ウィーンみつ(7) ~ホーアー・マルクト、グラーベン、ミヒャエル広場~ | きゃわいいみつ坊のホームページⅡ

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「おいらは、『みつ坊』と申します。おいらのとりえはかわいいことです。『ニャー』となきます。あと、おいらはまだ4歳になったばっかりですが、IQは170です。小さいからと言ってあなどるなかれ。ひひ。」

気付けば、もう10月。


ついこの間、2014年が始まったかと思いきや、


今年ももう終盤でごじゃりまするね~。


月日が流れるのはホントに早いものなり。




そして、、、


この旅行記も気付けば2年以上もかかっておりまする汗


まだ2012年のことをUPしているなんて、、、ムンクの叫び


ひー汗


一刻も早く、この旅行記を完結させたいと思いまするグー



いざっダッシュ




前回 のつづき~パソコン




●6日目 : 2012年9月26日(水)




の続きでごじゃりまするにゃんこ。



(今回は備忘録がてら、詳細をUPしている上、


かなり長くなってしまったので、適当に読み飛ばしてくださいまし。)





街中のアイスクリーム屋さんで大きなパフェに舌鼓を打ったおいらなまけ4いちごパフェ



再び、ウィーン散策スタートポイント




すると、目の前に、こちら で申し上げておりました


ウィーン名物「FIAKER(フィアカー)」 (2頭立て馬車)が!!


思わずぱしゃりカメラ SP


ステキ~キラキラ


ほんとステキね~キラキラ


まるでおとぎ話に出てくる馬車みたいキラキラ




続いて、「ホーアー・マルクト」ブルーっすためいき


ウィーンで最も古い広場で、


ハプスブルク時代は公開処刑場だったそうな。



その「ホーアー・マルクト」には、


オーストリア最大のバロック建築家フィッシャー・フォン・エルラッハがたてた


「聖処女の結婚の泉」という噴水がごじゃりまする。



それが↓



1732年に造られました。


ところどころに使われている金がアクセントになっててステキキラキラ




そして、「ホーアー・マルクト」の東端にある、


「アンカー時計」 時計


こちらは、アンカー保険会社(現「Helvetia Versicherungen」(ヘルヴェチア保険会社 ))の


渡り廊下にあるからくり時計。



ユーゲントシュティール(世紀末芸術)画家フランツ・マッチュがデザインし、


1914年に作られました。



ウィーンの歴史上重要な12組の人物が登場。


せっかくなので、12組全員載せておきまする。


1時 : マルクス・アウレリウス・アントニヌス(ローマ五賢帝の最後の皇帝)


2時 : カール大帝(カールの戴冠により、中世西ヨーロッパが成立)


3時 : レオポルト6世(現在のウィーンの基礎を築く)


4時 : ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(中世の宮廷叙情詩人)


5時 : ルドルフ1世(ハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝)


6時 : ハンス・プクスバウム(シュテファン大聖堂の建設に携わった建築家)


7時 : マクシミリアン1世(ハプスブルク家隆盛の基礎を築く)


8時 : リーベンベルク(17世紀のウィーン市長)


9時 : エルンスト・リュディガー・フォン・シュターレンベルク


     (オスマン帝国からウィーンを守ったオーストリアの貴族・軍人)


10時 : プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォイ公


     (サヴォイア家の血を引くフランス生まれの貴族で、オーストリアに仕えた軍人。


     ベルヴェデーレ宮殿はオイゲン公の夏の別邸。)


11時 : マリア・テレジアと夫のフランツ1世


     (オーストリア大公として、行政・軍隊・産業の改革を行う。16人の子だくさん。)


12時 : ハイドン(交響曲の父)



はぁ~、長かったぁ~汗


ちなみに、正午になると、12組全員が登場するようなので、


次回は正午に参上したいものなりグー




そして、道すがら、またもや日本料理のお店が出現ビックリ


看板に「NOODLES」(やじるしでは切れちゃってるけど汗)、「SUSHI」とありまする。



このお店の先にも「Akakiko」 という日本料理のお店があって、


アカキコ? 


アキコって言いたかったのかしら?


