上渓洞オリンピック[金東元(キム・ドンウォン)/韓国/1990] | mitosyaのブログ

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上渓洞オリンピック[金東元(キム・ドンウォン)/韓国/1990]

キム・ドンウォンが撤去される人々とともに生活しながら作った『上渓洞(サンゲドン)オリンピック』は、フィルムメーカーが共同体の一員となって生活しながら制作するアクティヴィストビデオの原型だといえる。この作品は「上渓洞撤去」シリーズの3部にあたる作品で、「上渓洞撤去」第1部は1986年10月に3日間続いた撤去の過程を入れたニューズリール形式のビデオとして制作された。「上渓洞撤去」第2部は、1986年11月と12月にあった強制撤去の執行過程と、これに抵抗する住民たちを制圧するために再開発業者が雇用したゴロツキらの横暴を中心に構成された。第3部にあたる『上渓洞(サンゲドン)オリンピック』は、1部と2部に使われたフィルムと新たに撮影したフィルムを合わせて作った、より長い作品で、1986年から1年余りを上渓洞から明洞聖堂の篭城場所へ、再びソウル郊外へと追いやられつつも、散り散りになることなく強制撤去に抵抗する撤去民共同体の旅程を描いている。



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【監督】 金東元 (キム・ドンウォン)

 韓国のドキュメンタリー監督。1955年生まれ。
『上渓洞(サンゲドン)オリンピック』(1988)、『名声、その6日の記録』(1997)等の作品で韓国社会の注目を集める。
監督の主要な関心事は、都市貧民の人生に対してだった。
 2003年には非転向長期囚を描いた『送還日記』 で「CINE21」10周年記念号の過去10年の映画ベスト1を受賞。またサンダンス映画祭での「表現の自由」賞をはじめ世界の数多くの映画祭でも高い評価を受けている。
 金東元監督がこの映画を撮ったのは、アメリカ下院議会で「慰安婦」決議が上がったときだった。日本の右翼勢力はアメリカの新聞に「慰安婦は売春婦だっ た」
「歴史的証拠はない」などと意見広告を出し、当時の安倍首相も「狭義の強制連行はなかった」と国会で答弁した。
(その後、安倍首相は被害者に対してで はなく、あろうことかブッシュ大統領に謝罪した。)
 これに対して金東元監督はこう喝破している。
「日本政府は被害者の話を、証拠として認めていない。でも証言よりも強力な証拠はない。」

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ドキュメンタリー映画 『終わらない戦争』
金東元監督 2008年制作 60分
韓国語作品 日本語字幕版



経歴
1955年2月24日 ソウル出生
1978年2月 ソガン(西江)大学校 新聞放送学科 卒
1984年2月 ソガン大学校 新聞放送学科 大学院 卒
1983~1986年 『バカ宣言』『ソウル イエス』『胎』等の映画に演出部として参加
1987~1990年 ソガン大学校 コミュニケーションセンター 常任演出
1990~1992年 独立映画協議会 議長
1991~2003年 プルン映像 設立(代表)
1994年~ 韓国民族芸術人総連合 映画委員長
1998~2003年 韓国独立映画協会 理事長




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