人生は時間ではないと同じように、 | mitosyaのブログ

mitosyaのブログ

個人誌「未踏」の紹介

人生は知識の豊かさでもない、と現象学的に証明もされよう、しかし、人はこの精神の縄張りから出られない、掟のように、真理を、幸福とを追い求め、人の、世界の、自然の支配、利益の追求も、これが為、

 

癌患者にはわかる

 

風ってわかる?、一日ってわかる?、草や木ってわかる?と、どのようにわかるの、気持ちが良いの、生きてるということが、同じ生きものということが、これらが、誰のものでもない、私という出来事において感じられていることが、私というものが、私のものであることが、嫌というほど感じられるの、と、この私が幾日後かには無くなる、としても、今ある私がうれしい、私は私を抱いてやるの、

と生きている癌患者の感情と、日常という、こうした癌患者の感情など考えたことも、まして体験したこともない人々の、日常というものの持つ非人間的なるもの、日常が人間的で、病者は非日常のものとする感情、病者の中にこそある人間的なる感情が、共感され、学ばれることのない日常というもの、日常というものを疑ってこなかった、癌を体験してきたのにもかかわらず、原発という、核戦争という、種の滅亡につながる、核という、戦争という非日常の中にこそある、非人間的なる感情、人が人を殺すという行為の中にある、人間でしかありえない感情の、一日ってわかる?、食べるってわかる?、寝るってわかる?、というよみがえる日常というもの、日常とは、非日常の理解があって成立していくのであった、

幸福の追求が、価値の追求が、この人間的な人間的でしかありえない感情への追求でなければ、2×2が4を超えるものがこの感情、あまりに人間的な感情、非日常の持続された感情が、非日常を生きるものにはあるのだった、今まさに、3.11は核の脅威は、人にこの非日常を持続させる、

 

絶望と無を見つめながら、私は希望を又は虚無を、と、絶望でも何でもない理想を探っている、時がそうさせるのか、生身の私がそれを願うのか、

私の所有でもないこの地球の未来を何故憂うのか、

私の家族でもない、地球人の未来を何故に憂うのか、

何故私は人と人が理解しあい、共感できるものとの感情を持つのか

これら、私の意識の形成過程を考えなければ、

絶望を真に捉えたいとするなら、絶望の上に身を置くというなら、絶望の現実も、無意味、絶望にも、意味や希望があるなどと、絶望を意味化するなど、絶望とは絶望であるのだった、人間は何故愛し合うのかだって、絶望から、死から、私対世界で私において捉えなければ、

癌の転移があって、将来のことなど考えられない、世界滅亡の危機の中にあって、真理など追究しておられない、こうした私、世界を絶望と捉えるのか、自明、必然、自然と捉え、死ぬまで、絶滅するまでに遣っておきたい10のことをするしかないのか、

 

「共感の探求」

 

今、私はこの一年間考え続けてきたことを、書くことで深めてみようとしている、それは一つの結論や、作品世界を提出する試みではなく、過ぎ去った体験を、体験した私において考えてみるという形において、いづれ書くだろう小説の可能性と説明において、書き表せなかったことにおいて意味を持つ、私のテーマにおいて、

 

「共感の発見」

 

笠間行、田んぼ道「誰もいないね、二人きりね、田舎に来てるみたい」、魯山人の家「疲れた?、ちょっとこの庭で横にならせてもらったら」、風、汗、笑顔「元気になった?今度はどこへ行く?」、畑中の画廊喫茶「ご主人が亡くなられたんだった、見てあの絵、いいわねえ」、雑木林、陶芸団地、夕暮れ、煙、

 

柿田川、白鷲のコロニー「来て、見て、見て」小声で、足を忍ばせ、林を抜けると、そこは山水画の世界、流れる水の中に、三島バイカモ「わあー、裸足になって、水に入りたい、なんてきれいな水」、トンボ「この子、足にとまって動かないのよ、ちっとも人を恐れていないの」、花キャベツ、黙って畑の中へ入って行って、手招いて、「この色見て、虹の花みたい」、靴にビニール袋を被せて、湿地をズンズンと、「もっと下流へ行ってみない?」、小学校の裏庭が川で、鮎を釣る子供たち、

