先日、医師の診断がおりました。
ADHDのグレーということでした。
検査結果を見ると、結構「できない」と思っていたことが出来ているところもあり、
日常生活とは違う一面で判断されて、問題ないとされるのはどうなんだろう。
しきりに言っていたのは、学校での困り度合いはどうなのか?
ということ。
学校で困っていることは担任に聞かないとわからないけど、
家で困ってることは、こんなに話しているのに、
学校での困り度基準なのか。。。
右京は、学校では確かに授業を邪魔するようなことはしない。
だから、右京の学力を無視するなら、先生として困ることはない。
じゃあ、右京に宿題や、持ち物や、テストや、授業の積極性などを求めると、
全然ダメなことには変わりない。
右京にどこまでを求めて、そのために、どこまでやってもらえるのか。
結局、先生の努力にかかってくる。
私は薬を希望した。
それは、先生には期待していないということ。
所詮グレーであり、35人のうちの一人であり、放っておけば邪魔しない。
先生の熱意度合いが、マックス100として、100あるならば、
それを35等分しても、一人一人の割合は大きい。
熱意が50なら、1人の割合が小さい。
先生の熱意はどれくらいあるのか。
まあ、2年生の担任が100だとしたら、3年生の担任は50だったかな。
今の担任は、その間くらいかな。
2年生の担任は、治療は教育だ。
薬なんて必要ない。
右京は褒めればうんと伸びる子だ。
とても、ユニークな子だ。
そう理解してくれた。
そうなってくれると、私は薬を希望しないだろう。
3年の担任はあまりに理解がないので、
逆に、薬で先生を助けてあげようとも思えず、
てめぇの力だけでどうにかなるもんならやってみろ!っと、
私も投げやりな感じだった。
そして、今は薬を希望している。
それは、薬が私と担任がやっていく支援の助けとなると思うから。
先生もそれなりに一生懸命やってくれてはいるとは思うのだけど、
残念ながら、技量不足というか、前向きに考える気持ちが足りないというか、
褒める気持ちが足りない。
もらった検査結果には、細かく検査中の様子も書いてあった。
最後の締めくくりの言葉として
「全体的に、検査には素直に応じ、検査者を見て応答し、表情もあり、わからないと検査者の反応を窺うなど素直で屈託ない印象。多少言語性での粘りや説明の苦手さは見られるが、
人の援助も求められる。応援すれば少し頑張ることもする。衝動的に刺激に反応し、指示を聞き逃すことはありそうだが、具体的指示をすれば従う。わからないところは、具体的、視覚的指示で補い、賞賛する関わりが望まれる。」
と書いてありました。
右京の、人懐っこい、可愛い部分をわかってくれていて、
右京ができることもわかってくれて、
できないところもわかってくれて、それに対してどうすればいいかもわかってくれている。
そんな、理解にあふれた文面に感じました。
この検査結果を聞いてから、学校に行って、6時間目の様子を見せてもらいました。
クラスのみんなは、「なんでいるの?」って目で、みんな見ていました。
でも、そんな冷たい視線に耐えながら、右京のことをずっと見ていました。
理科の時間で、電気の勉強するための、おもちゃのような教材があったので、
ひたすらそれをずっといじっていました。
途中グループになって、調べるという時間がありましたが、
右京のところにその調べるためのものは回ってこず、
結局右京は自分で調べず、人のをちらちら見ながらで終わりました。
先生は一度も右京に声掛けしませんでした。
それは、私がいたから、私に、右京のダメさ加減を見せるために、
あえて注意しなかったのかも。
でも、私は、注意してほしかった。
注意して、どのあとどうするのかも見たかったし。
先生とは、7月に全校的な面談があるので、
それまでに、右京の授業の様子を各教科ごとに細かく書いてもらうように頼みました。
注意する前と、注意した後の様子。
どういう声掛けをしたのかということ。
注意の仕方によって右京のその後の対応は変わるんだ。
そもそも個別に注意する前に、全体への話しの仕方として、
口頭で説明するだけでなく、図や文字に書いたものが必要なのではないか。
それは、右京だけでなく、みんなに有効だと思う。
それと、授業がつまらなかった。
先生は、教科書を読むようなしゃべりだし、
先生、理科苦手なのかな・・・と思うような、とりとめのない授業で、
右京だけでなく、私も聞いててつまらない授業だった。
ただ教えればいいというわけではない。
教え方に、まだまだ問題が山積みだな~と、
右京のダメさよりも、先生のダメさがよくわかった、一人授業参観でした。