さえという言葉。使ってみて物事が良い方向に行くことはあまりない気がする。
『単語さえ勉強すれば大丈夫』
単語を勉強することは前提条件のはずなのに、こういう言い方をしてしまうことで、問題が矮小化、単純化されてしまう。『All I need is love』も愛さえあればと訳してしまうと、愛があれば何でも良いということになりかねない。
『学歴さえあれば成功できるのに』
いわゆる言い訳。これは暗に『〇〇さえなければ私は、有能であり価値がある』ということを示している。
努力や練習などを積んでいくべき所を、安易が故に『さえ』を用いる言い訳をしてしまうと、自分の能力は向上しないまま、空虚な全能感のみがどんどん膨らんでいってしまう。
実践に根差すことない、頭の中だけの自分の能力値。残念ながらそれは100パーセント過大評価だ。また仮に学歴があったとしても、それはそれで『金さえあれば』『顔さえ良ければ』のような別の『さえ』を作り出してしまうことだろう。
また、表立って使っていなくても、『さえ』の論理を採用してしまっていることも多々ある。
例えば先ほどの文を、『学歴がないから成功できない』という言い方をしたとしても、それは結局のところ、『学歴さえあれば成功できるのに』と言っているのと同じだ。
今まで山ほど使ってしまっていた『さえ』。今後は使用を控えめにしていこう。
そして、『さえ』へとつながる論理にも絡めとられないようにしていきたい。
【本日の睡眠時間】 2時間+4時間=6時間