いきなりですが、僕には怖いものが何一つありません。
嘘です、セミは怖いです。
僕には失うものが何一つありません。
嘘です、大学時代頂いた植松伸夫先生直筆サイン入りFFⅨポスターは失くしたくありません。


もう3年以上前の話になりますが、
僕には自分の命を全て投げ打ってでも貫き通したいことがありました。
でも様々な人間の悪意や、自分の心の弱さに打ち勝つ事が出来ず、
完全なる形で目的を達成をする事は出来ませんでした。
今もその敗北は自分の中に大きな影を落としているのですが、
ただ、自分が出来る事は何一つ悔いる事無くやり切ったかと問われれば、
誰に何を言われようと「YES」と肯く事が出来ます。

人は壁にぶつかった時、それは受験だったり、仕事だったり、恋愛だったり、
今となっては全く持ってどうでもいい芽室三流自動車学○の免許取得の為のパワハラ教習だったりしますが、
その壁を初めて「問題」として意識します。
「問題」とは必ず「解決策」と対になって存在するもので、
べつにどうでもいいもの、関与する価値の無いと感じたものは例えどんなものであっても
「問題」とは認識しません。

僕が自身の全てを賭けてでも解決したいと思った事柄は、
自分の命含めて全部賭けてでも向かって行く価値のある事だと判断した「問題」であり、
もし敗れて死んだとしても、その結果に一片の悔いも残さなかったと思います。
誰にとっても最悪な事と言うのは「死ぬ」事であり、
もしそれすら恐れないとしたら挑戦するしか活路はないんです。
挑むことすら放棄して生きていくすれば、それは只の残骸。
生きながらに死んでいるアンデッドです。そうなってしまう事の方が何より怖い。

数年前、自分は全てを投げ打って挑戦して、悔いは一欠片も残さなかった反面、
結果を出す事が出来ませんでした。
正直意志は貫く事は出来ても、体がその勢いに追いつかず、
実は仕事面の話なのですが、200連勤近く日々全力で挑んで、最後は倒れました。
肉体の限界に負けました。ちょっとだけ賽の河原も見えた気がします。

その後は暫くは、惨めにも生存してしまった為、しばらく放心状態で不毛な日々を過ごしてましたが、
とある行きつけの、いつも自分の悩みに親身になってなってくれるマスターの経営しているバーで
愚痴がてらそんな話を聞いて貰ったところ、
(もちろん一人で抱え込むのが辛く、ちょくちょく話を聞いてもらったのだが)
とある忘れられない一言を僕に言いました。

「お客さん、それもう人生やり切ってますよ」

その時は何気なく聞き流し、
『僕には失うもの何も無いし、やるべき事は全てやり終えたし、そうかも知れませんね』
と答えましたが、それに対しマスターは

「それがそもそもの間違いなんですよ!人間に失うものなんて最初から何も無いんですよ!」
『まぁ自分は天外孤独の身同然なんで何もないですが』
「それすら関係無いんですよ!家庭があろうが、社会的な地位があろうが、金があろうが、
全部ひっくるめて人間に失うものなんて命含めて何も何も無いんです。全部自分で決めてるだけ!」

マスターによると、人間の欲求の根源は「執着による妄想」らしく、
何が大事か、何の為に生きるか、何を目指して行動するかは本人の意志の矛先でしか無く、
但しそれら全ては執着による強固な道標でしかなく、もしそれを見失ったからといって、
失うと言う事にはならない。それを失ったと判断したら、それは即ち只の未練。
捨てれる人間、切る事の出来る人間こそ、零の局地に辿り着いたつわもの。

一切に執着のない精神状態を「ミスターポポ」状態と呼ぶらしく、
無心、悟りの境地の局地の神の精神らしいです。

もう一つ、例によってわからない人にも分かり易くジャンプマンガ例えしますが、
最近HUNTER×HUNTERでやってたハンター協会会長選挙編で登場した、
次期会長有力候補のパリストンって美形で頭脳明晰なカッコいい敵役の話ですが、
あの人の宿敵でもあった主人公のお父さんであるジンさんが彼の事をこう評してました。

