こんばんは。

わたしには、中3の娘がいます。

公立に通っているので受験生です。

今日は、前置きがいつもながらに長いのですが、

最後までつきあってくださったら嬉しいです(後半が霊的な話になります)。

 

うちの娘、1学期の成績が全然良くありませんで。

行きたい部活のある高校へ行きたいと言ってますが、

どうにも内申点も、テストの具合もよくありません。

シュタイナー教育を参考にしていたこともあり、

小学生に上がるまで、すすんで文字を教えたり、

夏休みの宿題以外で、あまり勉強勉強とさせておらず。

その子そのものの力が育てばいいなーと思ってたのですが、

1年生になり、なんだかすごい点をとってきて、

これは、いきなり勉強始めたから大変なのかなと。

1年の2学期に手伝ってみましたが

なんだか、、わたしってば、マジになっちゃってるよ。

このままだと、子どもを縛りすぎると思い、塾に(英語だけだけど)通わせてみましたが

これがまた2年の2学期にすごい点をとってきてしまい、

進学塾に入れたのですが、なんだか、いまいちあがらないと。

ユーチューブに音楽に友だちに。友だちはいいんですけどね。

なんだか、スマホ中毒ですか。。。

 

いま、スピリチュアル勉強していますので

基本は、他人に期待しない、執着しない。干渉しないです。

その子の選択に任せるわけです。

 

そうだよね、子どもの力を信じて応援してあげよう。

だからこどもにうるさく言わないようにいわないようにと

思っているのですが、

 

テストの成績を聞いたりすると、

急に心配?になるわけです。

彼女が望む高校無理そう!なら、やらないとかわいそう。。。と。

そんなとき、わたしの中の気分が次第に盛り上がるわけです。

スマホなんかいじって、勉強なんか忘れて、片付けもしない!

教科書も参考書もグッチャグッチャにしてる!

つい、ついなんか言いたくなる。。

干渉してしまう。。。わけです。

 

そんなあとは、反省です。いまスピリチュアルを勉強していますし、

寝る時にネガティブな気持ちは入れないようにしているからです。

 

言い過ぎたな。。。と。

言わないほうが良かったんだけどさ。とか。

でも、言ってしまったことには、後悔しません。

事実です。後悔しても何も生まれません。

寝る前に。

言い過ぎたごめんなさい。

そして「彼女自身が適切な対応ができるように」と、

すべて背後さんにその日のことを預けて寝るわけです(ぐっすり寝れます。笑)。

 

で、ある日、図書館で

ふと手にとった本から、インスピレーションがきました。

勉強がよくない原因の一つ、それも根本的な原因は、

彼女の片付けができないことではないだろうかと。

(わたしもできないんですけどね。。。笑)

片付けができないことは、記憶力が落ちることと

どうやらつながっているようなのです。

(この辺の話は長くなるから後日にします)

 

翌日に

学校の三者面談があり、

彼女がクラス1、家庭とのやりとりプリントの提出が悪いことを聞かされました。

わたしがうるさく言わないこともあり、

娘はプリントを提出の日の朝か数日過ぎてから出すことが多いのです。

これも、片付けに原因があるような気がしました。

整理ができないということは、頭の整理ができないから計画もできないし、

これをこれこれまでにやらないといけないというような計算もできないのではないかと。

それに、片付けに関しては、もう何年もずーーとできていないことだったからです。

とりあえず、この片付けを手助けしてあげることが大事だと考えました。

 

で、気分も切り替えたいから、娘と別れ、精神統一に向かいました。

向かう途中で、娘がやる気にならなきゃまず無理なわけだし。

娘そのもののちからを信じて

どんな道でも、必要な道が用意されているわけなんだから

娘自身がやるしかないんだからと。

でも、ほったらかしってのもなんだなー。

任せるって難しいなーなんて思ってたわけです。

 

そして精神統一後に

霊能者からメッセージをいただきました。

「しばらく、食卓に出るものに注意してください」と。

「あ、こころあたりある!」とすぐに思いました。

なんでも、見られちゃってるな。と。

 

昨日は、夫が仕事で数日留守でしたので、

こどもたちと、すんごい適当な食事を昨夜も、お昼もしてたから。

手抜きしてたのばれちゃったんだと思いました。

ありゃりゃ、見抜かれてるよと、

早速帰り道に八百屋へ向かい野菜を購入してきたのです。

その帰り道に、

きたんです。ピピッと。

 

ん! これってさ。これってさ。

給食がない夏休みなわけで手抜きしがちだから

「しばらく食卓にでる食事に注意してください」って思ったけどさ。

じつは、手抜きした適当なごはんっていう意味ではなく

わたしが娘にできる唯一のことって

「ごはんをつくってあげること」なんじゃないのーーーーー!って。

(もちろん、ちゃんとしたごはんって意味もあるんですけどね)

 

うえーん。背後さん、

ちゃんと聞いててくれてうれしいよ。

任せるっていってもさ、放置っていうのもなんだし、

なんかわたしが手伝えることないかなっておもってたからさ、

そうだよね。そうなんだよね。

ごはんなんだよね!