と、頭をひねるようなネーミングでウィーンのど真ん中に鎮座しております(笑)。



このように、ウィーンでは日本料理のお店をあちこちで見かけたなり。


どうやら、日本料理ブームの模様。




そして、「グラーベン」に到着ためいき



ここは、13世紀頃まで堀(Graben)だったことから、こう呼ばれており、


現在では、広場のような通りでごじゃる。


観光客がいっぱい。



グラーベンの入り口、シュテファン広場に建つ「ハース・ハウス」


こちらは、ウィーンを代表するポスト・モダン建築家ハンス・ホラインが1990年に建てたビル。


当初は散々非難を浴びたものの、今ではシュテファン広場の名物。




そして、グラーベンの中央には、「ペスト記念柱」(三位一体像)


1679年、ペストが猛威を振るい、約10万人もの人々が犠牲になりましたが、


その後ようやく収束。


そこで、1693年、当時の皇帝レオポルト1世が、


ペスト終焉を神様に感謝して、建てたものでごじゃりまする。



別角度からカメラ SP


この日は曇りだったため、


翌日再度ぱちりカメラ SP


わー!


やっぱり青空の下の方が、キラキラしてるキラキラ



ちなみに、


さきほどの「ホーアー・マルクト」にあった「聖処女の結婚の泉」という噴水を作った


フィッシャー・フォン・エルラッハの若き日の作品がこちらの記念柱なり。


(他の人との共作)



「三位一体像」というのは、


「父」と「子」と「聖霊」の三位一体でごじゃりまする。




グラーベンを突っ切って、「ボーグナー・ガッセ(Bognergasse)」という通りをトコトコ歩くと、


「アム・ホーフ」に出まする。


ここは、ご覧のとおり、あまり人けのない広場。



ガイドブックによると、


1156年、辺境伯だったハインリヒが皇帝よりオーストリア公に格上げされ、


ここに宮殿を建てたそうな。



ちなみに、広場中央の柱はマリア像。




広場のはす向かいには新聞・雑誌屋さん


なんだかいい風情を醸し出しておりまするにゃんこ。



で、お隣の白い建物の看板を見ると、


「POLIZEI」


とあることから、どうやら「警察署」みたい。




再び、「ボーグナー・ガッセ」をトコトコ歩くと、


壁画が美しい「エンゲル薬局(Engel Apotheke)」が出現。


こちらは、ウィーン最古の薬局と言われており、


壁には、先ほどのアンカー時計と同じユーゲントシュティール(世紀末芸術)フレスコ画



ちょうど閉店した直後で、


お店の方がシャッターを閉じて、そのまま携帯で電話しておりました~やじるし





その後、ウィーンで行きたいところBEST3の1つ!


「ミヒャエル広場」sao☆


目の前にそびえる白亜の建造物は「ミヒャエル門」薔薇


きれーいキラキラ


うつくしい~sao☆



こちらは、「王宮(ホーフブルク)」の正面入り口でごじゃりまする。



映画「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」 の冒頭に登場しておりました~おんぷ。


のだめと同じ場所に立てて、感慨にふけるおいらほろり




広場に面している2つの建物


間の通りは「ヘレンガッセ(Herrengasse)」



こちらは、「グリーンシュタイドル(Griensteidl)」というカフェ。


19世紀末ウィーンを代表する作家たちが集ったカフェなりコーヒー




こちらは物議を醸した、建築家アドルフ・ロースによる「ロースハウス」


なんでも、アメリカの高層ビルや実用的なデザインに影響を受けたロースは、


「装飾は罪である」


と主張し、1910年、簡素で機能的な建物を王宮の入り口前に建設(やじるし)。


それでも、ロースは王宮のミヒャエル門に合わせて、


緑の大理石の柱を配置したものの、


建物上部には装飾がないことから、


皇帝フランツ・ヨーゼフ(事実上、最後の皇帝)の不評を買ってしまい、


醜い建物は王宮の門前にふさわしくないということで、


皇帝はミヒャエル門を利用しなくなったとか。



なんだか残念なエピソードでごじゃりまするね~汗



おいらはそこまで変な感じはしなかったから、美的感覚に乏しいなりね。


皇帝フランツ・ヨーゼフは感性の鋭いお方でごじゃりまするね~薔薇




再び「ミヒャエル門」をぱちりカメラ SP


うん、やっぱり美しいなりね~キラキラ


ずーっと見てても見飽きませぬsao☆



あと、門の右側をよ~く見ると、馬車が列になってて、


観光馬車乗り場のようでごじゃりまする。





ということで、これにて、この日のウィーン散策は終了~GOOD


お昼頃、ホテルを出発してからずーっと徒歩で回ったなりブルーっすためいき




時刻は17時半ごろ。


20時15分~一大イベントがあるので、


一旦ホテルへ戻って、支度をしなければグー




つづきは次回→