みつぐの「蒼穹の果て」 -354ページ目

フィーナ様ふたたびw

ふたたびフィーナ姫の項。もう可愛くて美しくて…ご飯何杯でもいけます(いや無理w)。
今回はついでといってはなんですが、フィギュアの付録についてきたタペストリーを。せっかく無理やり飾ったことだしw

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絵柄はこのフィギュアのために描き起こされたもので、絵師は当然べっかんこうさん。フィーナ姫の気高さと慈しみを感じさせる笑顔が愛らしい、数多いフィーナ姫のイラストの中でもかなり高位に位置するイラストといっても過言ではないと思っています。…でもこの可愛らしさでゲームのなかではあれだからなぁ…いや誘い受けだし…むしろ誘い責め?w

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で、こちらはリクエストに答えて盗撮…ゲホンゲホン 撮影してきましたよ、スカートの中www
スカートパーツそのものを外して撮影することも考えましたが、こっちのほうが満足いただけるかなと…w もう!システムに削除くらっても知らないんだからね!ww

…ちなみにフィーナ姫は「凛デレ」ですww

今日買ってきた漫画(8月30日)

暑かった8月もあと1日。あさってからは9月です。…ぜんぜん涼しくはならないようですが…;;
…頑張ろうっとw

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高校球児ザワさん 5巻 三島衛里子 小学館
フィギュ☆モ 2巻(完結) 中平凱 芳文社

「高校球児ザワさん」…女の子でありながら、高校の野球部(男子野球部)に入部し、日々練習に明け暮れるザワさん(都沢だからザワさんw)。このザワさん、自分は「女の子」だという概念があまりないようで、バスケ部の男の子に「告白」されたことをクラスメイトに冷やかされても「や、そんなんじゃなくただ「友達になってほしい」って言われただけなんだけど…」っておおぼけをかます始末w ただ単に奥手なだけなのか?w 熱血するでもなく、青春するでもなく…でもどこかおかしなザワさんの日々。ちなみにポジションはピッチャー…ですw

「フィギュ☆モ」…主人公・二階堂さりなは中学二年生。ごく普通の彼女ですが、友達の大和みらいは大のフィギュア好き。…フィギュアっていってもスケートじゃなくて…いわゆるモデリングですが…w今だ部活と認められないフィギュア同好会は、今日もまた迷走中w 同好の士で治作フィギュアの名人・蒼月りんはグロなクリーチャーしか作らないしw おまけにこの巻から登場の黒沢まどかはドール一筋…ん年の筋金入りドールマスターだったりw この巻で終わってしまうのがちと残念です。
個人的には桑島きよね教諭がツボ(笑)

ロンリー仮面ライダー

昭和・平成を通して、仮面ライダーシリーズの歌のなかでも屈指の名曲、ロンリー仮面ライダーをフルで。なにかいい動画が入ったやつがないかな、と思ったんですが…w
お手すきな方はお聴きください。



人それぞれ、時代時代に「自分の」仮面ライダーは存在する。それは本郷ライダーであり、一文字ライダーであり、V3であり、スーパー1やRXかも知れない。クウガやアギトを始めとする俗にいう平成のライダーたちも…。

平成のライダーたち全てがダメだとは言わない。だが昭和の仮面ライダーにあって平成の仮面ライダーにはないもの、それは「改造人間の哀しみ」である。平成のライダーのほとんどは何らかのアイテムをともなって変身する。それはおもちゃ会社の意向もあるだろうが、彼らは「何らかの不思議な力」「何者かの意思」によって変身アイテムを授かり、変身する。だから簡単に「仮面ライダーをやめる」こともできる。逆にいえばだからこそ「意思によって変身」することができるのだが、そこに宿命というか、いくばくかの寂寥感さえ感じることはない。
へたをすると気楽に変身し、おしゃれ気分で怪人を倒す。そんな雰囲気すら感じてしまう。

もちろん平成が全部だめで昭和のシリーズがすべて良かった、などという懐古主義に陥るつもりは毛頭ない。だが、平成の仮面ライダーたちはやはり何かを忘れてきてしまっているのではないか?(というよりスタッフたちが、だが)

