存在と意味 | mitosyaのブログ

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個人誌「未踏」の紹介

       存在と意味

 私は誰知られることもなく、目をもち、耳をもち、今を存在している、一つの時間、一つの空間を映し、在るこの私は、も早それだけで世界、銀河のこの地球の片隅で、存在者の意識をもって存在する、私という者の存在、この私の存在とは、意味を問うようなものではなく、人に考えられる永遠と同じように、存在の器、私の存在とは、その永遠の時空間のこと、魂といえど、私の意識に存在していくものは、全て存在し、時空間と同じように永遠で、私の目、耳、心、私と宇宙を繋いでいる所の、感じられ、考えられる、存在、永遠と、何ら変らない、私という者の存在、今、人魚伝説がわかる、あれは一度死んだ者が蘇り、存在の喜びを歌ったものだと、人間の世界に憧れた人魚とは、死者のこと、人間世界とは、存在のこと、健康が人と世界を結びつけていただけ、病気は世界との無関係を思い知らせるばかり、病んだ一個の私は世界そのものとなり、人間世界は部分となる、かぐや姫もあの世の、死せる者、この世の限定された人生、生きることの憂欝、人の心象風景、鶴の恩返しにしてもそう、社会の中に生きてはいるが、私と貴方という二人だけの世界がそこにはあり、電車の中で抱き合い、見つめ合う二人のように、その二人とは何ら社会的存在などではなく、個人的存在を生きているのだった、世界は意味だけとなって、
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