死は、非日常は、人をあれほど人らしく | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

泣くなら泣け、私の自在な魂を許せないのなら、仕方がない、もっとしなやかに、十年先を考えて、私の病気を今考えるように、私は感謝されこそすれ、恨まれることなど一切無い、君に日常が私との同時性において捉えられるなら理解でき、あれは未だ、人を愛せない魂なのだ、無垢なるもの、君には要求する、責任と義務とを持つ立場にあって、君は怠惰だと、共感、掛けがえのなさ、同時性、時空への存在において、僕は昔と何も変わっていない、あの頃の感情をちゃんと保持している、君は泣けるか、今の自分を泣くのではなく、あの頃の自分の、渡り廊下で、うつ向き地面を眺めていた、孤児の顔、焼きついて離れない、記憶が意味をもって蘇る、波のように、繰り返す、全ての意味となって、文化、芸術、あらゆる存在が、こんなことってあるのだろうかと、全ての困難は私のものに、君に礼を言いたい、感謝したい、君は私を選んだのだ、責任をもって、最後まで仕事をして下さいと、男の胸でお前は泣いたことがあるのだろうか、その淋しかったこと、悲しかったことを、お前は抱かれたことがあるのだろうか、あの魂の赤裸さは痛々しいよ、自信をもって愛は告げること、失意を恐れて、オズオズと告げた君、全ての意味は、愛のために人は死ぬべきと、私は人に顔を見られたくない、「君は生きるに値する」、病院の廊下に掛かっていた額の言葉を君が告げ、「私にとっての意味の全てです」と、世界の、チェルノブイリの自殺者を阻止する答えが、キルケゴールであり、死に至る病、マルクスの資本論であったのだが、今、私個人の生きる意味が問題、エゴでも何でもいい、私の生きる理由が欲しい、泣きながら「私は罪なのでしょうか」「私は間違っているのでしょうか」と、「でもどうすることも出来ないのです」と、あの魂の、健気さの、本能的に人の不条理を、生の一回性で捉えた、あの真摯さ、懐疑することの真摯さ、不条理を原点で見つめ、異邦人のように、ただものをはっきり見、感じるだけの魂、明白な象徴としての存在、意味を求めて世界と出合った、感じ合った人間、どこにも住むことのできない、空中を浮くことだけの魂の存在、人は人の愛、神の恩寵でしか救えない、たとえ人は忘れていても、幼少期、または存在において、恩寵の記憶、または希望があるから、人は生き続けられるのだった、生きなかった者は、死んだ者は、生き続ける者への犠牲だ、サクリファイスだ、映画サクリファイスの主人公、マリアの膝に身を投げ、発狂した、連続した愛が必要だったのだ、人の愛は不連続、神の愛も受ける人間によつて変化、仕方がないのだった、徒労感、無意味、一度死を考えた者にとっては、死を乗り越えさせるだけのものが得られないでは、それが愛、義務、生きる意味でなければ、死は、非日常は、人をあれほど人らしく、優しくするのに、
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