なんてまあ、いつもいつもわたしに考えさせて実感させてくれて

ほんと、嬉しい言葉くれて嬉しいよー。と。かなり盛り上がりました。

 

そうなんです。

子どもの将来を心配して自分の思う道を用意したり、

いろいろ先回りして子どもにやってあげたりすることではなく

 

わたしが娘にしてあげられる唯一のことって

「毎日ごはんを作って体に元気を入れてあげること」なんです。

それだけなんです。

それと、娘がやりたいことを楽しくできるように祈ることだけなんです。

 

翌週、また精神統一に行った際、

背後さんからメッセージをいただきました。

「よく理解している」と。

そして

「センスある!」って。笑。

 

わたしも、こんなふうにメッセージを読み取る、受け取ることができる自分。

まあ、自惚れですが、センスあると思いますよ。笑。

そういう、背後さんも、かなりセンスあると思いますけどね。

 

背後さんありがとう。

 

そして、子どもと暮らしているみなさん

どうか、おいしいごはんをつくってあげて応援してあげてください。

きっと、その子の道を明るく照らしてくれます。

では、近くまた。

 

こんばんは。

 

スピリチュアル?!というのもなんですが、

この世界にハマって、

いやハメられて(笑)、

わたしってなんておめでたいんだ! と思います。

 

毎日毎日、背後さん(守護霊さん)に話しかけています。

 

なんでこうなっちゃったんだ! 

がっかりしたり悲しんだりと

自分の思い通りにならなかったことって、ありませんか?

それって、後で考えるとね、

その時、そのことで別の選択をしたことで

今のわたしがある!って思うんです。

いまのわたしで、わたしはとっても嬉しいんです。

 

つまり、わたし、一見失敗したように見えたこともあったけど

まんまとうまく導かれてることに気づくわけです。

ハメられた!(笑)わけです。まんまと。(笑)

 

いま、ここにいて、霊界のことにもやっと気づくことができて

死が怖い怖いなんて思っていた時期もあるけど、

いま、なんてわたしは、しあわせだなーと思える。

これって、すごい面白いことになってるよって思うわけです。

 

わたしたち人間、

今回の人生は、

こういうプログラムで、自分のこういう駄目なとこを経験するために計画して生まれてくるわけです。

このプログラムは、背後さん(守護霊)は知っています。

そして、わたしは生まれたと同時に、それまでの記憶が邪魔にならないように

リセットして生まれてくるわけです。

すると、なんも知らない状態だから、今回どんなプログラムできたのか、

霊界のことなんかもぜーんぶ忘れているわけですよ。

だから、次々にいろんな事やっちゃうわけです。

それを背後さんは、辛抱強く見守っているんですよ。

しゃべらないで。

どんなことをしても。わたしがどんなことをしても。

どんな選択をしようと考えていても。

黙っているんですよ。

わたしだったらですよ。

ついつい叱っちゃったり、口出ししてしまうと思うんですよ。

こんなことしたら。やめなさいよとか。そんなこと言っちゃダメとか。

それ食べたらいけないとか。

でも、背後さんたら、どんなときでも黙ってるんです。

これってすごくないですか?

 

わたしの計画したプログラムをずーーっと応援してくれてるんです。

黙ってるって、最高の応援だなって思います。

だって、プログラムに関係ないことしたら

ついつい口出しするでしょ。

究極の応援は「黙ってる」こと。干渉しないこと。

その子の、わたしの本来の力を信じるというか、

わたしにすべての選択が任されているということだと思うんです。

そもそもこのプログラムは、わたしが作成したものなんですから。

わたしの意思を尊重してくださっているわけです。

スーパーアドバイザーですね。

 

よく、小説でもなんでも、

「神は助けてくれなかった」「黙っていた」「沈黙していた」というものがありますが、

そうではないと思います。

 

背後さんは黙っているけど、

わたしが話しかけちゃーいけないってことはないでしょう?

だからわたしは話しかけます。

 

背後さんは、黙っているけど、

わたしの悲しみも、喜びも、寂しさも、面白さも一緒に体験してくださっているんです。

嬉しいときは、嬉しがり、

寂しいときは、髪をなでてくれるように癒してくれている。

わたしは、気づかないかもしれないけど、

一緒に悲しんでたり、傷ついているときには、一緒に涙を流してくれているんです。

そして、黙って、わたしに選択を任せているんです。

 

だから、ぜひ、背後さんに話しかけられるときは、

どんどん背後さんに話しかけてください。

どんな時、どんな場所でもいいんです!

