LOVE FREEDOM
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本を探しています。

ナルニア国物語 [銀のいす]

BBC製作 C.S.ルイス原作 
ナルニア国物語 [銀のいす] を見た。

--- STORY -----
ナルニア国の王子。
ヘビにのろいをかけられ、
地下の国に幽閉される。

彼は自分の身分も忘れ去り、
魔女のいうことは絶対であると思い込む。

魔女の悪口を言うものには
すぐに剣で切りつけるほどの忠節。

ところが、ある時間になると
彼は決まって本当の自分に返る。

悲しいかな。
本当の自分になったときに
彼が語ることばは
地下の国では誰にも信用されない。

それは本当の彼ではなく、
気が狂ってそのようなことを言うのだ
と教え込まれているから。

ここで終わりなら、あまりにも悲しい。

--------
しかし、ついに王子が、解放される日が来る。

その時まで、美しく見えていた
魔女はその正体を現し、ヘビとなり滅ぼされる。

--- -- END ---

友達である J W のカップルが
WTのことばに bewitched されている状態から、
完全に我に返り,
聖書にあるとおりの
本当の自由と解放を体験する
ことを信じながら、祈りながら見た。

---------
[銀のいす] は
目に見えない世界で起こっている事柄を
見事に描写していると僕は思った。

聖書を真に愛し、新約聖書に書かれていることを
素直に信じる人には、理解できる世界であろう。
と僕は思った。

---------
興味のある方、見られたらどうだろう。。
すでに見たことある人、面倒じゃなかったら、
感想、聞かせてくれたら、うれしいなぁ。

偽ることは十戒違反

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偽りの証言をすることについて
(偽ることは十戒違反)
---------------------------------
出エジプト20:13~16
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、
偽りの証言をしてはならない。

出エジプト 23:1
偽りのうわさを言いふらしてはならない。
悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。

申命記 5:20
あなたの隣人に対し、偽証してはならない。

詩篇 5:6
あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。

箴言 6:19
まやかしを吹聴する偽りの証人、
兄弟の間に争いをひき起こす者。

箴言 12:17
真実の申し立てをする人は正しいことを告げ、
偽りの証人は欺き事を告げる

箴言 14:5
真実な証人はまやかしを言わない。
偽りの証人はまやかしを吹聴する。

箴言 19:5
偽りの証人は罰を免れない。
まやかしを吹聴する者も、のがれられない。

箴言 29:12
支配者が偽りのことばに聞き入るなら、
従者たちもみな悪者になる。

Ⅱテサロニケ 2:11
それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように
惑わす力を送り込まれます。

黙示録 21:8
おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、
人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、
偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、
火と硫黄との燃える池の中にある。
これが第二の死である。

黙示録 22:15
犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、
偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。

マタイ 18:16
ふたりか三人の証人の口によって
すべての事実が確認されるためです。

Ⅱコリント 13:1
すべての事実は、
ふたりか三人の証人の口によって
確認されるのです。

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BC625年にカルケミシュの戦いがあったと断定するのは、ものみの塔の組織のみ。
考古学者たちはBC605年にカルケミシュの戦いがあったと断定する。

BC607年にエルサレムが陥落したと断定するのは、ものみの塔の組織のみ。
考古学者たちはBC587年にエルサレムが陥落したと断定する。

カルケミシュの戦いとエルサレム陥落の
歴史的出来事と歴史的年代のファクトがある以上、
どちらかが偽りの証言をしている。

JWの皆さん。皆さんは勇気ある人々です。
聖書の解釈は置いといて、ぜひとも
事実が何か。頭を冷やして調べる勇気を持って欲しい。
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ヨハネの福音書探検 ヨハネ3章 永遠のいのち

ヨハネの福音書探検
永遠のいのち

ヨハネ3:3~7
イエスは答えて言われた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、
神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、
どのようにして生まれることができるのですか。
もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、 水と御霊によって生まれなければ、
神の国にはいることができません。

肉によって生まれた者は肉です。
御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、
とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

ヨハネ3:14~15
モーセが荒野で蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、
人の子にあって永遠のいのちを持つためです。

---------
人々の必要を満たし、人々の心を十分に知っているキリスト。
ユダヤ人の指導者ニコデモは イエスキリストに心が惹かれ、
ある日の夜、イエスを訪問した。

