をし続けるのは、本当に辛かった。
もうこの先、一生したくない経験です。
後から知った話ですが、
家族の安否不明という理由で
仕事を休んでいた方もいたそうです。
当時の私には、
そんな選択肢が思い浮かばなかった。
いつも人を、他を、優先する思考が
身についてしまっていました…
ー震災から3日後ー
ようやく家族と連絡がとれました。
みんな無事でした。
たかが3日、されど3日。
この3日間は人生で一番長く感じた3日間であり、
生きた心地がしませんでした。
ー震災から11年ー
10年経過したことで、
これを一区切りとして取り上げないところもあるようです。
私は絶対忘れたくない。
私の家族は無事でしたが、
すぐ近くの海岸付近の町が消えました。
家や車を流されてしまった友人もいます。
この体験を通して、
命の大切さ、家族の大切さ、
大いなる自然の力、
助け合い、人と人の絆、
日ごろから備えておくことの大切さ…
いろんなことを学びました。
そして、自分の心に向き合うということも。
かなりのストレスがかかったのか、
1ヵ月くらいはフライト中吐き気が出たり、
頭が割れるような頭痛が起きていました。
医師からは大きなストレスから来ていますね…
と診断を受けました。
心と体は密接ということも、
身をもって教えられた経験です。
海外にフライトしていたからこそ思います。
本当に日本に生まれて幸せだなぁと。
そして、今日があることも当たり前でないということ。
今はマスクが当たり前になってしまって、
マスク前の生活が遠く懐かしく感じる方もいるかもしれません。
毎日命あることに感謝。
そのためには、”今ここ”に集中して、
”当たり前を当たり前と思わず、感謝できる自分”
”自分の心や体の声に耳を傾けられる自分”で
ありたいと思います。
ついつい平穏だと、
忘れてしまいそうな日常のありがたみ。
3.11はこのありがたみを思い返させてくれる日であり、
ふるさとに思いを馳せる大切な日です。
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私の経験を言葉に変えて…
あなたの背中をそっと押したり
心が少しでも軽くなったり
あたたかくなったらいいなぁ♡
そんな想いでお届けしています(⁎ᵕᴗᵕ⁎)
内側から美しく輝くあなたへ
しあわせ女神セラピスト

横山美都子