 

常滑、瓦屋根と、黒壁の街、「墨だろうか」「潮風よけかねえ」水琴窟「聞こえる?、いい音でしょう」、火遊びの煙突「火を遊ばせる為だって、素晴らしいデザインだわ」、土管の坂道「鱗みたい、雨が降ったらきれいだろうな」イナックスの廃窯、「涙が出るほどきれい、此処でコンサート聴いたら」、土と火の出会い、赤に、緑、黒、触媒に使われた塩が変化し、宝石のよう、笠間が、柿田川が、常滑が、なぜに私に印象深いのか?、他人にとって何でもない会話、景色が、四年振りの旅行、元気になった私、もう心配の要らない日常、妹の幸せ、義妹とも始めての旅行、君の、義兄の喜びが、私へ、言葉、しぐさとなって、間違っていたら、こんな時は過ごせなかったかもしれないという、私の病気がきっかけとして、君や、義兄の日常が、奇跡的存在となって、街中にぽっかりと出現した別世界のように、水、木、空、光、私は、私の存在を、何より喜んでくれている、君と、君の兄の喜びを、私への共感として、初めて出会った世界のように、私の網膜に焼き付けられて、私自身を発見したように、                     

 

こうした発見された私が、今、人間の顔をした、反人間たちによって、冒され、引き返せない、取り返せない、無意味、罪を、生理的、直感的に感じた者が、何とかしなければと、自責、有責性のもとに声を上げ始めているのだが、もったいないという観念は崩れ、放射能入り米は、魚は、肉は、今や毒物となり、

東北の我慢強さのおしんは、福島には住めずブラブラ病となり、

町の清掃、海山の清掃のボランティア、放射能のゴミは、今や地下10センチに染込み、清掃は意味を失い、

絆は、今や集団自決と同じ締め付けとなり、子どもたちは、少年突撃隊、女はひめゆり部隊に似、

政府、マスコミは大本営となり、全滅を転戦と言い繕ったように、燃え続けている原子炉を冷温停止と嘯き、

一人一人の組織の人間は、上官の命令は朕の命令と、私は貝になりたいと、処刑された兵士のように、

取り上げれば、川柳のようにいくらでも見つかる価値の崩壊、これらの価値とは、貼りボテであったということ、そんな国で、新たな価値が、意味が生まれるのかと、また必要なのかと、クレージー、ゆでガエルでいいのではないのか、彼等、太く短く、人生に特別な意味など求めてはいないのだからと、それでも救いたいとした、宗教者、思想家たち、自らの死をも超えて、人の絶対矛盾をも超えて、彼らへの解かりやすい教えを説き、

やはり、人は私で超えていく方法しかないのだった、悟り、覚悟の、個人における方法でしか、末法思想も、終末思想も、すべて現実のものとなり、人類は遠くない時期、ゆっくりと絶滅に向かっていくのだから、核は、大気圏という中に、いくらどのように封じ込めようとも、それらは大気中にあり、地震、地殻変動に曝され、いつの日か大気と混ざり、生物の遺伝子の毀損をしていくのだから、

 

ポール・フスコの写真

 

チェルノブイリ石棺、棺桶と呼ぶには、死者への敬意もない、トタン葺きの、ブロックを継ぎたしただけの、けして核は死んでなどいない、象の足を襤褸で覆っただけの、地上で一番みすぼらしい建物、200万年の時を生きる核には、どんな衣装も役立たずだが、せめて100年位持つ物を、

 

捨てられた町

 

もったいない事など何も無いのだった、全ては放射性廃棄物に変わってしまったのだ、草も木も土も、

 

死を生きる人

 

保障も無く、仕事も無く、捨てられた人々、汚染の地に、朽ちるように生き、

 

遺伝子異常

 

手が、足が、頭が、証人、語り部となって、刻印された遺伝子は、元には戻らない、変容を絶滅のその時まで伝え、

 

小説ブログへ
人気ブログランキングへ

 

未 踏 社 ホーム