ニコデモは指導者らしく、人々が幸福に住める国を
神はどう治められるのか知りたかった。

イエスはまっすぐに、
「人は新しく生まれなければ 神の国を見ることはできない。」と答える。

「どうして人が老年になっていて
新しく生まれることができるのだろうか。
どのようにしてそれが可能か。」 とニコデモは思索する。

イエスは、「あなたはイスラエルの教師でしょう。」と諭し、
イスラエルの神、すなわち歴史の中で絶え間なく働かれた方は、
ご自分の民を救出するために、
人間の想像を完全に超えた奇跡を行なってこられた。

そのような神が人を新しく生まれさせるという奇跡を
行うことができないことはないんだと。教えられた。

どのようにして人は新しく生まれることができるか。

民数記21章。イスラエル人が罪を犯し、
自分の罪のために死のうとしていた時、
彼らはモーセが作った青銅の蛇を仰ぎ見た。
その瞬間、彼らは奇跡的に死から免れ、いのちが救われた。

キリストはそれと同じように
ご自分が十字架につけられなければならない、
そしてご自分を信じる者はその時、
永遠のいのちを得る。 と語られる。

旧約聖書の中に 「仰ぎ見て救われる」 という箇所は2箇所しかない。

一つは青銅の蛇を仰ぎ見て救われた箇所、民数21章。

もう一つは 
イザヤ 45:22
「地の果てのすべての者よ。 わたしを仰ぎ見て救われよ。
わたしが神である。ほかにはいない。」

------
人はどのように神を仰ぎ見ることができるか
そして仰ぎ見るだけで、救われることができるのだろう か

神を仰ぎ見るとは・・・・

旧約聖書に描かれている創造者なる神は
「わたしを仰ぎ見て救われよ」と語られた。
その方が人となってこられ、
十字架にかかられたキリストである。

キリストは今日も私たちの罪を背負い、
十字架の上でそのさばきを受け、
わたしを仰ぎ見て救われよと語っておられる。

キリストによって罪の赦しが与えられ、
罪が赦されることにより、 人は義と認められ、
永遠のいのち が 恵 み として与えられる。

-----
そしてイザヤ書は続ける。
イザヤ45:23~24
わたしは自分にかけて誓った。
わたしの口から出ることばは正しく、
取り消すことはできない。
すべてのひざはわたしに向かってかがみ、
すべての舌は誓い、わたしについて、
『ただ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。

「すべてのひざはわたしに向かってかがみ」

------
それを引用してパウロは記す
ピリピ2:6~11
キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、 自分を卑しくし、
死にまで従い、 実に十字架の死にまでも従われたのです。
それゆえ、神は、キリストを高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、
地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、
ひざをかがめ、すべての口が、
「イエス・キリストは主である。」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。


「ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白する

------

僕はイエスはヤハウェが人となられてこられた方だと信じるんです。

-------
JWの方々の反論

じゃどうして神は唯一なのに、
イエスも神、イエスが祈られた天の父も神???
神が二人いるの??
おかしいじゃない ? ?

--------
それについては、また今度、ブログにまとめてみようと思います。

思考停止のスイッチ

思考停止のスイッチ
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統一協会の場合
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思考停止のスイッチは
「アベルに逆らうと悲惨な結果になる」という思想
「自分の家族に不幸が来る」という恐れ
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統一協会は教える

「カインがアベルのしたことに 疑問を持ち、
怒り、アベルを殺したから、 あのような悲惨な結果になった。」

アベルに対しての疑いが、 殺人、家庭の崩壊の原因。

ではアベルとは誰?

「アベルとはね。
あなたを統一協会に導き、
統一協会の中であなたを
これまでお世話してくれた人よ。」

自分が理解できない色々な疑問が浮かんだとき、
カインのようになったら、大変なことになるんだよ

そして思考停止のスイッチが入る。

--------------------------
エホバの証人の場合
--------------------------

思考停止のスイッチは
「独立した考えはサタンから」という思想
「誘惑されて再び彼らと同じ罪を犯し、復活できない。
すなわち、自分自身がなくなる」という恐れ
「自分自身が永久になくなる。永久追放、永久無視」
というのは相当の恐れです。

--------------------------
JWの組織は教える
--------------------------
サタンがエバを誘惑した時、言った。

「善悪の木の実を食べれば、
あなた方の目が開け、
善悪を知るようになる。」

アダムとエバはこの誘惑に負けた。
善悪の知識の木の実を食べた。
それが人類に罪と死をもたらす悲惨な原因になった。

--------------------------

では善悪の知識の木の実を食べるとは何?

