ミサ曲(Missa) 2-1 人生の意義(Meaning of life)Ⅳ | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

ミサ曲(Missa) 2-1 人生の意義(Meaning of life)Ⅳ
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クライストチャーチ大聖堂 (ダブリン) - Wikipedia

精神科医の諸見解
ヴィクトール・フランクルの見解
ヴィクトール・フランクルは以下のように述べた。

「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に対し問いを発してきている。だから人間は、本当は、生きる意味を問い求める必要などないのである。人間は、人生から問われている存在である。人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、人生からの問いに答えなくてはならない。そしてその答えは、それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する具体的な答えでなくてはならない」

? ヴィクトール・フランクル 『死と愛』 みすず書房、1961年。(原題『医師による魂の癒し』)

多くの人は人生を「自分がしたいことをしてゆく場」と捉えてしまっている[要出典]。このような「私のやりたいことをするのが人生だ」という人生観(欲望中心の価値観)に対し、フランクルは「私がなすべきこと、使命を実現してゆくのが人生だ」と述べているのである。

欲望中心の価値観では、例えば病気や人間関係等のトラブルはただの邪魔なものとしか眼に映らないが、「意味と使命中心の生き方」「なすべきことをなす生き方」では、それらのトラブルは何らかの意味がある、と受け止められるようになる。「これらの出来事を通して、人生が私に何かを問いかけてきている」「私に何を学ばせようとしているのだろう?」と受け止めることができるようになる、といったことをヴィクトール・フランクルは言っている。

そして「人生が自分に求めていること」を見つけるための手がかりとして、"三つの価値"を提示する。「創造価値」「体験価値」「態度価値」である。

創造価値
自分の仕事を通して実現される価値。これは大それたものである必要はなく、例えば、調理、コピーとり、清掃などでも。これによって助かる人、快適になる人がいる何かを提供している、ということ。
体験価値
人や自然と触れ合う体験によって何かを受け取ることができ、また何かが実現できる価値のこと。
態度価値
自分に与えられた運命に対してどういう態度をとるか。それによって実現されてゆく価値のこと。人生には、生まれつき決まってしまっている一種の「宿命」のようなものもあり、「運命」とも言えるものもあり、また生きている最中にはさまざまなことが起きる。このような「与えられたもの」に対してどういう態度をとりながら生きるかによって、その人の人生の真価がわかる、とフランクルは述べる。そして、この態度価値だけは、(前述の二つの価値とは異なり)人がいかなる苦境に追い込まれ、さまざまな能力や可能性が奪われても、実現の可能性がたたれることはない、と述べる。つまり、この価値をもってすれば、人は息を引き取るその瞬間まで、人生から意味が無くなることは無く、「人生の意味」は絶えず送り届けられ、発見され、実現されるのを待っている、ということになるのである[35]。

神谷美恵子の見解
日本語で「生きがい」と言うと、対象を指す場合と、感情を指す場合がある。生きがいを感じさせる対象を「生きがい」と呼び、それを感じる人の感覚・感情を「生きがい感」と呼び分けることもできる、と神谷美恵子の著書『生きがいについて』で述べている。人は長い一生の間にはふと立ち止まって自分の生きがいは何であろうか、と考えてみたりすることがあり、このようなときは、大まかにいって次のような問いが発せられるわけだろう、と神谷は述べる。

自分の生存は何かのため、またはだれかのために必要であるか。
自分固有の生きて行く目標は何か。あるとすれば、それに忠実に生きているか[36]。
人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したときだと思われ、それは上記の問いの第一と第二が一致した場合であろう、と述べる。だが、これらは必ずしも一致しない。生活のための職業とは別に、ほんとうにやりたい仕事を持っている人も多い。それらの両立が困難になると、うっかりすると神経症になる人もあり、中には反応性うつ病や自殺にいたる人さえいる[37]。

「生きがい感」を一番感じている人種というのは、使命感に生きている人(自己の生存目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標にむかって全力で歩いている人)、ではないか、と述べる[38]。このような使命感の持ち主は、立派な肩書や地位を持って目立っているというわけではなく、むしろ人目につかないところに多くひそんでいて、例えば小、中学校の先生、特殊教育に従事する人、僻地の看護士など、いたるところにいる、と述べる。

