一時は、感染者数が抑えされ、
日常が戻ってきたんだと安心したのだが。。
今日の感染確認者数は3桁となった。

ママ友LINEで、不安を吐露しあっている。

私の住む地域はベッドタウンで、
感染者の報告もある。
ふるさとの母に会いに帰れる日は、
また遠のいた。

この3、4か月、リモートワークを行い、
下の子は保育園に預けず家でみていた。
仕事、育児、家事の両立は大変だったが、
子どもを登園させる不安のほうが勝った。

心配性であるため、辛く苦しい毎日だった。

上の子はようやく小学生が始まったものの、
いつも不安を口にしている。

いつ安心できるのだろう。
不安でいよいよおかしくなりそうだった。

しかし、このままでは鬱になりそうだったため、
しっかりするために、自分の不安は何なのかを
掘り下げて考えてみた。

①都内に通勤する夫がいつ感染するかわからない不安
②近くに住む義父母がよく出歩くので感染するのではないかという不安
③それらが子どもへの感染にも繋がるのではないかという不安

私のいちばんの不安は、③であると分かった。
まだ幼い子どもたちが感染し、後遺症が残ったら?
命が危うくなったら?

自分がどうなろうが、
子どもたちの未来が明るいものであることを、
ただただ祈っている。


私の母のことを書こうと思う。

母はいま60代後半だけれど、
現役バリバリで働いている。

私が中学の頃に離婚し、
まさに女手一つで三人の子を育て上げた。

三人とも大学を卒業させてくれた。
同時進行で、
父が去るときに残した数千万円の借金を
完済した。


その頃の母は、黒しか身につけなかった。
スーパーの片隅の衣料品コーナーで求めた
黒Tシャツ3枚を、順繰り着まわして。

朝は子どもの朝食を作り先に家を出る。
時給のよい、しかしその分過酷な
スーパーの鮮魚コーナーに週7で勤めていた。
魚の骨や包丁で怪我をしたり、
寒さでよく体調を崩したりしていたが
絶対に休まなかった。

いつも、処分する分の魚を持ち帰ってくれ、
お陰で、決して質素ではない、
むしろどの家庭よりも豪華な食卓だった。

夕方、夕飯を作りに帰ったのもつかの間、
そのあとは夜中2時ころまで
車の代行の仕事をしていた。

そんなわけで、
私は母の寝顔をほとんど見たことがない。

泣き言もいわなかった。
子どもの前ではいつも気丈に。
そして、愛情深く優しい。

しかし、病院にも行かず身体に無理ばかりして、
いつもギリギリの状態であることは、
子ども三人とも、よくわかっていた。



私が大学に合格した日、
母が泣いたのを忘れない。

喜びや誇らしさ、一方で、
娘が遠くへ行く寂しさや心配な気持ちがある。
でも、思い切りやっておいで。
そんなメッセージをくれたのを覚えている。



子どもがみな社会に出て家庭を持った今、
母はたぶん
これまでにない穏やかで幸せな時期にある。
むろん、仕事を続け、
毎日生き生きとしている。


私も母になった今、何かにつけ
母ならどうするのかな、と考える。

母は私の道標だ。
そして、母には一生かなわない。
現在、妊娠6か月。

先週あたりから、日中に眠気がおそい、

ついつい横になってしまう。




在宅勤務の日は、

子どもを園に預けた後、夕方まで

時間をめいっぱい使い仕事をする。

それくらい集中し続けなければ

仕上げられない仕事量だから。



ところが、近ごろは

仕事を横目に小休憩を繰り返し、

一度横になると1時間は軽く寝てしまう。

妊娠しているのだから仕方ないと

脳の半分は自己肯定しながらも、




子どもを預けているのに

立派な仕事の成果を上げられていないと、

自己嫌悪に襲われる。




臨月まで仕事を受ける予定だけれど、

あと3か月間、

こんな調子で走りきる、

いえ、歩ききることができるだろうか。