わかるでしょ。
何が善か何が悪かを、 自分で判断したいという独立的な考え方よ
それはサタンからくる考え。傲慢な態度よ。

だから、唯一神が是認した組織からくる教えを
自分で善悪を判断しないで、
そのまま受け入れなさい。
これこそが、従順で神が喜ばれること。

--------
じゃ組織が間違っていたら、どうする?

自分で考えてみておかしいと思える事柄を見聞しても、
善悪を自分で判断したら、アダムとエバのようになるんだよ。
いいですか。
エホバがすべての善悪を判断されるんだから、
組織が間違ってても、 それはエホバがさばかれるんだから、
あなたがその善悪を自分で判断するのは傲慢よ。
大変なことになるのよ。


そして思考停止のスイッチが入る。
--------------------------

でも僕はこう思うんですよねぇ
エバの問題は 独立した考えを持とうとした
そんなことじゃなく、
「神が語られたことばを 正確に理解していなかった。
漠然とは知っていたが 正確には知らなかった。」
ということだと。

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神のことば
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創世記2:16~17 あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。

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エバの不正確な理解
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創世記3:2~3 あなたがたは、それを食べてはならない。
それに触れてもいけない。 あなたがたが死ぬといけないからだ。

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「エバは神のことば知らないな。
しっかりと心に留めていないな」 とわかったサタンは・・・・

大胆に嘘をついた。 「あなたがたは死にません ! ! 」

その嘘の語りっぷりが
あまりにも大胆なので
エバは信用してしまった。
--------------------------
現役JWの方々も聖書をよく知らない時に、
組織の「大胆なウソ宣言」によって
信用してしまうんですかねぇ。

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Ⅰ列王記 3:9 善悪を判断して
あなたの民をさばくために
聞き分ける心をしもべに与えてください。

-------------------------
善悪を判断することは、大事だと思うんですがねぇ。
どうなんでしょう。

王国会館でなされた講演(検証)

始めに、この文は先ほどの文よりも更に長くなりそうです。
すみません。
関心のない方は読まれないことをお勧めします。
関心のある方はご面倒ですが、ワードか何かに
ペーストして改行をとり、印刷し、ご自分の聖書でも
開いていただけたらと思います。

引用聖書は僕が使っている新改訳聖書からです。
尚、聖句中の   [   ]  は読者の方が読み飛ばさないように
筆者が挿入したもので、聖書に書かれているものではありません。
よろしくお願いします。

------------
僕の結論
------------
王国会館で、この講演をした人は、
キリストも父なる神をも愛してはいない。
また、彼は聖書を知らない。
----
彼はエホバの証人の組織は愛しているかもしれない。
自分が教えられた教理を愛しているかもしれない。
----
しかし、決して聖書もキリストも聖書の神も愛してはいない。

すなわち彼は「エホバ愛しましょう」と言いつつ、
自分はエホバを敬いもしないし、愛してもいない。

それは偽善である。 自分はしていないことを、
しているかのように見せかけ、 人にはするように教えるから。

彼のことばは信じるに足らない。
心に留める必要もなし、恐れる必要もなし、
それに従う責任もない。

理由 
彼は「真理」というイエスキリストのことばを引用して 人々をひきつけているが、
イエスキリストのことばに真剣に耳を傾けていない。

証拠1 
イエスはご自分を信じる者のために天に住まいを設けてくださる。
地上にとは約束されなかった。

○イエスは天から下った方である
-----
ヨハネ 3:13 だれも天に上った者はいません。
しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。

-----
○天とはイエスの父のみもとである
ヨハネ 16:28 わたしは父から出て、世に来ました。
もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。

------
○イエスは父の家に信じるものたちのために場所を準備された。
ヨハネ 14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
------

組織は教える。
「小さな群:144000人、一世紀から1935年までに信じた人々、
油注がれた人、天の御国の子たち、新しく生まれた人々、
神によって生まれた人々」が天に行く。

イエスキリストはそのようなことは一回も言っておられない。

-----
ルカ 12:32 小さな群れよ。恐れることはありません。
あなたがたの父である神は、
喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。