「あいつは(選挙という勝負に)勝とうとしていない。負ける気もない。だから最強」

僕にはこの理屈が痛いほどに納得出来ました。この精神は人として極限の無敵の精神です。
即ち人は、守るものの、目指すものの大きさによってより強くなる事も可能ですが、
守るべきもの、目指すべき高みへ意識が執着すればする程、
守ることが出来なかった時の恐怖、辿り着けなかった時の敗北感、
それが意識下で顕現して、自身で自身を縛り付ける楔になり得ます。
その相手に勝ちたいのであれば、それを突けば良いだけ。
勝とうとしていなければ死ぬまで弱点を狙い続ければ良いだけの話だし、
負ける気もないならまた自分自身も命続く限り挑み続ければ良いだけ。
要はいかに勝負を楽しみ、相手にとって最悪の選択肢を選び続けられるか。
所詮世の中に対等の勝負事など殆ど無く、勝ち負けにすら執着せず、挑む気持ちさえ失わなければ必ず勝機は生まれます。
純粋な挑戦者というのは何よりも誰よりも恐ろしい追跡者なんです。

ドラゴンボールのナメック星編でべジータが、自分がドラゴンボールの願いで不老不死を得て、
今は無理でもトコトンまで食らい付けばいつかはフリーザを倒せるとメチャクチャな発想をしてましたが、
今考えると「確かにいけんじゃね!?」と思います。
サイヤ人の潜在能力に加え、自分の命すら守る必要も無く、負けても死なないからやり直しが何度でも効く、無敵でしょ。

僕は人生を賭けた一世一代の勝負事に負けた敗北者です。
出来得る努力を最大限まで、それこそ倒れるまで貫いたにも関わらず、負けました。
その時に思いました、
「あれだけ努力して、信念貫いて、それでも負けた。ならこの世に頑張って生きる価値など無い」
結果に対する執着と言うものがこの時点で死にました。
「しかし全てを賭けて挑み続けた勝負の中で、
確かに自分自身を少なくとも以前よりは成長させる出来事は沢山あった」
この時に挑むことの楽しみも知りました。


そして、人間が漠然と考える幸せも生まれた家庭によって既に可能性を断たれているので、
―生きていることにすら執着が無い―
はっきり言うと死ぬ事に対し全く恐怖が無い。だってすべてやり終わってるんだもの。
心残りなんて何一つ無いですよ。
それでも全てでは無いにせよ多くの経験はしてきた、
エンディング後に能力引き継いだ二周目以降のゲームと同じです。
いつやめてもいいけど、まだまだ遊べる要素はあるので勝ちにも負けにも執着せずに遊ぶだけ。
もう人生の目標がセルの完全体みたいな「楽しむこと」しかありません。

執着がなければ切り離せるものは無い。
一個の原子で出来たものこそ完全なものなんです。
脈無しニュースありましたが、繋がりなんて実はタダの思い込みで最初から無い。
「個」こそ完璧で、壊すことは出来ず、もしそれが壊れる時は・・・
「世界を完全に平和にしない為の抑止力」になり得るでしょうね。
(コレは怖いがこの話はまた今度)

ちなみにポポ状態の更に進化系に「スーパーサイヤ人」状態というのもあるらしいですが、
その話を聞いた時、「ホントにドラゴンボールってよくできてるなぁ」と思いました。

結局何が言いたいかと言うと、
所詮人間に失うものなんか何も無いんだからネガティブでいるよりポジティブでいた方がいいよ、
と言う事。
挑戦し続ける限り敗北はあり得ない。何故なら敗北とは自分があきらめる瞬間に生まれる概念であり、
死んだら悔しさだって感じないんだから、好きな事は他人の言葉なんて無視して貫ききった方が良い。
(あきらめた瞬間には「もうやらなくていい」と言う安堵感を得るので、これも実はまた厳密には敗北では無い。努力を引き換えに楽を得ただけ)



最後に余談。
ジョジョ第3部でダービーのスタンドがゲームで負けた相手の、
心の中の敗北感に付け込んで魂を奪う能力を持っていましたが、
あれゲームに全く興味ない相手なら負けても
「俺はゲームの対戦なんかに全く興味なんかねぇんだよぉー!このドグサレがぁぁぁ!!」
って言いながら顔面に渾身の一撃を3ページに渡り叩き込んだら終わりじゃね?

