お疲れ様です。
こんにちは。
私は今、新潟、魚沼市に住んでいますが
生まれは神奈川、川崎市の第三京浜とR246
の間あたりで若い頃は過ごしていました。
中学生の時に、部活中に腰を痛めて
卒業式すら出れないくらいでしたが
今は、膠原病(モヤモヤ病)
手術して23年目の付き合いでもありますが…
治らない、完治しない病気ですが、
薬と点滴で
細々と生き延びている感じ(笑)。
現在、調理師の派遣会社を前社長から引き継いで…。
面白い事に、調理師の派遣なのに…
災害ボランティア部というのがあります。
前社長が阪神大震災から始めてから
炊き出しから始め
瓦礫撤去等をする部署がある。
各地の消防署で9日の日に講習がある救命救急法の講習カードをみんな持っている事。
災害時のケガ人などの救急車が来る前の処置はできる程度ですが…
福島も宮城も熊本も
今回の大阪でも
救急車に乗るまでは私たちの責任。
その反面
瓦礫撤去の手伝いとか
土砂災害の時は
家に入ってきたベト(泥)を吐き出す手伝い
は当たり前。
今回の場合、ガス復旧の前に
カセットコンロなどを用意した。
地震の影響の瓦礫、ガラス撤去の為に
麻袋を用意すると共に
作業に使う軍手を大阪に行く前に神奈川、静岡などの作業業務スーパーで箱買いしながら大阪入り。
私は新潟長岡から夜行バスで、
大阪入り、現在合流でしたが、
運搬トラックの運転手が迎えに来てくれて
荷物の確認しながら現地に行きました。
まぁ、わたしは2日しか大阪にはいませんでしたが…
足りないものの発注するとか
物資の購入しなきゃいけなかったから。
私も、中越地震の災害者です。
たまたま、点滴を受ける病院が
避難所になっていたり、
テレビでがけ崩れで両親を亡くした男の子が入院していた病院に居ました。
余震も酷く、自衛隊のヘリを近くで見れた事くらいしか覚えて居ませんが…(笑)
帰る道路、線路の復旧作業で予定以上の3ヶ月入院しちゃいました(笑)。
そのあと、私は13年間、点滴を受けずに過ごして居ます。
っつうか、
点滴を受ける事で、たまたま中越地震に遭遇した事で、点滴を受けることに恐怖を覚えたのも確かです。
現在、会社仲間が現地で
被害者の為に出来る事をしていると思うと
親方として、
迷惑だけはかけるな!
皆さんのために出来る事をしてくれ!
笑顔で帰っておいで(*^^*)
って現地にいる仲間にメールを送った。
まぁ、私が出来る事って
こんなことしか無いし。
現地で見て来たこと、
聞いたことは
今後のボランティア部の糧にしなきゃいけない。
経験者だから解ることは大きい。
忘れちゃいけないこと。
私たちは料理人ですが
お店に来るお客様の為だけではなく
災害で辛い、苦しい思いをしている方を
一日も早く笑顔になって頂けたら
それだけで、
自分たちの糧になる事を頭に入れて
生きていくことが前社長の方針。
まだ2年目だけど…
その考えは引き継いでいきたいです(^_^*)
長々と、私の話にお付き合い頂きましてありがとうございます。
みなさんの一日が笑顔でいれますように…。
こんにちは。
私は今、新潟、魚沼市に住んでいますが
生まれは神奈川、川崎市の第三京浜とR246
の間あたりで若い頃は過ごしていました。
中学生の時に、部活中に腰を痛めて
卒業式すら出れないくらいでしたが
今は、膠原病(モヤモヤ病)
手術して23年目の付き合いでもありますが…
治らない、完治しない病気ですが、
薬と点滴で
細々と生き延びている感じ(笑)。
現在、調理師の派遣会社を前社長から引き継いで…。
面白い事に、調理師の派遣なのに…
災害ボランティア部というのがあります。
前社長が阪神大震災から始めてから
炊き出しから始め
瓦礫撤去等をする部署がある。
各地の消防署で9日の日に講習がある救命救急法の講習カードをみんな持っている事。
災害時のケガ人などの救急車が来る前の処置はできる程度ですが…
福島も宮城も熊本も
今回の大阪でも
救急車に乗るまでは私たちの責任。
その反面
瓦礫撤去の手伝いとか
土砂災害の時は
家に入ってきたベト(泥)を吐き出す手伝い
は当たり前。
今回の場合、ガス復旧の前に
カセットコンロなどを用意した。
地震の影響の瓦礫、ガラス撤去の為に
麻袋を用意すると共に
作業に使う軍手を大阪に行く前に神奈川、静岡などの作業業務スーパーで箱買いしながら大阪入り。
私は新潟長岡から夜行バスで、
大阪入り、現在合流でしたが、
運搬トラックの運転手が迎えに来てくれて
荷物の確認しながら現地に行きました。
まぁ、わたしは2日しか大阪にはいませんでしたが…
足りないものの発注するとか
物資の購入しなきゃいけなかったから。
私も、中越地震の災害者です。
たまたま、点滴を受ける病院が
避難所になっていたり、
テレビでがけ崩れで両親を亡くした男の子が入院していた病院に居ました。
余震も酷く、自衛隊のヘリを近くで見れた事くらいしか覚えて居ませんが…(笑)
帰る道路、線路の復旧作業で予定以上の3ヶ月入院しちゃいました(笑)。
そのあと、私は13年間、点滴を受けずに過ごして居ます。
っつうか、
点滴を受ける事で、たまたま中越地震に遭遇した事で、点滴を受けることに恐怖を覚えたのも確かです。
現在、会社仲間が現地で
被害者の為に出来る事をしていると思うと
親方として、
迷惑だけはかけるな!
皆さんのために出来る事をしてくれ!
笑顔で帰っておいで(*^^*)
って現地にいる仲間にメールを送った。
まぁ、私が出来る事って
こんなことしか無いし。
現地で見て来たこと、
聞いたことは
今後のボランティア部の糧にしなきゃいけない。
経験者だから解ることは大きい。
忘れちゃいけないこと。
私たちは料理人ですが
お店に来るお客様の為だけではなく
災害で辛い、苦しい思いをしている方を
一日も早く笑顔になって頂けたら
それだけで、
自分たちの糧になる事を頭に入れて
生きていくことが前社長の方針。
まだ2年目だけど…
その考えは引き継いでいきたいです(^_^*)
長々と、私の話にお付き合い頂きましてありがとうございます。
みなさんの一日が笑顔でいれますように…。