-----

ルカ12:32の聖句は
前述した144000人であると聖書のどこにも書かれていない。
聖書のほかの箇所にこのことを裏付ける聖書は一つもない。

イエスはルカ12:1~32で弟子たちに向けて言っておられるであって、
1935年までの信じるであろう144000人の人々に言われたのではない。

------
ルカ12:1 イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。
------

1914年は色々な聖句をこじつけて、
その年代があたかも確かなように説明するが、
天へ入る人々すなわち144000人の数が満ちたのは
1935年だとする聖句は一つも示さない。
誰がその啓示を受けたのか。どのようにして受けたのか。
ラザフォードである。


現代のエホバの証人は「大群衆」であり、
新しく(神によって)生まれた人々ではないから、
天には行けないと教えるが、それは曲解である。

ヨハネは 「イエスがキリストであると信じる者は
だれでも神によって生まれた者である。」 と書き残している。

------
ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、 神の国を見ることはできません。

ヨハネ3:5 イエスは答えられた。
「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、水と御霊によって生まれなければ、
神の国にはいることができません。

Ⅰヨハネ5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、
神によって生まれたのです。
生んでくださった方を愛する者はだれでも、
その方によって生まれた者をも愛します。

-----

ですから、イエスがキリストであると信じる者は、
144000人に限らず、神によって生まれた人々であり、
キリストを信じる人々は、キリストが備えてくださった場所
すなわち天に行くのです。


エホバの証人が「大群衆」と呼んでいる人々も天に行く。
それは彼らがイエスをキリストと信じたからである。
彼らは天に行くのです。地上ではありません。

------
黙示録 19:1 この後、私は、[ 天 ] に大群衆の大きい声のようなものが、
こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」

------
そして天こそが、アブラハムはじめ
旧約聖書に登場する信仰の人々が
あこがれていた場所である。地上ではありません。

-------
ヘブル11:13~16 これらの人々はみな、
信仰の人々として死にました。 
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
はるかにそれを見て喜び迎え、
地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
彼らはこのように言うことによって、
自分の故郷を求めていることを示しています。
もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、
帰る機会はあったでしょう。
しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、
[ すなわち天の故郷 ] にあこがれていたのです。
それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。
------

「エホバに従う人々を地上に永遠に住まわせてくださる」とは
イエスの教えではない。またイエスの贖いの目的でもない。

イエス・キリストは 人が天に生きれるために
天から来られ、ご自分のいのちを引き換えに,
天に信じる人々のための場所を備えられた。

これは簡単な仕事ではなかった。

人が天そのものに入るためには、
罪が完全にきよめられていなければならない。
キリストは私たちの罪を完全にきよめるために
ご自分の血をささげ、 私たちのためにご贖いの代価をはらわれた。

ピラトに語ったイエスの
この「真理に関する」いのちがけのことばを利用して
自分の話に都合よく権威づけようとする者。

イエスが語ってもいないことを真理と主張するような者

その者はイエスを敬ってはいない。
イエスを敬わないものは父なる神をも敬ってはいない。

----------------------------
ヨハネ5:23 すべての者が、
父を敬うように子を敬うためです。
子を敬わない者は、子を遣わした [ 父 ] をも敬いません。

----------------------------

証拠2 イエスは人が死んだらたましいがなくなると教えなかった。

-------
マタイ 10:28 からだを殺しても、
[ たましいを殺せない ] 人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも、
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
----

イエスは人々が肉体の死を恐れていたので、
人は体が殺されても、
たましいが殺されないでいることができることを教えられ、
肉体の死を恐れないように。
また体を殺そうとする人間を恐れないように勇気を与えられた。

なぜなら人を恐れると、人はわなにかかるからである。
人間というものは、他人を恐れると、
自分が恐れている人がしかける罠にかかってしまうものである。

-------
箴言 29:25 人を恐れるとわなにかかる。

------

キリストは、 死と死をもたらそうとする人や悪魔に対する恐怖から
人々を自由にされた。
人がどんなトラップ(わな)にもかからないで、
だまされないで、真の自由人として生きることができるようにされた。

人が死を恐れるのは、死後に神の前で、さばきを受ける時、
罪を犯した自分はどう裁かれるのだろうかと恐れるのである。

------
ヘブル9:27 人間には、一度死ぬことと
死後にさばきを受けることが定まっている。
------

キリストは私たちの罪を負い、
その罪のさばきを自ら受けてくださることによって
私たちの罪を赦し、死のとげである罪を処罰し、
私たちを死の恐怖から解放された。

-----
ヘブル2:14~15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、
主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。
これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を
解放してくださるためでした。
-----