芽室自動車○校の居眠り低脳教官の顔面と急所にスタープラチナ6ページに渡り叩き込みたい\(^o^)/
芽室自動車学○教官「もしかしてオラオラですかぁーーーー!!??」
ジョジョ「Yes,yes,yes, oh my god!」
仕事があまり上手くいっていない。
好きで始めた事だけど、やはり現実は甘くは無い。
やはり東京と言う街はムカつく上、なかなか手強いと思う。
(ちなみに故郷と言う愛着はこの街に対しては全く、無い)

本音を言うと北海道を出た時に、もういろいろ経験もしたし、
後はどこでもそれなりにいやっていけるだろうとか、
界王様の下での修行を終えた悟空の様な気持ちになっていたのですが、
やはり世界は広かったらしく、色んな壁にブチ当たりまくってます。
もう何度かGAME OVERにもなってる。

我ながら凄くわかり易い例えだと思いますが、
よく続きモノのゲームとかで、一作目をレベル50くらいでクリアしたにも拘わらず、
続編ではまたレベル1から始まり、序盤の最初のあたりのザコに殺されて、
「なんで前作の最後で魔王みたいなの倒せたヤツが、こんなムシみたいなのにやられなきゃならんのだ!?」
とか納得行かない気持ちにさせられますが、丁度今そんな気分。

そのザコは以前出てきた大物の親分よりも遥かに強いだけの話。

去年まで僕が勤めていた某大手不動産会社で、週1くらいで勤務しているアルバイト従業員の女性がいて、
バイトをしながらとある芸術活動をしていると聞きました。
―東京を拠点にして活動している、とある有名劇団の団員さんでした。

世界規模で飛び回り海外公演も年に何十と周っている様な団体で、
一公演だけでそれなりにギャラも貰っているらしいですが(勿論それだけじゃ生活出来ないので普段はアルバイト生活)、
ハッキリ言ってルックスとかファッションとか雰囲気とか全然魅力のカケラもありません。
むしろ話聞くまでタダのオバサンかと思ってた(若くもない)。

しかしそんな人間でも、キャリアは当然として、
日本の中心と言う競争社会の中で生き残りを懸けて戦ってるだけあって、
真剣度がまるで違うんです。要は強い。内輪ネタではない、広い世界を持ってるんです。
劇団のサイトとか見ても、あんな普通(以下に見える)の人が・・・こんな実力者とは・・・、
と驚くばかりです。
正直それでも主役は絶対出来る柄では無いでしょうが(これは偏見か?だって可愛くないよ)、
この国の中心で、その世界で生き残っているのは紛れも無い事実。
高いレベルの戦いの中に身を置いてるから、それだけレベルもあがってるんです。
狭い世界の魔王より、より広い世界のムシの方がホントに強いんです。
(メチャクチャ失礼なコト言ってる気がする)
彼女は間違い無くS級(最強ランク)妖怪です。

お約束のジャンプ黄金期マンガ例え使うなら、
幽遊白書で物語終盤に出てきた魔界三大妖怪(国の覇権握ってて、メチャクチャ強い3匹)
の一匹の旧友、
まるで休眠期直前に病みまくった冨樫先生が筆休めで書いたような
適当且ついい加減極まりないデザインの癖にその3匹と互角以上に渡り合うほど強いヤツラ、
ただし野心が無かった為表には出てこなかった、
正に雷禅の旧友みたいな奴等が世の中には沢山いるんです。


↓以下、単なる想像↓
当時の編集者「冨樫先生ッ!!なんですかまたこの酷いデザインのカスみたいな妖怪は!」
冨樫「あぁ、それ、雷禅の昔の友人達。超ツエーから。全員S級。黄泉や軀でも苦戦」
編集者「こんな消しゴム一回も使わず下書き無しで描いた様なキャラが今までのライバル達より強いなんて読者ブチ切れますよぉ!!」
冨樫「問題ねーよ。他の作家がやったら非難ゴーゴーだろうが、俺がやったらそんなキャラでも話進むに連れどんどん貫禄付いてくからよ!!」
編集者「こいつなんて小学生が何も見ないで描いたフリーザ最終形態に帽子被せただけじゃ
ないですか!!(涙)」
冨樫「まぁいくら強いって言っても所詮は脇役、見せ場は美形キャラに全部持っていく様にするから安心しろよ。なんせ俺は出席日数の足らないだけの天才、いや、神才だからよ!!」
(そして結局面白い作品を創ってしまう冨樫先生)
↑想像終了↑