昭和の仮面ライダーの多くはドラマ性に欠け、ただ毎週出てくる怪人たちを倒すだけのルーチンワークものだという人がいる。大いにその通りなのだが、そのルーチンワークの中に、たとえば力加減がわからずにドアノブを握りつぶしたり、子供の頭をなでることが出来ない本郷猛がいる。自分が改造される時の悪夢にうなされ、全身汗まみれで飛び起きる一文字隼人がいる。


父と母、そして妹を目の前で惨殺され、その復讐のために改造人間になることを望む風見志郎。そんな風見に、本郷ライダーと一文字ライダーはこう告げる。

本郷「お前の気持ちはよくわかる。だが、個人の復讐のために力は貸せない」
一文字「改造人間は私たち二人だけでいい。人間でありながら人間でない、その哀しみは私たち二人だけで充分なんだ」

平成のライダーの中にも、自らの意思とは違うかたちで変身を遂げ、その力(人間であって人間でない)に悩む者もいた。だが視聴者からすれば、その力は戦いが終わったらなくなるものではないのか?という疑問を挟む余地がある。昭和のライダーにそれがない。
いくつかのエピソードのエンディングナレーションにもあるように「改造人間本郷猛の身体を元に戻す術はない」のだ。そして少なくとも、改造人間本郷猛や一文字隼人が戦うのは、怪人になり果てたとはいえかつての同胞、同じ人間だったものたちであることを忘れてはならない(このテーマはのちにUFOロボグレンダイザーというアニメにも受け継がれる)。
本郷や一文字の怒りは人間の尊厳を踏みにじり、自分たちの野望のために他人の身体を勝手に改造してしまう、そんな悪に対する怒りだった。もう一度「仮面ライダー」のオープニングナレーションを思い出してほしい。

「仮面ライダー本郷猛(一文字隼人)は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界征服をたくらむ悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ」

そう、仮面ライダーは「正義や平和」のために戦うのではなく「人間の自由を踏みにじるもの」と戦う。身体を改造された哀しみを越え、家族を殺された憎しみを越え…自らの右腕を失った悲しみにとらわれた男も、復讐を捨て、大勢の人々を救うためにその命を犠牲にした(その後生き返ってきたがw)。

大いなるルーチンワークの中でこそ、そのドラマは結実する。毎回、判で押したように登場する怪人たちに心躍らせながらも、本郷や一文字の宿命を感じとってふと心を痛める。あの時代には間違いなく、そんな子供たちが日本中のどこかしらにいたに違いない。


まぁ…時のスタッフもいいかげんといえばいいかげんなもので、ストロンガー終了後の特番で「立花藤兵衛」にライダーを懐古させる際「1号ライダーを力の1号」「2号ライダーを技の2号」とか言わせたり(技の1号、力の2号が正解です)ある番組では1号と2号のマスクが逆だったりw 1号が旧サイクロンに、2号が新サイクロンに乗ってたりして、自分たちが作ってきたものが何だったのかもう一度考え直せと当時の子供たちになり替わって言いたいw
(上記はホントに今さらですがずっと胸にたまってたことなので言い放ってみましたw)

あ、あともうひとつ。「ストロンガー終盤や特番」で、結城丈二(ライダーマン)が風見志郎(V3)に敬語を使ってる理由がわからないw 少なくともV3本編で風見に敬語を使っていたのは偽のライダーマンだったはずだからwww だいたい結城の方が年上やっちゅうねんw

※ちなみに文中、1号を本郷ライダー、2号を一文字ライダーと呼ぶのは作品世界でもそう言い習わしてきた(放送終盤まで1号、2号という表記はなかった。その点で「新・仮面ライダーSPIRITS」の「一文字隼人が変身した。その時から本郷猛は仮面ライダー1号になった」というのは気持ちはわかるが間違っている)からであり、本文中ではその方がしっくりくると思ったから。また、おおまかに「昭和のライダー」と「平成のライダー」とわけてはいるが、あくまで便宜的なものであり、昭和にもホントに愚にもつかぬライダーがいたことは特筆しておきたい。誰とは言わんよ、誰とはwww