キリストがご自分のいのちを捨てて、
私たちの罪を赦すことによって、
私たちが本能的にもっている死の恐怖心、
あるいは死後のさばきに対する恐怖心から解放されたというのに

「死後は何もない。たましいはなくなる。」
これが真理だと教えこみ、

「キリストがいのちを捨てて成し遂げられた贖いは

我らの救いに必要ではあるが、
それだけでは十分ではないんだよ」
とのニュアンスを与える者は
イエスを敬っているとはいえない。

イエスを敬わないもの父なる神をも敬っていない。

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ヨハネ5:23 すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。
子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。

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○ 真理に従うとは、神のことばであり、
真理そのものであるイエスキリストにしっかりとつながることである。

それによって、
キリストからいのちが私たちの中に流れ、
そのいのちの力によって、私たちは罪に打ち勝ち、
さまざまな問題や悩みに勝利することができる

罪に悩み、死の恐れをもち、孤独でいる私たちのため。

人となられた神であるキリストは、 私たちの罪のために死なれ、
葬られ、 三日目によみがえられた。
そして信じて求める人々に もう一人の助け主である聖霊を注いでくださった。

人はキリストを信じ、罪がきよめられ、
聖霊に満たされるときに、 神のみこころを行うことができる。

-----
ヘブル 13:8 イエス・キリストは、 きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
-----

今この瞬間でも、あなたがいるその場でも、
あなたが、「イエスは主である。イエスはキリストである。」
と信じ告白するなら、あなたは救われ、
あなたは個人的に生けるキリストに出会うことができ、
新しく生まれることができ、聖霊に満たされることできる。

キリストが語られたことば、
「真理を知り、真理はあなたを自由にする」という意味は、
「組織の教えをよく学んで、決して疑わず 忠実に従順に守れば、
あなたは自由になる」という意味ではない。

組織から来る教えは、今まで何度も変更され、
または守りきれないような命令であったりすることが多い。
それらをまじめに守ろうとして、
守れないゆえに悩んだり、自己卑下に陥ったり、
ついにはうつ病になる人もいる。

野外奉仕の時間のコミットメントと報告の義務によって
親しい家族との関係を切らなければならなかったり、
外の人々に対してもりっぱにふるまうことができなくなったり、
また乏しい状態から抜け出せなかったりする人もいる。

イエスはコミットメントによって
人がどれほど拘束されるものであるかを 十分知っておられたので、
誓うことをしないように教えられた。

ペテロが 「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、
私は決してつまずきません。」と言ったとき、

イエスは「そうか、それを守りなさい」とは言わず、
それを果たせないペテロを理解したうえで とりなしの祈りをされた。

これこそ人間を知り尽くしたまことの神の姿であろう。

エホバの証人の組織が提供する真理とは
真理ではなく、福音でもない。

聖書を学ぶ際に、謙遜にならず、
「真理を悟らせてください」と祈ることもせず、
自分たちが今まで立てた教理に
つじつまを合わせようとして曲解することは
まじめな聖書研究者のすることではない。
イエスと父なる神を愛する人のすることではない。

主を愛するといいながら、
主が語っておられないことを語る者はうそつきである。
パウロは主を愛することにおいては妥協しなかった。

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Ⅰコリント 16:22 主を愛さない者はだれでも、
のろわれよ。主よ、来てください。

ペテロも警告している
-----
Ⅱペテロ 3:16 無知な、心の定まらない人たちは、
聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、
それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。

---

もし、エホバの証人がまた長老が、
あるいは開拓者と呼ばれる方々が、
この記事を読んで、

それでも
「私たちはイエスを信じ、エホバを愛し、 聖書を正しく解釈し、
真理を持っており、真理に従っています」 と主張し続けるならば、

ここの書かれていることが間違っているとの
正確な聖書のことばをもって一つ一つ証明して欲しい。

それを避けようとするなら、何か都合が悪いのだろう。


キリストが語られる。
ヨハネ 3:20 悪いことをする者は光を憎み、
その行ないが明るみに出されることを恐れて、
光のほうに来ない。


もし、聖書から、弁証もしないままで、
聖書を知らない人々の上に権威を振るい

「私たちは間違っていない。 だから組織から来る教えを疑ってはいけない。
他の教えに従ったものは背教者だから、
交わってもいけない。挨拶もしていけない。
組織の教えに従順でないなら、滅びる」
と教えているなら、