社会的にどんなに「立派」とされることをやっている人でも、自己に対してあわせる顔のない人は次第に自己と対面することを避けるようになる。心の日記もつけられなくなる。ひとりで静かにしていることも耐えられなくなり、自分の心の深いところからの声に耳をかすのも苦しくなる。すると、生活を忙しくして、この自分の心の深いところからの声が聞こえぬふりをするようになる。この、「自己に対するごまかし」こそが、生きがい感を何よりも損うものである、と指摘する[39]。

使命感に生きる人にとっては、たとえ使命半ばで倒れたとしても、事の本質は少しもちがわない。自己に忠実な方向に歩いているかどうかが問題なのであって、その目標さえが、正しいと信じるところに置かれているならば、使命の途上のどこで死んでも本望であろう、と述べる。これに対して、使命にもとっていた人(使命に背いていた人)は、安らかに死ぬことすらできない[40]。

生存目標の喪失と喪失した人の心の世界
神谷は、難病にかかったり、恋人を失ったり、子供を失ったり、職を失うなどして生存目標を失うと、人は「前途が真っ暗な世界に閉ざされた」「世の中が真っ暗になった」「深い谷底につき落とされた」などといった感覚を味わうとしており[41]、カール・ヤスパースやクーレンカンプ(Kulenkampff, C)が「足場」とか「立場」などと表現しているのは、決して抽象概念などではなく、人間の根源的な感覚に根ざした表現である[42] [43][44]。 それまで生存目標としていたものが失われると、人はもはや何のために生きてゆくのか、何が大切なのか、判断の基準すら分からなくなる。つまり価値観が崩壊し、これは概念レベルにとどまらず、もっと根本的な生体験(感情や欲求や知覚)にも影響を及ぼす[45][46]。

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SAN JUAN, J. de: Missa a 8 (Mexico Baroque, Vol. 4) (Echenique)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/uma2007

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BEETHOVEN, L. van: Symphonies Nos. 1-9 / Overtures / Missa Solemnis (Hanover Band)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/ni1760

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LOTTI: Kyrie in B major / Gloria in D major / Missa del Sesto Tuono
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/hcd32042

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ESCOT: Events Dancing / Missa triste / Mirabilis I / Jubilation / COGAN, R.: Gulf Coast Bound / Fierce Singleness
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/cd-4892

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パレストリーナ:ミサ「武装した人」(5声)/カヴァッツォーニ:リチェルカーレ
PALESTRINA: Missa L'homme arme / CAVAZZONI: Ricercari
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.553315

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ベンチーニ/ヘルフェル/ジョスカン・デ・プレ/エスコベード/ゲレーロ/アレグリ:合唱作品集(アヴェ・マリア)(ア・セイ・ヴォーチ)
Choral Concert: Sei Voci (A) - BENCINI, P.P. / HELFER / JOSQUIN DES PREZ / ESCOBEDO, B. de / GUERRERO, F. / ALLEGRI, G. (Ave Maria)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/e8892

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オケヘム:ミサ「武装した人」/他/ジョスカン:御身の下僕へのみ言葉を思いだしたまえ
OCKEGHEM: Missa L'homme arme / JOSQUIN: Memor esto verbi tui
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/8.554297

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オケゲム:ミサ・シネ・ノミネ/ミサ・クィユスヴィス・トニ/ミサ・フォール・スルマン(カペラ・アラミレ/アルクハート)
OCKEGHEM, J.: Missa sine nomine / Missa cuiusvis toni / Missa Fors seulement (Music of the Modes) (Capella Alamire, Urquhart)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/dis-80152

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シュトルツァー:ミサ集/聖マリアのモテット
STOLTZER: Missa, "Kyrie Summum" / Marian Motets
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/hcd32079

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ベルターリ:復活のミサ曲(イェール・スコラ・カントルム/キャリントン)
BERTALI, A.: Missa Resurrectionis (Yale Schola Cantorum, Carrington)
このページのURL http://ml.naxos.jp/album/rzcd-5013