少年マンガも世の中もこの点では同じで、
身の周りの小さな世界→次々に現れるライバル→目指すべき目標→外からの脅威
→更に外側の世界→そしてやっぱり上には上
でレベル上がってくんです。ドコで止まるかは自分次第。目が内側に向いた時に終わります。
ドラゴンボールなんてこの繰り返しでしょ。


ところでその僕の去年の職場ですが、もう一人S級妖怪がいるんです。
芝居では無いですが、とある表現活動に携わっている人で、
育った家庭も「そういうトコ」の大元。
人前に立つ活動をしていますが、もう非の打ちドコ無いですね。ルックス偏差値60越え。
同じS級でもこっちは三大妖怪に名を連ねる方です。
これはまごう事なき天賦の才ですね(しっかりトウキョウ出てきてレベル上げてる)

芸術は一例ですが、こんな奴等ともバトルすらも出来てしまうのが競争社会の中心のメリット。
「俺より強いヤツに会いたいチャレンジャー」は是非参戦すると良いと思います。
そういうのが何気ないトコにゴロゴロいるからこの街は面白いんです。
僕はもう何度も殺されまくってます。
でも芸術も格闘ゲームも、より強いヤツらと戦わないとレベル上がらないのは確か。

僕のよく行くアキバのメイド系店舗とかもサービスレベル本当に高いと思います。
一説には帝国ホテルより接客が丁寧と言われる池袋の某執事喫茶も行っていた見たくて仕方無いです。
やはり全ての業種に於いて帝都はつわものどもの集まる地なんですね。
情は沸かないが血は湧く。

余談ですが、この二人(S級の表現者ね)仕事はと言うと・・・、
遅刻ドタキャン日常茶飯事!去年一年俺がどれだけ被害被ったか・・・!
(二年勤務した先輩は20代の若さで白髪だらけ血尿出て辞めた)
仕事に関してはD級以下の模様。ストレス半端なく激鬱、そうだ樹海に行こう。

ちなみに僕も今は退職しましたが、
名前だけ残してバイト(一回も出勤してないが)としてやってます。
そんな人間すら使わなければならない程のブラック企業っぷり(社員はみんな辞めてく)
ブラック企業は組織としてきっとD級 \(^o^)/
『では今日最初のお便りは、横浜市の青葉君から』、
「先生、ビックリマンチョコが 巫山戯(ふざけ)た価格で復刻されるらしいですが、
僕としてはネクロスの要塞チョコを復刻させて欲しいです」
『私もだ、180円くらいなら買うと思う』

知ってる人いるでしょうか?
御存じない人はヤフオクで検索するといいよ。


僕が幼稚園くらいの頃キン肉マン消しゴムやSDガンダム消しゴムとか
コレクター心をくすぐる様なアイテムが流行してましたが、
そのちょっと後(ガン消しは時期が不鮮明)に来たビックリマンはとんでもない一大センセーションを巻き起こしました。
一世風靡セピアよりも一世を風靡していたと思います。

僕が興味持ち始めたのは5弾あたりの頃で、
たしかヘッド(キラキラ光ってる出にくいレアシール)がサタンマリアだったと覚えていますが、
やはり回りでも相当な大人気で、お店でも購入に一人三個までとか制限があり、
それでもすぐ売り切れで、どのお店行っても買えない程。

そんな中、身近でトンでもない事件が起こりました。
当時ビックリマンは主にコロコロコミックでいつも記事が採り上げられていましたが、
時々読者プレゼントでそれまでの全種類シールコンプ済みアルバムが
出ていました。
一学年下の吉野君(仮名)がそれに当選してしまったんです。

そりゃもうヒーローです。英雄です。
連日その全種コンプアルバムを見に彼の家はお友達でいっぱい。
確か6弾か7弾くらいまでだったと思いますが、
それは子供達にとって絶対の力を持つ魔法の本みたいなものです。
アルバムを片手に、周囲の歓声をもう一方の手で制す彼の姿は、
聖典を片手に民衆の前に威風堂々と立つ法王さながらの姿。
大名行列の様に、人々は彼に平伏さんとするばかり。
(てか今ならむしろ狩られるかも)