その組織は破壊的なカルト組織であるか、
マインドコントロールをする組織に違いない。

キリスト者たるもの。決してだまされてはいけない。
特に男性はしっかりすべきだ。
何事も検証しないままうのみに受け入れてはいけない。
そのままでいくと、危険な結末が訪れる。

素朴な疑問も疑いも質問することが許されず、
何か情報が隠蔽されているとするならば、
その背後には、明らかにできない理由があるはずである。

隠されている事柄が、悪であったり、罪であったりすれば、
真にキリストに従うものにとっては 看過することはできない。

-------
Ⅰテモテ5:24 ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、
だれの目にも明らかですが、 ある人たちの罪は、
あとで明らかになります。

Ⅱコリント 4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、
神のことばを曲げず、真理を明らかにし、
神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。

ルカ 12:2 おおいかぶされているもので、
現わされないものはなく、 隠されているもので、
知られずに済むものはありません。

エペソ5:9~12 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。
そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、
むしろ、それを明るみに出しなさい。
なぜなら、彼 らがひそかに行なっていることは、
口にするのも恥ずかしいことだからです。

使徒の働き 5:29 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。
「人に従うより、神に従うべきです。」

-------------
最後に王国会館でこの講演をした人が
マインドコントロール下であるいは、何かのフォービアの元で
このような内容の講演をせざるを得なかったとすれば、
彼を責めることはできない。

聖書を調べ、聖書の中心であるキリストに出会うことを
心から願うばかりです。

---------
ヨハネ5:39
あなた方は、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書がわたしについて証言しているのです。

--------

長文失礼いたしました。

王国会館でなされた講演(内容)

この文は少し長くなります。どうかご理解ください。
関心のない方は読まないでください。
関心のある人は、ご面倒ですが、
ワードか何かにペーストして、改行を取って、
印刷されて、じっくり読まれることを薦めます。

聖書の引用は僕が使用している新改訳聖書を引用しました。

----- 始めに ------
自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。
ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。

本当は何もわかっていないのに
「わかっている」と思い込んで言うあたりが、 怖いところです。

--養老孟司著 バカの壁 より--

----------------------------------

これからが、内容です。
------------------------------------
2015/1/31 王国会館でなされた聖書講演
------------------------------------

イントロダクション
二人の人が会話をしている。 ピラトをイエスの会話、Issueは真理 「真理とは何か」

ピラト 真理とは何かと聞くが、真理に関心なし。
イエス 真理のあかしをするために生まれ、この世に来た。

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ヨハネ18:37~38 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」
イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。
わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。
真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」
彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、
彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。 」
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真理とは何か?
キリストの父なる神のことばは真理である。
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ヨハネ17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
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イエスは真理をあかしするために生まれた。
真理を知るなら、人は自由になる
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ヨハネ8:31~32 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、 真理はあなたがたを自由にします。」
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人間の罪深さへの言及 真理を知ることの必要性

ヨハネ8:33~34 彼らはイエスに答えた。
「私たちはアブラハムの子孫であって、 決してだれの奴隷になったこともありません。
あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか。」
イエスは彼らに答えられた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
私たちは罪の状態にある。 しかし、真理を知るならば、自由になる。
そして神の子キリストがあなたを自由にするなら、 あなたは本当に自由である。

---- 次のような真理が私たちを自由にする。

1. 人間の罪深い状態、世界の邪悪な出来事の原因は最初の人アダムが罪を犯したからだ

今の世界はエホバが、本来、意図された正しい状態ではない。
なぜこの世界には多くの悲惨な出来事があるのか。
最初の人間、アダムは罪を犯し、地がのろわれたからである。

人間は生まれつき不完全になり、罪の状態で生まれるようになった。
争いや貧困などが世界に存在するようになった。創世記3章

人間は罪の深さと世界の滅茶苦茶な状態に気づくことが
真理を知る始まりである。

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2.エホバはこの地上を回復される

エホバはこの地上をそのままにしないで、
必ず回復してくださるという真理が私たちを自由にする。

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詩篇37:10~11 ただしばらくの間だけで、悪者はいなくなる。
あなたが彼の居所を調べても、彼はそこにはいないだろう。
しかし、貧しい人は地を受け継ごう。
また、 豊かな繁栄をおのれの喜びとしよう。

