航海30日後・・・月明かりの太平洋・・・
満月の光は、聖書を読むための明かりとなり、
半月の光は、焚き火の炎と共に食事の準備の明かりとなり、
三日月の光は、心の闇を写し出す一筋の明かりとなる。
「なんという静寂と安らぎなのだろう。漆黒の海に輝く満月。その満月を守るように広がる、無数の星々。まさに主イエスキリスト様の周りに集う、私達、宣教師のようだ。この世の始まりがあるとするならば、このように創造主が暗闇に光を与えてくれたのだろう。おおっ、なんと素晴らしいのだ!アーメン」
ルイス・ソテロが、故郷のエスパーニャ・セビージャを離れ、フランシスコ会の宣教師として亜細亜へ旅立ってから、彼是10年以上の月日が流れていた。
フィリピンで日本人キリスト教徒に出会い、そこで日本語を学んだのが、運命の分かれ道だった。というのも、日本に到着後、徳川家康に謁見し、日本での布教を認められたのだが、徐々に布教が禁止されキリスト教は弾圧を受け始めた。
その頃、ルイスソテロは北の大地に布教に赴き、伊達政宗に布教を認められていた。
一度は、弾圧が厳しくなり捕らえられたのだが、以前、座礁難破したフィリピン総督ドン・ロドリゴとの通訳や斡旋などの実績から語学能力や知識をかわれ、伊達政宗の助命嘆願により赦されたのだ。
そして今、伊達政宗より慶長遣欧使節団の正使に任命され、支倉常長と共に故郷エスパーニャへと航海している。
「もうすぐ故郷のエスパーニャへ戻れる。セビージャの、みんなは元気だろうか。ああ、懐かしのガスパッチョ。真夏の暑さには、やはり冷たいスープ・ガスパッチョが一番だ。日本でも、冷汁やら冷麦やら夏の冷たい食べ物はあったが、ガスパッチョに適うものはない。あの、いくつもの夏野菜をミックスした濃厚なスープ。隠し味のレモンやガーリックも忘れてはいけない。スープに直接氷をいれて冷やし、パンと一緒に食べる。ああ、ガスパッチョよ。それにしても、早く刺身とかいう生魚を食べる、野蛮な食事から開放されたいものだ・・・」
ルイス・ソテロは、どちらかというと貧しい家に生まれた。
フランシスコ会に入ったのも、毎日食事にありつける、という理由が一番大きかった。
初めはそういう単純な理由だったのだが、毎日祈りを捧げているうちに信仰の心も強くなってきた。
そんな、ある日、亜細亜へ布教に行くよう、宣教師としての役割を与えられたのだ。
しかしこの時、同時に心の奥底に眠っていた野心も、目を覚ました。
亜細亜へ宣教師として赴き成功すれば、ルイス・ソテロの名は有名になり、地位もあがる。
そうすれば、その権力を使って贅沢三昧の暮らしができる。
こんな私でも、やっと千載一遇のチャンスが巡ってきた。これこそ神様が与えてくれた奇跡だ、と思い込むようになったのである。
「この通商交渉さえ成功させれば、私の輝ける未来は約束されている。なんとしても、エスパーニャ帝国の国王フェリペ3世に、この交渉が有益だと認めさせなければ。それには、まず支倉や十兵衛に、完璧なエスパーニャ語を教え込まなければならない。支倉は、問題ないだろう。彼は、のみこみも早いし、なにより伊達政宗から直々に与えられた使命がある。問題は、十兵衛だ。なんど教えても、丁寧な言葉をまったく覚えようとしない。女を口説く単語や、エスパーニャの歌ばかり覚えようとして、まったく真剣に学ぼうとする気配がない。エスパーニャの国王に謁見するというのに、あいつは何を考えているのだろうか。あれで、支倉の片腕、地位のある侍というからあきれたものだ。このままでは、私の計画の障害になってしまう。何とかしなければ。いっそ、寝てる間に海へ突き落とし、航海中の転落死に見せられないだろうか?いや、あいつは凄腕の剣豪と聞いている。侍のなかでも、ある者は寝ている時でさえ、周りの気配を感じ取れると、聞いたことがある。下手をすれば、海へ突き落とす前に、私が刀で切られてしまう可能性もなきにしもあらずだ。あああ、何か良いアイデアはないだろうか?いや、まだエスパーニャ到着までは時間がある。何か策略を練らねば!主よ、私に力を与えたまえ、アーメン。」
「おい、ソテロ、こんな夜中にブツブツと何をしているんだ?」
「コレハ、ジュベエ サマ。コンバンワ。ワタシ ハ コノ ウツクシイ マンゲツ ヲ ナガメテオリマシタ。」
「ほう、確かに美しい月だ。今宵は、十五夜か。団子でもあれば、粋なのだがな。」
「ダンゴ デスカ? コノ ウツクシイ ツキ ハ キリスト サマ ガ ワタクシタチ ニ アタエテクレタノデス。ナゼ ダンゴ ナノデスカ?」
「また、キリストの話が始まったか。いつもお前は、エスパーニャ語とキリストの話ばかりだな。美しい月に、キリストも何も関係なんかあるものか。まったく、付き合いきれん。美しい月は、誰のものでも、誰が創った訳でもないだろう。ただ美しく、夜空に存在している。手が届きそうで、手が届かない。なぜそこにあるのか、なぜ存在しているのか、なぜ美しいのか、わからない。だから、眺めながら、うまい団子を食って、酒を飲むんだ。それが、粋ってもんだろう。」
「イキ デスカ。ワタシ ニハ ヨクワカリマセン。」
「まあ、いい。団子もないことだし、オレは寝るぞ。」
「ジュウベエ サマ オヤスミナサイマセ。」
「あ~ビックリして、心臓が止まりそうになった。十兵衛を陥れる策略を考えたとたん、現れるとは。なんという勘の良さだ。やはり、侮れん男だ。ここは慎重に計画を練らなければ。」
静寂と嵐は、裏表。
今宵の海は凪でも、明日の海は荒れ狂う。
美しい満月の裏側には、狂気の光が輝いている。
ここで一旦、CMです。