僕も彼の家にそのアルバムを見に行ったのですが、
その見た時の感想はと言うと・・・、





すごく虚しくなりました。


そもそもコレクションと言うのは蒐集していく過程にこそ楽しみがあり、
手に入らないものがあるからこそ燃える訳で、
いきなり全種あったらもう「完成」なんですよね。
人間もそうですが、完璧ではないからこそ完璧であろうと努力して
良いトコを伸ばしたり、悪いトコを正そうとするのであって、
「完成」してしまったものには最早存在価値がないんです。
「全部ある」事と「何もない」事は全くの同義なんです。

ビックリマンの場合その後も新しいラインナップはもちろん沢山出ましたが、
それでもその時点では彼は「全てを手に入れてしまった」ワケで、
もうその時点で持っている事に意味は無いんです。

10年くらい前コカコーラにファイナルファンタジーのオマケフィギュアが付いていて、
僕は小学生の時からビックリマンよりもFFマニアだったので
圧倒的財力にものを言わせ(バイト出来る年齢だったからサンクスと郵便局で働いてた)全種類集めました。
が、やっぱり全てが揃った瞬間には虚しさしか感じなくて、
アキバのショップに全部売りに行った記憶あります。

要はやることなくなったんです。
頂点を極めた者の虚しさなんです。
ギャルゲとかでCGギャラリー全部埋めた瞬間もうやる事無くなって、
持ってる意味すらなくなって売りに行くあの心理です。

だからテイルズとかモンハンとか(僕はゴッドイーター派ですが)
ディシディアファイナルファンタジーとか、
キリが無い程やり込んでも終わらないゲームっていつまでも飽きずに遊べると思うんです。
または蒐集要素の無い格闘ゲームは最初から出来る範囲が決まってしまっているので、
俺より強いやつ全てと戦い尽くすまで、リアルな対人対戦の拡がりに限界を感じるまで遊べるので、
長く長く遊べるんです。
最初から完成してるから終わる場所は遊ぶ人が決めるしかないんです。


僕の持論ですが、全ての物事は「完成」した時点で在る意味を全て失います。
完璧な人間が居たとしたら存在する意味は無いと思ってます。
(いたとしたら永久機関もってる人造人間17号と18号だ)

もし地球上の全ての人間が平等に幸福になって、
何一つ問題が無くなったとしたら、その時点で人類は存在意義は失うと思います。
神話の世界の楽園は全ての人が夢見たゴールですが、
もし実現したら・・・、今度は異星人でもやって来るような恐怖があります。
完璧にしない為の抑止力がどっかで働くと思います。

ドラマとかでも最後結婚してハッピーエンドで終わること多いですが、
あれは全ての問題が収束して完成したから終わるんです。
でも現実にはあの続きがあるから、また新たな戦いの火種が何かの切っ掛けでも起きて、完成はしない。

「タイタニック」とか「ファイナルファンタジーⅩ」みたいな
綺麗に完成した物語に続きを作っちゃいけないのはその辺に理由があると思います。
続きを作る事は、何かを欠落させる事と同じです。
(FFⅩ-2はホントにやめて欲しかった・・・)

そういう意味じゃ、人生はそう簡単に終わらない。
生きてる限り続いていく点では、やはりゲームじゃないから甘くない。

そんな理由で僕は友人のビックリマンコンプリートコレクションを見て
ビックリマン集めを止めてしまいました。

今はもう何かを集める事に興味など一切無くなり、
昨日家にあったもう遊ぶ事すらなくなったゲームを大量に売り払ってきました。
他の誰かが新しい刺激として受けとってくれたらと思います。
もうゲーム業界も先行者の開拓は完璧に終わった感が・・・。
もう自分の求めていたものもやり切ったと思います。
あとは囲碁だけあればいい。
(何度も言いますが、やはり自分のゲーマー人生に止めを刺したのはクラナドだと思う。アレは人生を完成させるゲーム)


でもビックリマンシールは欲しくないけどチョコだけ欲しい。
捨てるくらいなら僕に下さい、食費浮くから。

しかし今考えるとどうしてビックリマンには対戦要素が無かったんだろう?
それを考えると遊戯王やポケモンは終わりなき戦い、
子供(大きなお友達含む)がいる限りは消えないと思う。


全然余談ですが、GLAYが主題歌を歌ってたヤマトタケルと言う誰も知らないであろうアニメのDVDを数年前に買ったのですが、
今日初めて観たら見事OP・EDテーマは差し替えられてた。買った意味が無い、売ろう。


では今日はGLAYの「RAIN」を聴きながらお別れします。

See you next time!!(今日もNorth wave風に)