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エホバはこの地球を平和な状態にしてくださると約束された。
エホバに従わない邪悪な人々は滅ぼし、
エホバに従う人々をサバイバルさせ、
彼らが地を管理し、動物を従え、周りの人々と仲良くする。

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新しい地をエホバは創造される。
このような真理を知ることは何とすばらしいことだろうか。

詩篇37編は、創世記3章に語られている
罪とのろいの回復をみごとに描写している。

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3.人間の死についての真理も私たちを自由にする

多くの人は人が死んだら、地獄に行き、
永遠に苦しんだりするという考えを持っている。
また宗教家もそう教える。
永遠に霊魂が存在するという考えを持っている。
しかし、それは真理ではない。
悪魔が人間に植え付けた思想である。

人間は死んだら、そのときに魂も霊も存在しなくなる。
悪魔はエバに死なないと断言したが、それは偽りであった。

人は魂とか霊とかが永遠に生きるという教えは悪魔からきたものである。

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伝道者の書9:5 生きている者は自分が死ぬことを知っているが、
死んだ者は何も知らない。 彼らにはもはや何の報いもなく、
彼らの呼び名も忘れられる。 死んだものは意識がない。

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すなわち、たましいなどは存在しなくなる。
しかし希望がある。エホバはご自分に従う人々の肉体を復活させてくださる。
このような真理がわかると人は死の恐れや色々な悲しみから自由になる。

このような希望をエホバは私たちに与えておられる。
だから、私たちはエホバを愛し、従いたいと願うのである。
エホバを愛し従うということは特権である。

私たちはエホバから愛されたいと願うゆえに、
また、エホバのへの愛があるゆえに、
従順になり自分をきよめられていくべきなのです。

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Ⅱコリント7:1 愛する者たち。
私たちはこのような約束を与えられているのですから、
いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、
神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
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このような歩みをしていくとき、
最終的に、私たちの身にローマ書に書かれているようなことが起こる。

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ローマ8:20~21 それは、被造物が虚無に服したのが
自分の意志ではなく、 服従させた方によるのであって、
望みがあるからです。 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。
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被造物とは私たちのことです。
アダムの罪によって私たちがむなしくなったが、
これで終わらず、やがて私たちには エホバによって
滅びの束縛から解放される日が来るのです。

エホバに愛される日が来るのです。


---条件

しかし、今は一つだけ、条件がある。
それはヨハネ18:37後半に書かれている。

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ヨハネ18:37 真理に属する者はみな、
わたしの声に聞き従います。
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イエスが語った真理に聞き従わなければならない。
また私たちは真理をすべて理解したと高慢な気持ちを持つべきではない。
私たちにはまだ知らされていない多くの真理がある。
だから今後も、学び続けなければならない。
そして自分の生活に当てはめなければならない。
エホバが私たちに与えてくださる真理はまだまだ沢山ある。
これからも多くの真理が開かれてくるだろう。

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結論 「私は真理をすべて知っている」 という傲慢な態度は持たないで
これからも学び続けよう。従い続けよう。
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おおかたこのような内容ではなかったかと思う。

この美しい聖書講演がいかに欺瞞であるかは、

次のブログ「王国会館での講演:検証」において
まとめたいと思います。

エホバの証人の集まりに参加した

エンドレスの奉仕の結果

つい最近まで、
ロシアがソビエト連邦という
共産主義国家 ( 唯物論主義国家 ) であったとき
囚人に強いた
一つの強制労働の内容を聞いたことがある。

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何の肉体的拷問も加えない。
食事も与える。
洗脳教育もしない。
彼らがすることは、

ただ、命令に従わせることだけ。

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その命令とは
朝早くから、
一つの場所に積み上げられた多くのレンガを、
その場所から少し離れた別の場所に
すべて一つ残らず、手で持ち運び、
積み上げさせる。

その作業が完了した時、
なんの評価も報酬もなし。
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次の命令
今、自分が積み上げたレンガを
レンガがあった最初の場所に
一つ残らず、 手で持ち運び、
もとあったように積み上げさせる。

その作業がついに完了した時,
なんの評価も報酬もなし。
そして理由もなし。

それが終わったら、
崩したまた積み上げたしたレンガを
先ほどのあの離れた場所に
一つ残らず、 手で持ち運ばせる。
そして再度積み上げさせる。
なんの評価も報酬もなし
そして理由ももちろんなし。