背後さんは常に一緒ですから。

 

返事がないよ。見えないよ。答えてくれないよ。って思う方、

それは、あなたの心が、声や形で返事をもらおうとしているからです。

見えない、聞こえないはわたしが作っていることに気づいてください。

 

ある朝、起きた瞬間に「見ようししなければ見えない」という

インスピレーションをいただきました。

 

すべて、わたしが、自分がそういう壁を築いているんです。

そのことに気づいてください。

そんな壁、ぶったたきゃー一瞬にして崩れますから。

 

ある日、背後さんから霊能者の方を通してメッセージをくださいました。

「ひらめきを大事に」「笑いにふすことがある」

ほら、まんまとハメられて、ハマっていること気づいて笑ってること、知ってますから。笑。

わたしの背後さん、結構ユーモアあるんですよ。

なにしろ、常に一緒だから、すべてお見とおしです!笑。

 

つづく

 

 

 

わたしは、こどもが好きじゃなかった。

 

わたしは小さい頃から、

めちゃくちゃに明るくて人気者でしたっていうのもなんだけど、

結構面白がられる子どもで、平気でいまでいう危険な遊びをしたり

いたずらをしたり、

まるで気分はトム・ソーヤーなコでした。

親からも先生からも体罰受けても明るかったし、

意地悪されてても(→後で知った)

こんなにかまってもらえるなんて

わたしって人気者?!みたいに思う

ほんとに天然なコでした。

とにもかくにも、おめでたい性格だったのです。

 

そんな天然で明るい性格だけに

異様なほど、小さい子どもがわたしになついたりすることがありました。

また、妙にわたしを好きになってくれるコたちがいました。

好きになってくれたり、興味を持ってくれたり、面白がってくれると

ますます相手を喜ばすことを考えてしまう性質でした。

でも、しばらくたつと疲れてきて

最後は、付き合うのが面倒くさくなってしまうのでした。

そうなると、なついてくれた子たちが喜ぶような誰かを探すんです。

合いそうな子を見つけたら気が楽になるからです。

自分に注目がいかないようにしました。

その子たちが、自分の内側に入ってくるのが嫌だったのです。

 

小さい子たちがわたしになついている姿を

わたしの母親が目撃すると、

小さい子に囲まれていい気になっている!というんです。

わたしが楽しいんでいると、よくこのような「ケチ」を付けられました。

そんなつもりはまったくなかったのですが、

母親がいうケチは、世間的に「うるさい」「みっともない」からという理由でした。

わたしが小さい子たちと一緒になって楽しんでいると

年甲斐がない、お山の大将になっているとかいうわけです。

そういう親からの「ケチ」が

ひょっとしたらわたしの中で、拍車がかかったのかもしれません。

わたしは、顕在的に気づいてはいなかったもしれません。

 

とにかく、複雑な家庭環境で育ったせいか、

「愛」とか、疲れるって思っていたのです。

結婚したいとか小さい頃から一度も思ったことなかったです。

夢はウェディングドレス、お嫁さんというコの気がしれなかったです。

 

特定の人ではなく、色んな人を好きになればいいと思うようになったのもそのような経験からでした。

誰かと付き合っていても、他の誰かとそんな仲になったっていいじゃないと思っていました。

 

だから、結婚をしても(→親が一緒に暮らすなら結婚しない!と連れ戻すと脅したのでしょうがなく結婚式をしました)、

入籍もしませんでした。

結婚に縛られたくなかったし、紙切れになんの意味があるのかと思っていたからです。

でも、その結婚も、すぐゆらぎました。

 

それは、ある日突然。

仕事で知り合った人が姓名判断にめちゃくちゃ詳しくて、

わたしの名前が、真ん中からすぱっと分かれる名前だと。

代野能利→これを縦に並べてください。

真ん中からすぱっと別れませんか?

これは、後ろからさされる姓名だと言われました。

じゃあ、結婚して名字が変わればOK?

みたいな。

ちょうど、仕事をやめて、払う税金や国保が高かったので

この際、扶養になったほうがいいのでは? ということで、

紙切れになんの意味があるのか! と思っていたわたしでしたが、

なんのプライドもなく、あっさり

入籍をすることにしました。

(わたしは、今までやっていたこと、こだわりをきっかけさえあれば

すんなり捨てられる性格のようです)

 

正直、入籍届を出しに行くことのほうが恥ずかしいと思っていました。

相方とじゃんけんして負けたわたしが、

悔しい思いと恥ずかしい思いでひとり区役所に結婚届を出しに行きました。

で、その後、子どもを産むというのがふつうなんでしょうが、

子どもがなにしろ嫌いだったわけです。

親をみてただけに、どうにも子どもが欲しい思えないのでした。(→この話は役たたずといわれてをお読みください)

 

でもあるとき、ふと、気づきました。

相方と二人でできるやり遂げることはなんだろうと。

それは「子どもだ!」と思ったのでした。

 

そこで、決心してからなんなく1年後に子どもが生まれるわけですが、

自分がこんなにも子どもを愛するとは思ってもみませんでした。

この出来事が、愛に気づき始めるきっかけになりました。

子どもを産んで初めて、愛に気づいたのでした。

愛に気づくと同時に付属品がまもなくやってきました。

死という恐怖がわたしの中に

また復活していくことになったのです。

 

つづく