ただこれだけをエンドレスに
続けさせる。
命令として。

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何の肉体的拷問も加えない。
食事も与える。
洗脳教育もしない。
ただ、命令に従うことだけ。

積み上げたものを壊し、
壊したものをまた積み上げる。
理由はなし、報酬はない、評価もなし。

神のイメージに似せて
価値あるものとして創造された
人間が耐えられるだろうか。

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これによって、多くの囚人が発狂した。

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JW組織が求める無意味な野外奉仕は
必ず、その結果を生み出すだろう。

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意味不明のエンドレスの奉仕、報いなし。理由なし。
人間を廃人にするようなそんな教えが、

The Bible にあるだろうか?

あるはずがない。

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聖書にそう書かれていると
主張しつづける WT JW は

聖書の真の著者に、ま見えたときに、

どのように弁明のことばを発するのだろう。
だれが彼らの弁護をしてくれるのだろう。

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「聖書はわれわれの自由の最後の頼みの綱である。」
(U.S.グラント)
「聖書を読んでいる人々を精神的に、
あるいは社会的に奴隷にすることは不可能である。
聖書の原則は人類の自由の土台である。」
(ホーレス・グリーリー)

----ヘンリーHハーレイ 聖書ハンドブックより----

複数の釘 : Nails

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JWの教え
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キリスト杭にかけられて死んだ

十字架ではない
十字架は
偶像礼拝と深い関係があります

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JWの絵
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一つに束ねられたキリストの手に
一つの杭が打ち込まれてる。

手の釘の痕は二つ
そして釘は一になる

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これはどう説明するのかな?

JWのギリシャ語聖書
The Kingdom Interlinear Translation of the Greek Scriputures
ヨハネ福音書20:25を読むと

キリストの手に 打ち込まれた釘は

複数の釘

nails (複数の釘) であって、
nail  (一本の釘) ではない。

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JWの英語の改ざん聖書 ですらも
nails (複数の釘)

Jhon20:25
So the other disciples were telling him:

“We have seen the Lord!” But he said to them: “
Unless I see in his hands the print of the nails
and stick my finger into the print of the nails
and stick my hand into his side, I will never believe it.”

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複数の釘を
一つに束ねられた手に打ちこんだ?
それはありえないでしょ。

この矛盾はどのように説明するんだろぉー

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杭へのこだわりは
明らかに
キリスト教に近づかせないための
策略でしょう。

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神のことばを真剣に研究すると宣伝し

本音は偽りを好む WT と JW の教えは

キリストが気をつけよと
警告された 「パン種」

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でも、僕は希望をもってます

1.聖書の言葉を 正確に読むことによって

2.真理を悟らせてくださいと
  聖書の神に 祈ることによって

3.すべての真理へと導かれる
  聖霊に頼ることによって

4.また多くの人々の解釈や
  本にも目を通し

5.最終的には自分の良心 に逆らわずに
  真実に真理を求めれば

パン種は
完全に取り除くことができると
思ってるんです。

パン種はどんなに小さくても
取り除かなければなりません。

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僕は WTの指導者は

次のような聖書のことばを
心に留めておくべきじゃないかって
考えてます。
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黙示録 21:8

おくびょう者、 不信仰の者、
憎むべき者、 人を殺す者、
不品行の者、 魔術を行なう者、
偶像を拝む者、

すべて偽りを言う者ども 

の受ける分は、

火と硫黄との燃える池の中にある。
これが第二の死である。

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このブログ読んでて

釘が単数? 複数?

そんなのどっちでもいいじゃない ・・・
めんどくさい

って思う人もいるでしょう。

しかし、僕にとっては
どっちでも良くないのです。
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悪魔やろうは

キリストに

聖書のことばで 挑戦し誘惑をもってきた

キリストは力づくではなく、
書かれている正確な神のことばで

 「・・・と書いてある」 と言って

悪魔がもたらした

そうかなとも思えるが実に危険な考え

みごとに退けた。

WTとJWが 人々の考えや思い
あるいは感情の中に

造りあげた敵の要塞は

神のことばによって
打ち壊されなければならない。

そして 必ず崩壊する時が来る
と僕は信じます。

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詩篇 12:5
主は仰せられる。
「悩む人が踏みにじられ、
貧しい人が嘆くから、
今、わたしは立ち上がる。
わたしは 彼を、
その求める救いに 入れよう。」
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